第百八十二話 剣術試合ーオヅマ対ベネディクト
ヴァルナルに押されて、西側の位置にオヅマは立った。
剣術試合においては、格上の人間が東側に立つことになっている。これは特に何かしらの順位が決められたものでなく、両者暗黙の了解の下、自らで格下と思えば西側に立つことが
「東に立ってもよいぞ、勝てると思うなら」
ベネディクトは笑みを浮かべ、東側の場をあけた。明らかな挑発行為だ。
オヅマはギッと睨みつけた後、澄ました顔で東側に立った。
オオゥ、と見物人からどよめきが起こる。
「身の程知らずが」
「いいぞ! やれやれ!」
見物人の反応は眉をひそめる者と、囃し立てる者に二分された。騎士団の面々もまた同様だった。
「領主様、オヅマに注意しなくていいのですか?」
前者であるマッケネンはヴァルナルに伺いを立てる。
ヴァルナルはフッと笑って言った。
「心配するな。恥をかきたいというなら、止める必要もない」
「しかし、もしアンブロシュ卿が不敬とお怒りになられたら」
「あれが怒っているように見えるか? 気にせずともよい、マッケネン。ただの冗談だ。見ればわかろう?」
ヴァルナルの言う通り、ベネディクトは冗談のつもりの挑発に乗ったオヅマに、俄然興味が湧いた。
なかなかどうして、この年で勇敢な少年ではないか。もっとも、この場合は勇敢というよりは蛮勇と言った方がいいかもしれない。
「ふん。では、お相手願おうか」
ベネディクトは西側に立つと、剣を中段に構えた。オヅマも同様に構える。
交差された状態で、剣はしばらく静止している。
トーケルが両者の名前を読み上げ、手を振り上げて開始を宣言した。
すぐさまオヅマはぐっと下に腰を落とし、ベネディクトの足元すれすれから上に向かって剣を払う。子供の体の小ささを活かし、瞬時に間合いを詰めてきたオヅマに、ベネディクトは内心驚いた。
顎先に伸びてきた剣先をかろうじてかわす。
「成程」
間合いをとって、ベネディクトは自らの油断を叱った。
「さすがはクランツ卿の秘蔵っ子というわけか」
つぶやきながら、剣の握りを変える。同時に地面に平行に跳躍し、今度はベネディクトが一気に間合いを詰めた。
オヅマは急に目前に迫ったベネディクトに、一瞬、固まった。だが、振り下ろされる剣先を正確に見定めて、ギリギリでかわす。
ベネディクトは間髪を入れず、振り下ろした剣を横に払った。これは避けられず、オヅマはカン! と剣で受けた。
刃が擦れ合って、ギギギと耳障りな音をたてる。
「『
ベネディクトがまた挑発してくる。
オヅマは無言だった。押してくる圧力に耐えるのに必死で、余計なおしゃべりなどしていられない。
鍔迫り合いから先に逃れたのはベネディクトだった。再び大きく間合いを取ると、スゥと息を吸い込む。
オヅマはすぐに意図を察した。だが、ヴァルナルのようにすぐさま対応するのは難しかった。
オヅマの目の前からベネディクトが一瞬消えた。
さっき見物していた時と変わらない。オヅマには何も見えなかった。当然、避けようもない。
ヒュッ、と耳元に小さな風の唸る音がして、ピタリと頬に冷たい剣身が当てられた。ヴァルナルがベネディクトの首で寸止めした時と同様に、オヅマもまた硬直するしかなかった。
勝負は一瞬でついたのだ。
「勝利、西方。ベネディクト・アンブロシュ」
通常の試合において、西方が勝つことなどはまず有り得ないことだった。負けた時に自分が東方であれば、一生、恥をかかえて生きることになる…というのは大袈裟であったが、実際、騎士にとってはそれくらい恥ずかしいことであった。
見物人の大笑いを、オヅマは凄まじい恥辱と感じた。だが、それも自分が招いたことだ。
「まだ、クランツ卿の域には達していないようだ」
ベネディクトは剣を鞘に収めると微笑した。そこに試合前の挑発的な皮肉はない。
オヅマは一歩後ろに下がってから、頭を下げた。
「誠心の剣をいただき、有難うございます」
剣術試合後の、負けた側の形式的な文句であったが、オヅマの心境には合致していた。
ヴァルナルの言う通り、自分にはまだまだ場数が必要で、ベネディクトはその貴重な一つの経験をさせてくれたのだ。
「ここにいる間は、クランツ卿の許可があれば、いつでも相手しよう。精進したまえ」
―――― 本日より、閣下から君の後見を頼まれた。閣下直々に特に頼むと言われるなど、君は相当に期待されているようだ。精進したまえ……
不意に ―― 夢が閃く。
「…………」
オヅマは喉が詰まって返事ができなかった。
ヴァルナルに軽く会釈して、ベネディクトは修練場から出て行く。
オヅマはその背に翻るモンテルソン大公家の紋章に眉を寄せた。
気に食わない。
威嚇する金の目の雄牛も、何かを捕らえようかとする
ゆっくりと、また押し寄せてきそうになる夢を、オヅマは振り払った。
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