第百八十六話 渓谷にて(3)

「ダメーーーッ」


 マリーが突然叫ぶ。

 勢いよく立ち上がると、キョトンとして固まっているヴァルナルの手を掴んだ。


「行きましょう、領主様」

「行く?」

「そうよ。ちゃんと用意しないと! ホラ、立ってくださいまし」


 ミーナの言葉をマネて、ヴァルナルを立ち上がらせると、マリーはぐいぐいと引っ張っていく。


「マリー、何をするの。やめなさい」


 ミーナがあわてて叱りつけて止めようとしたが、マリーは鋭く母を制止した。


「お母さんはここにいて! 待ってて!!」


 それでも何か言って追いかけようとするミーナを、ヴァルナルが手で制した。


「マリーが言うからには、大切なことなんだろう。しばらく待っていてくれ」


 オヅマはあきれ顔で二人を見送ろうとしたが、マリーがチョイチョイと手招きする。


「はぁ?」


 オヅマが首をひねると、鋭い声が響いた。


「……来て! オリーも!」


 オヅマとオリヴェルは顔を見合わせて、どちらともなくあきらめ顔で立ち上がった。この中で一番の権力者はマリーだ。どうして逆らえようか。


「まぁ、マリー。いったい皆を連れてどこに行くの?」


 ミーナはすっかり困惑して問いかけたが、マリーの返事はにべなかった。


「いいから! お母さんはそこにいて! こっち来ちゃダメよ!!」

「見える場所にはいるようにするから、母さんはそこで待っててよ」


 オヅマは心配する母に言ってやる。それからオリヴェルに手を差し出した。


「行くぞ」

「え……あ、うん」


 オリヴェルはいつものことなのに、少しドキドキした。

 オヅマは少し傾斜のあるこの道でオリヴェルが転ばないように……と、手を貸してくれただけだ。それだけのことなのに、オリヴェルはどこか落ち着かなかった。

 今日、この日に、父が皆でピクニックに行こうなどと言い出した時から、なんとなく予想はしていた。父がミーナとの結婚について、いよいよ自分たちに正式に言ってくれるのだろうと。

 だが、いざその瞬間がやってきそうになると、とても嬉しい反面、不安になった。本当に自分はオヅマ達兄妹と『きょうだい』になれるのだろうか……?


「ねぇ、オヅマ。僕は、君たちと『きょうだい』になっていいのかな?」


 おずおずと尋ねると、オヅマは一度、足を止めてオリヴェルを見つめる。

 無表情に見えたその顔は急にくしゃりと笑った。


「なに言ってんだ、今更」


 オリヴェルはオヅマの細めた瞳に、ホッとして微笑み返した。 


 

◆   



 マリーは母の姿がすっかり遠く、小さくなったのを確認してから、ようやくヴァルナルの手を離した。


「領主様! さ、花かんむりを作りましょう!!」


 腰に手をあてて、高らかに言い放つ。


「花かんむり?」


 ヴァルナルが不思議そうに首をかしげると、もどかしげに説明した。


「もー、領主様ったら。求婚プロポーズに花かんむりは絶対じゃないの」

「ぷッ、プロポーズ!?」

「そう! 今日、領主様には、お母さんにプロポーズしてもらいます!!」


 マリーが当然のごとく宣言する。

 ヴァルナルはポカンとなった。


 マリーは母とヴァルナルが結婚することを、周囲の様子からなんとなく感じていた。その上で今日、この時期に花で埋め尽くされる渓谷に行くことが決まって、ナンヌとタイミが話しているのを聞いたのだ。


「きっと、そこで求婚なさるのよ!」

「花かんむりをミーナさんにそっと載せて……キャー! いいじゃなーいっ」

「領主様にしては考えたわよねー」


 年頃の娘二人は想像だけでかまびすしい。

 だが、マリーはいやな気はしなかった。

 母が領主様ヴァルナルのことが好きなのはずっと前から知っていたし、身分が低いからと諦めていたのもわかっていた。

 だからこそ領主様の方から、ちゃんと求婚プロポーズしてあげて欲しかった。 


「領主様、ちゃんと言わないとお母さんは気付かないわ。ううん、気づかないフリをしちゃうの。お母さんはね、自分が幸せになることはいつも諦めちゃうの。だから、わかりやすく言ってあげないと駄目なのよ!」


