第百八十話 剣術試合ーヴァルナル対ベネディクト(1)

 ギョルムの処罰について、帝都皇府からの返事を待っている間、騎士団においては先の約束どおりに、ヴァルナルとベネディクトによる剣術試合が行われようとしていた。

 修練場には騎士以外にも多くの見物人が押しかけていて、いつもとは違う、一種、異様な様相を帯びている。


「まるで闘技場じゃねぇか」


 ゴアンは増える見物客を見回して、あきれたように肩をすくめた。


「まぁ、仕方ないだろうな。実際、俺らだって楽しみだし」


 マッケネンは腕を組みながら軽く息をつく。それは自分自身も少々興奮しているのを鎮めるためだった。


「スヴァンテやらサッチャがいたら、さぞ騒がしかったろうな。自分も名乗り出て、下手すりゃ大公家との団体戦にでもなったかもしれん」


 ゴアンは人の名前を借りてそんなことを言いながら、実際には自分がその先鋒に立ちたいくらいであった。

 マッケネンはそんなゴアンの気持ちに釘をさす。


「なるか。大公家から騎士なんて来てないのに。アンブロシュ卿がたまたま騎士だったってだけの話だろうが」

「しかし騎士だってのに、なんだって学者相手の調整役みたいなことをしてるんだろう? ……っとに、ヤツらときたらお高くとまってやがって、面倒くさいばっかりだってのに」

「そんなクセのある者達をまとめるだけ、有能ということだろう。准男爵という爵位まで頂いているんだ。大公殿下からの信任も相当厚いのだろうよ」

「フン。そうなると、ますます代理戦だな。あっちはランヴァルト大公殿下、こっちはグレヴィリウス公爵閣下」

「事を大袈裟にするな。ただの試合だ」


 マッケネンがたしなめていると、背後から「間に合ったぁ」とオヅマが割って入ってきた。


「おぅ、間に合ったな」


 ゴアンは笑って声をかけたが、マッケネンは眉を寄せた。


「オヅマ、授業は?」

「終わったよ」

「本当か?」

「本当だってば! トーマス先生だから、融通きかせてくれたんだよ」

「あいつか……」


 マッケネンは眉間に寄った皺を押さえた。

 初対面から馴れ馴れしかったが、ギョルムに関しての事情聴取の後、ますます親しげに声をかけてくる。無視を続けると、口が『リュ……』の形になるので、マッケネンとしては仕方なく相手するしかない。

 まったく、よりによって厄介な人間に本名を知られてしまった。

 しかもいまだに、その名前をどこで、誰に聞いて知ったのかと尋ねても教えてくれない。……


 苦虫を噛み潰したマッケネンと対照的に、オヅマは目を輝かせて辺りを見回していた。

 いつもとは違う、熱気を帯びた修練場に血が沸き立つ。


「あっ、来た!」


 オヅマが声を上げると同時に、ウオォと軽いどよめきが起こった。

 本館側の渡り廊下の扉が開いて、ヴァルナルが姿を現した。

 かぶとはしておらず、赤銅色の髪が強い風で逆立ち、精悍な顔にみなぎる自信は、まるで獅子の威容だ。

 すず色の鎧に身を包み、背には青藍色と白が半々になったマントが翻っていた。白地には青くグレヴィリウスの紋章が、青藍色の生地には白でレーゲンブルト騎士団の紋章がそれぞれ染め抜かれている。(ちなみにレーゲンブルト騎士団の紋章は、盾の前に剣が三本交差したものだった)

 いつもなら内輪の試合程度のことで鎧を着てマントをつけたりはしないが、今回は大公家臣下であるベネディクトへの礼儀もあって、一般的な披露試合と同じ扱いになったようだ。

 一方のベネディクトは、鎧は同じく錫色の一般的なものだったが、漆黒のマントに大公家の紋章が染め抜かれていた。

 真紅の椿に、金の目の雄牛の頭、鉤爪かぎつめの鎖。

 バサバサと翻るマントの裏地は、こびりついた血のような朱殷しゅあんの色。

 紋章も含め、なんとなく不気味で嫌な感じだ。

 オヅマはマントを羽織った、栗茶マルーンの髪の男をほとんど睨みつけた。誰だか知らないが、あのマントを背に負う者に対して、いい印象を持てない。

 オヅマの視線を感じたのか、不意に男がこちらを向く。

 薄緑の瞳と目が合った途端、オヅマはウッと小さく呻いた。


「どうした? オヅマ」


 マッケネンに声をかけられる。

 オヅマはサッと男の視線から逃れた。


「あ……あの人とやるの?」


 動揺をごまかすように尋ねると、ゴアンが頷く。


「おう。ベネディクト・アンブロシュ准男爵だと。お前、会ったか?」


 黒角馬くろつのうまの研究者などが、発見者であるオヅマを訪ねてくることが多かったので、ゴアンは訊いたのだが、オヅマはブルブルと首を振った。


「ううん! 知らない。…………たぶん」


 言いながら、そっと顔を上げて、気づかれないようにベネディクトを凝視する。

 かすかな既視感。

 会ったことなどないはずなのに……。

 モワモワと湧き上がる感情が何なのかわからない。

 これが自分の気持ちなのか、どうしてそんな気持ちになるのか。

 オヅマはゆっくりと深呼吸すると、頭を振った。

 とりあえず今は、目の前で行われる試合に集中しよう。


 ヴァルナルが東側の定位置に立つと、ベネディクトは向かいあうように立った。

 何かヴァルナルに話しかけられ、朗らかな笑みを浮かべて答えている。


「東方、ヴァルナル・クランツ。西方、ベネディクト・アンブロシュ。両名の試合をこれより始める……」


 審判役を務めるのは、パシリコが不在の今は騎士団最年長となったトーケルだった。剣術試合における作法に従って両者の名を読み上げ、簡単にルールを述べていく。


 オヅマは我知らず心臓を掴むかのように胸を押さえた。

 何か、ひどくざわつく。

 この感覚はエラルドジェイに遭遇した時と似ていた。だが、あの時のようにすんなりと受け入れることができない。


 目の前ではヴァルナルもベネディクトも試合用の擬似剣を鞘から抜き、交差させた状態で静止している。

 トーケルが手を振り上げたと同時に、ベネディクトは動いた。

 溜めの動作もなく、剣を振り下ろす。

 その素早い動きに、騎士達から軽くどよめきが漏れた。

 しかしヴァルナルはその速さに動揺することもなく、カン! とベネディクトの剣をはじく。そこから一歩前に踏み込みつつ、弾かれて大きく開いたベネディクトの胸元にむかって剣を突き出す。

 ベネディクトはすんでで飛び退すさって、剣を構えたが、そのときにはヴァルナルはまた間合いを詰めて、剣を振り下ろしてくる。


「くっ!」


 ベネディクトは思っていたよりも速いヴァルナルの攻撃に、防戦一方になった。

 何度かヴァルナルの剣を弾きながら、壁側に追いつめられていく。

 あと数歩で、動けなくなる位置まで来た時に、剣を弾かずにまともに受け止めた。

 一瞬、鍔迫り合いとなったが、ベネディクトはヴァルナルの剣を渾身の力で押し返すと、壁際まで退すさって間合いをとった。

 乱れた息を整える。

 もはやこれで逃げ場はない。


「さすが……」


 ベネディクトは小さく感嘆した後、ニッと笑って言った。


「では、始めましょう」

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