第百七十九話 ギョルムの最期

「…………」


 マッケネンは呆気にとられた。

 目の前でニッコリ笑うトーマスをまじまじと見つめる。

 騎士団でも自分マッケネンを知っている人間は少ないというのに、どうやって知った?


 ちなみにマッケネンというのは姓なのだが、これがややこしいことに名としても存在するために、騎士の多くは彼のがマッケネンだと思っている。平民は姓を持たないことも多いので、当然の反応だった。

 マッケネンにとってはむしろ、勘違いしてもらえる方が有り難かったのだ。本名を知られるよりは……。


 マッケネンはハッと我に返ると、トーマスを睨みつけた。

 いかにもしてやったり顔が癇に障る。


「その名前で呼ぶな」


 低く恫喝するようにマッケネンは言ったが、トーマスは微笑む。


「どうしてさ? 可愛い名前じゃない、リュリュ」

「だから呼ぶなと言ってるんだ!」

「なんで? 嫌いなの?」

「嫌いに決まってるだろう! そんな赤ん坊みたいな名前」


 リュリュ、というのは多くの場合、愛称であった。

 それも子供や、犬猫などのペットに対する呼びかけとしての名前で、当然ながらそのイメージは愛くるしく、無垢なものといった感じだ。

 マッケネンは幼い頃はまだしも、長じるに従ってこの名前が嫌いになっていった。どう考えても自分とは乖離かいりしたものに思えたからだ。

 トーマスもまた、そこについては同感であるようだった。


「まぁ…そうだよねぇ。額に傷まであるような、コワーい顔した騎士様が『リュリュ~』なんて呼ばれてたら、思わず二度見して笑っちゃうよね~」

「わかってるなら言うな! 今後一切!」

「…………リュリュ~」


 トーマスがこっそりとつぶやく。

 マッケネンは憮然と立ち上がった。

 無駄だ。これ以上はまともに話ができる気がしない。

 とりあえず聞いたことだけヴァルナルに伝えて、それで不十分だというなら、日を改めて今度こそしっかりとガッチリと理論武装して、気をキリキリに引き締めて臨むしかない。


「あ! ねぇねぇ、リュリュ」


 ドアノブに手をかけたマッケネンに、トーマスは懲りずに名前で呼びかける。

 マッケネンはギロリと睨むと、トーマスに向かってビシリと人差し指を突き出した。


「その名前で呼んだら、無視するからな」

「無視されたら、また呼ぶよ。いいの? 他の騎士さん達には知られたくないんでしょ~?」


 マッケネンはぐっと詰まった。

 すかさずトーマスは話を続ける。


「僕だって、時と場合というのはわかっているさ。人前では呼ばないであげる。だから、僕が『リュリュ』と呼んだ時には、必ず返事すること」


 マッケネンは拳を震わせながら、無言で承諾するしかなかった。そうしないと、騎士達にあの小っ恥ずかしい名前が知れ渡ってしまう。

 トーマスは明らかに面白がっていた。

 第一印象から嫌な感じであったのが、今回のことで決定的になった。


「貴様のような奴が討論大会で優勝するんだろうな」


 マッケネンが苦りきった顔で言うと、トーマスは大袈裟に肩をすくめた。


「まさか。あんなつまらないものに出るような人間に見える? 僕が」

「ほぅ、それは賢明だったな。もし出ていれば、今よりお前を苦手に思う人間が増えていたはずだ」


 マッケネン渾身の嫌味だったが、トーマスは一枚上手であった。


「僕を苦手に思うような奴は、たいがいの場合、僕に憧れているんだよ」

「……もういい」


 これ以上話していると、なにか……そう、気力が吸い取られそうな気がする。

 マッケネンは再びドアノブに手をかけようとしたが、その背にトーマスが問いかけた。


「そういえばさぁ、僕とギョルム卿を見たっていう証言者は、いったいどこでそんな場面に出くわしたの?」


 マッケネンは扉を開きかけて動きを止め、怪訝にトーマスを見た。