 マリーは真剣そのものの顔で熱弁を振るった。


 ヴァルナルは呆気にとられつつ、どうしようか迷った。

 実のところ、プロポーズはすでに済んでいる。ただ、あのときはミーナも自分も互いに気が動転していた直後だったので、確かにちゃんとした求婚の場であったとは言い難い……。


 一方、オヅマは妹の洞察力に驚いた。

 自分と同じようにマリーもまた、母がすぐに自身を犠牲にすることに気付いていたのだ。それだけでなく、うっかり者の母には、しっかりと明確に言わないと真意が伝わらないことも。


「マリー……お前、知ってたのか?」


 オヅマが問うと、マリーは首をかしげた。


「なにが?」

「母さんと領主様が、その……」


 オヅマがどう言おうか迷っていると、マリーは腕を組んで、いかにもあきれたような溜息をついた。


「お母さんと領主様が好き好き同士なのは、ずっと前からわかってたわよ。ね? オリー」


 呼びかけられたオリヴェルがコクリと頷く。

 オヅマもヴァルナルも愕然となった。


「だって……父上がミーナを見る時、ものすごく優しい目をしていたし……」

「お母さんだって、領主様とお話できた日はすっごい機嫌良かったし」

「…………」


 ヴァルナルとオヅマは二人して開いた口が塞がらなかった。一番、無頓着に思えたマリーが実は最もこの事に関しては鋭かったのだ。


「お前……なんで言わないんだよ」


 オヅマが不満げにもらすと、マリーはフンと鼻息も荒く、兄を圧倒した。


「お兄ちゃん、こういう事は周りが余計なことをしてはいけないのよ。私も最初は領主様とお母さんをくっつけようと思って色々やろうとしたんだけど、パウルお爺さんとヘルカお婆さんに言われたの。『自然に任すのが一番』だって」

「…………」


 もはや何も言えなかった。

 マリーは正しい。いつも物事をよく見て、本質をつかむ。これこそオヅマがマリーに勝てない理由なのだ。


「さ、うんっと可愛くて綺麗な花かんむりを作るわよ。オリーはムラサキツメクサを集めてちょうだい。お兄ちゃんはレンゲね。それで土台を作って、領主様と私はいい匂いのする、とびきり綺麗な花を探しましょう」


 その後、マリーの監督の下、男達は黙々と花摘みにいそしんだ。

 半刻が過ぎ、マリーの手を借りてヴァルナルは花かんむりを完成させた。


「見て!」


 マリーは出来上がった花かんむりを掲げてみせる。オヅマもオリヴェルもすっかりくたびれていたが、その出来栄えに拍手した。


「うん、すごく綺麗だ。きっとミーナに似合うよ!」

「あぁ。うんうん、大したもんだ…」


 オヅマは適当に言いつつも、内心で感嘆した。

 ムラサキツメクサとレンゲの土台に絡まるように留めつけられた青や白、紫の大小の花。

 祭りの店先で売られているような華やかなものではないが、落ち着いた色合いはむしろ母に似合うだろう。まさかヴァルナルに此の手のセンスがあるとは思えないので、妹の意外な才能に驚くばかりだ。


「さ、領主様! 行きましょう!」


 マリーは花かんむりをヴァルナルに渡し、ミーナの方へと送り出す。


 ヴァルナルは数歩、歩いてから立ち止まった。

 急に緊張してくる。自分一人だったら「また今度」と回れ右して帰っていたかもしれない。

 しかし後方には鬼教官のごときマリーの緑の目が光っていた。


「領主様、頑張って」

「父上、しっかり」

「…………」


 二人からの声援がヴァルナルを追い立てる。オヅマは何か悟りきったかのような顔で、黙って手を振っていた。


 もう後には退けない ――――。


 ヴァルナルは唾を飲み込み、ふぅと深呼吸すると、エルムの下に座るミーナに向かって歩き出した。

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