第百八十一話 剣術試合ーヴァルナル対ベネディクト(2)

 ヴァルナルはベネディクトの言葉に眉をひそめた。

 打ちに行こうとしたが、その時にはベネディクトにはもう隙がなかった。


 姿勢を真っ直ぐに、左足を後ろに引いて、剣を大上段にかかげる。

 その構えを見て、ヴァルナルは奥歯を噛みしめた。


 ―――― 来る!


 咄嗟にヴァルナルが構えたと同時に、ベネディクトの姿が消えた。


 見物人がえっ? と目をパチパチ瞬かせる。

 騎士達もほとんどが同様だった。オヅマも凝視していたのだが、その一瞬、ベネディクトは完全に消えたように見えた。

 再びベネディクトが彼らの前に姿を現したのは、カァンと剣の交わる音が響いた時だった。

 ヴァルナルによって弾かれたベネディクトは、修練場の砂の上でズササッと滑って、かろうじてひっくり返ることなく止まった。右手に持っていた剣を左手に持ち替え、再び深く息を吸い、胸に空気を溜め込むと同時にまた姿が消えた。

 だがこれも結果は同じだった。

 ヴァルナルはすぐさま応戦して、ベネディクトからの剣を剣で防ぐ。ギリギリと鍔競つばぜり合いが始まると、ベネディクトは長引く前に押し戻して間合いをとる。

 ハッ、ハッ、とほんの少しの間のことであるのに、ベネディクトは激しく肩を上下させた。


 オヅマは二人の構え合う様子を見ながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 徐々に余裕のなくなっていくベネディクトと対照的に、ヴァルナルの表情は静かだった。

 かすかに開いた口元から細く長い呼吸がされているのがわかる。

 灰色の瞳は瞬くことなく、ベネディクトを見つめている。

 オヅマにはわかった。

 ヴァルナルは今、稀能を発現している。これが『澄眼ちょうがん』なのか。


 ベネディクトはハッと声に出して息を吐くと、すぐさま鼻から空気を吸い上げて止めた。ほぼ同時に再び地面を蹴る。

 また、姿が消えた ―― ように、見物人からは見えた。


 地面を蹴り上げ、一足飛びに自分に向かってくるベネディクトの姿が、のは、ヴァルナルだけであった。自分に向かって剣が振り下ろされる寸前までその場に留まり、十分に引きつけてから、ヴァルナルはそれこそベネディクトさえも捉えられぬ敏捷さでかわす。

 ベネディクトはそのまま地面に向かって剣を振り下ろし、修練場の固い土にひびが入った。

 しゃがんだ状態で固まってしまったのは、隣で立っているヴァルナルの剣がベネディクトの首の上で止まっていたからだ。


「……勝ち、東方ヴァルナル・クランツ」


 審判であるトーケルはしばし唖然と見守っていたが、あわてて勝負の終了を宣言する。

 うおぉ、と野太い歓声が上がった。

 ヴァルナルは静かに剣を鞘にしまった。

 ベネディクトはうなだれていたが、息を吐ききると、ゆっくりと立ち上がった。顔には満足気な笑みが浮かんでいる。


「有難うございます、男爵殿」

「こちらこそ。まさか『絶影捷ぜつえいしょう』の稀能をお持ちとは…」

「いえ。まだそこまでの域には至っておりません。修得しようと励んだのですが、師匠からは認めてもらえませんでした。しかし、男爵殿に『澄眼』を出させたのなら、私も自慢できるというもの。そう思ってもよろしいでしょうか?」


 ヴァルナルは頷いた。澄んだ灰色の目には嫌味でない自負がみえた。


 オヅマはすがしい笑顔で頷き合う二人の姿を見て複雑だった。

 たった一度の試合でまるで数年来の友人のごとく、心を通わせたのがわかる。

 だが、オヅマのベネディクトに対する警戒心は高まるばかりだった。また、じっと睨みつけるように見ていると、視線に気付いたヴァルナルが声をかけた。


「オヅマ、こっちに」


 オヅマはぎゅっと眉を寄せ、ヴァルナルのもとへと歩いていった。


「なんですか?」


 騎士見習いと思えぬつっけんどんなオヅマの口調に、ベネディクトは驚いたようだった。


「ずいぶんと……男爵殿に対してな態度ですね」


 あえてはっきりと生意気と言わなかったのは、朗らかに接しているヴァルナルに遠慮したからだった。しかし、ヴァルナルにはベネディクトの本来言いたいことはすぐにわかったらしい。

 ハハハと笑って、オヅマの肩を叩いた。


「失礼。少々、生意気なところもありますが、これで信義に厚い子なのです。それに騎士としても有望で、目をかけてじっくり育てているところです」

「左様ですか」

「アンブロシュ卿、差し支えなければ、この子に絶影捷ぜつえいしょうの一端を披露してもらうことはできませんか?」

「え? それは……」

「はたから見ているのと、実際に立ち合うのとでは、得るものも大いに違います。私はこの子に、経験を積ませたいのです」


 ベネディクトはチラリとオヅマを見た。

 見上げてくる薄紫の瞳は反抗的といってもいいくらいだった。恐れを知らない無垢な瞳を、少しばかり驚かせてやりたくなる。


「……いいでしょう」


 さほど深くも考えず、ベネディクトは頷いた。


 オヅマはオヅマで、この急なヴァルナルの申し出に当初は戸惑ったが、すぐに受け入れた。

 絶影捷ぜつえいしょう、と呼ばれるその稀能は、あまりの速さに、その者の影ですらも追いつくことができない、という意味を込めて名付けられたという。

 いったい、どれほどの速さであるのか。

 その影も追いつけぬほどの速さをもってしても、見取ってしまうヴァルナルの稀能とはいかほどのものなのか……?

 こればかりは、実際に相対しなければわかりようもない。


「普段の修練の成果を見せてみろ」


 ヴァルナルは軽くけしかけた。

 オヅマが騎士団での訓練を再開してからの数ヶ月の間、ヴァルナルは折を見てオヅマに稀能『澄眼』の修練を行っていた。当人にはまだ伝えていないが、普段の訓練とは明らかに異なるものなので、なんとなく気付いてはいるようだ。

 この初歩的な修練において、見込みがなければ諦めるつもりであったが、案の定、オヅマはヴァルナルの意図したことを理解した上でこなしていっている。このまま進めば、修得に向けてより特化した実技を教えていくことになりそうだ。

 だが多くの稀能においてそうだが、いくら実技面での修得ができたとしても、結局は使用の際にどれだけ平常心を保って、稀能という特殊能力を発現できるか、ということが一番の課題なのだ。

 こればかりは場数を踏むしかない。

 経験を積むにしても、相手が強者であるほどに、有益なのは言うまでもない。

 その点、絶影捷の遣い手(当人は稀能の域でないと謙遜するが、ヴァルナルには十分に達人の域に思える)であるベネディクトなどは、貴重な対戦相手といえる。

 オヅマは運がいい。

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