第百八十三話 オリヴェルの残念な一日

 オリヴェルはベッドの上でふくれっ面だった。

 父と大公家の騎士・アンブロシュ卿なる人が模擬試合をするとオヅマから聞いて、楽しみにしていたのに、


「駄目です」


 ミーナは頑として見物を認めてくれなかった。

 ギョルムの事件の後、オリヴェルはやはり寝込んでしまったのだが、今回はわりと回復が早く、一日ほど微熱で寝込んだ後は、すっきりしたものだった。食欲も普通にあったし、歩けと言われれば、領主館を一回りできそうなぐらい元気を取り戻していたのに、ミーナは心配して今日の試合を観に行かせてくれなかった。


「いけません。ビョルネ先生だって、しばらく興奮するようなことは控えるように仰言おっしゃっておいでですから」

「大声出さないようにするから……」

「大声を出す出さないの問題じゃございません。剣闘技など若君は気持ちが昂ぶるでしょう?」


 ミーナが言うのも仕方なかった。

 普段の騎士達の練習試合程度のものであったとしても、オリヴェルは夢中になり過ぎて、発熱することがあった。ましてや戦うのが父であるヴァルナルとあれば、興奮の度合いは比較にならないだろう。

 ギョルムによって首を絞められたオリヴェルはすぐにビョルネ医師の診察を受けたが、その症状は当初、あまり楽観できない状態だった。それは当然のことで、首を圧迫されて一時的にであれ窒息しかけたのだから、まさしく九死に一生を得た状態だった。

 ビョルネ医師の適切な見立てと素早い処置、薬の投与で思っていたよりも随分早く回復したが、最低でも一週間の安静が義務付けられた。


「脈の状態があまりよろしくないのです。安定するまでは当面、学習なども休止です。些細な刺激であっても、一気に増悪して心臓に負担を与えることもありますから」


 ビョルネ医師からの言葉に忠実なしもべとなったミーナは、オリヴェルの懇願にも負けなかった。


「アンブロシュ卿はしばらくこちらにいらっしゃると聞いております。また機会を設けられるかもしれませんから、今回はお見送りください」

「そんなのいつになるかわからないし、本当に二度目があるかなんてわからないじゃないか」


 オリヴェルはツンと口をとがらせる。

 ミーナは取り繕うように言った。


「若君からお願いすれば、領主様も考えて下さるでしょう」

「嫌だ。僕はそんなの頼みたくない」


 オリヴェルはミーナの提案を即座に退けた。


「父上は、僕が騎士団の練習を見に行くのだって、あんまりいい顔しないもの」


 きっと、断られる ―――― 。

 オリヴェルはどんよりした顔で溜息をついた。

 ヴァルナルとしては、病弱な息子が、騎士団の練習風景など見て、驚いて卒倒でもしないかと気になって仕方ないので、オリヴェルの見学に対してあまりいい顔をしなかったのだが、親の心子知らずだ。


「ミーナが父上に頼んでよ」


 オリヴェルが少し怒った口調で言うと、ミーナは「えっ?」と戸惑った顔になる。


「ミーナの言うことなら父上も聞いて下さるでしょ?」

「そ……そんなことは……ございません」


 ミーナの顔は真っ赤になり、否定する声は尻すぼみになった。

 これはナンヌから聞いたことだが、ギョルムに襲われ気を失ったオリヴェルが、マッケネンに抱っこされて領主館に戻ってきた後に、同じようにミーナがヴァルナルに抱かれて戻ってきたのだという。

 あの後、ミーナは凄まじい怒りと極度の緊張から解放された反動で、気を失ってしまいヴァルナルによって運ばれたのだった。

 当然ながら、それは領主館において使用人達の噂の的となり、もはや二人の仲はほぼ公然のものとなっている。

 ナンヌはこの話をまるで恋愛小説の一幕であるかのように、うっとりした様子で話してくれた。

 オリヴェルは聞きながら少々恥ずかしかった。

 前々から父とミーナが結婚してくれればいいとは思っているが、周りから囃し立てられるのは、息子としては少々複雑だ。

 だから、ちょっとばかりミーナにも意地悪なことを言ってしまいたくなる。

 オリヴェルはすっかり怒った様子で、ツンと口を尖らせ、つまらなそうに窓の外に目をやる。


「今日だけは……勘弁くださいまし、若君。また都合がつけば、機会を設けてくださるようお願いしてみますので」


 ミーナは困り果て、仕方なくオリヴェルの頼みをのんだ。

 オリヴェルはさっきまでの拗ねた態度をコロリと変えて、ニッコリ笑った。


「うん。絶対に言ってね。僕、楽しみにしてるから」

「かしこまりました」


 ミーナは苦笑して頷いた。


 後日。


 結局、この件についてヴァルナルに進言したのはオヅマだった。

 試合の話を聞いたオリヴェルがしきりに「見たかったなぁ」と、羨ましがるので、オヅマがヴァルナルに頼んだのだ。


「またアンブロシュ卿と試合してください。オリヴェルが見たがっているから」

「ハハ。そのうちな」


 ヴァルナルの返事は曖昧だった。

 確約できなかったのは、二人とも仕事を抱えていたからだ。

 ベネディクトの方では本来の仕事 ―― 黒角馬くろつのうまの増産計画の件で忙しくなり、ヴァルナルは領地の視察以外にも、テュコから聞いた新たな街道についての調査を始めた。



 ―――― しばらくは無理そうだ……。 



 オリヴェルはガックリと肩を落とした。

 大人たちからすればあれは余興で、より大事なことがあれば、そちらが優先されるのは仕方ない。

 しょんぼりと日々を過ごしていたオリヴェルに、朗報がもたらされたのは、春から夏に移りゆく緑清りょくせいの月、末日のことだった。


 午後にオリヴェルの部屋を訪れたヴァルナルは、その場にいた子供たちとミーナに向かって、おずおずと切り出した。


「今度、皆でピクニックにでも行かないか?」

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