「何故、そんなことを聞く?」

「質問に質問を返すものではないよ、リュリュ。僕はキミからの質問には素直に答えた。僕にはキミに質問する権利がないとでも?」


 マッケネンはため息まじりに答えた。


「庭園で見た、と聞いている」

「庭園? いつ? 夜中?」

「………早朝だ」

「ふ……ん。……そう」


 トーマスはあらぬ方を向いて、右眉上のホクロをポリポリ掻く。ゴクゴクと紅茶を飲み干すと、書棚から何かの本を取り出し読み始めた。


「おい……」


 マッケネンは今の質問の意図を尋ねたかったが、トーマスは見向きもしなかった。もうマッケネンに興味をなくしたのか、それとも研究者として集中しだすと、周囲と隔絶してしまうのか…。

 マッケネンは吐息をつくと、トーマスの部屋を後にした。


 報告を受けたヴァルナルは、この件については打ち切った。

 特に目新しい情報もなく、トーマスの言う通り、葉巻のやり取りだけでは、何の罪にもならない。むしろ善意であげた……というだけのことだ。

 ミーナの心配していた子供達への影響にしても、当人が最近はほぼ吸っていない、というのであれば、問題ない。一応、ヴァルナルからも再び注意をすると、トーマスはその日のうちに、持っていたすべての葉巻を、雑貨商に売っ払ってしまった。


「たぶん、しばらく必要ないから~」


と言うトーマスの笑顔が、マッケネンにはものすごく不吉に思えたが……。





 さて、ギョルムのその後について簡単に記しておこう。 


 帝都は遠く、ラナハン上級吏士、アンブロシュ准男爵、クランツ男爵連名でギョルムの処断を求める書翰しょかん皇府こうふに届いたのは、事件が起きて二十日ほどが過ぎた頃だった。

 皇府の長官からその書翰を渡され、目を通したギョルムの叔父であるソフォル子爵は、とうとう匙を投げたらしい。

 処置について長官に任せ、長官はギョルムの処分を、レーゲンブルト領主であるヴァルナルの裁量にゆだねる……と返した。


 その返事を受け取った時点で、既に事件が起きてからは一月半以上が過ぎていたわけだが、ヴァルナルにはまだギョルムへの怒りと憎悪がくすぶっていた。

 即座に首を刎ねたいくらいだったが、一方で時間は冷静さを与えてくれていた。

 この男の死をミーナが知ることすらも、苛立たしい。そんなことでいちいちミーナの気を煩わせたくはなかった。


杖笞じょうちをそれぞれ五十。黥頬げいきょうの後、放逐。以降、五十年間は、領地内への入足を禁じる」


 杖笞じょうちとは制裁棒による殴打と、鞭打ち刑の二つを行うものであり、黥頬げいきょうとは頬に罪人であるという入墨を彫ることである。その上で着の身着のまま、領内から放逐。

 当然ながら、いれずみのある罪人に手を差し伸べる人間などいるわけもない。放逐罪の罪人に手を貸せば、その人間もまた罪に問われるからだ。

 帝都に戻ろうにも金もなく、どこまで行けるのかわからない。

 要するに野垂れ死にすることを想定した上での刑罰だった。運良く生き残れたとしても、真っ当な道を歩むことは難しいであろう。


 もっとも帝都に戻って罰を受けるとなれば、ギョルムは罪を一等減じたとしても斬首となっていただろうから、どちらが良いのかはわからない。

(ちなみに減じられなかった場合は絞首刑となり、これは親族までもが社会的に抹殺されるので、叔父であるソフォル子爵としては帝都にギョルムが戻ってくるのを敬遠したのも、そうしたところであろう。)


 最終的にギョルムは、杖笞罪を受け、襤褸ボロ布のようになって、川べりをふらついていたところを、雨季に入って水嵩みずかさを増したドゥラッパ川の出水でみずに巻き込まれて、そのまま行方不明となった。……

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