第百七十八話 トーマス・ビョルネとマッケネン卿

「君がギョルムに葉巻を渡しているのを見た、という証言がある」


 マッケネンはムッスリした顔で切り出した。


 問われたトーマス・ビョルネは、うーんと首をひねる。

 考えながら、ティーポットから冷めた紅茶を、見たこともないような大きな白いカップに注いだ。

 デカいカップだな…とマッケネンが眉を寄せて見ていると、トーマスはクイとカップを持ち上げて笑いかけてくる。


「大きいでしょ? これ。僕が作ったんだよね。普通のカップで飲んでたら、あっという間になくなっちゃって、何度も淹れにいかないといけないからさ。もう一つあるよ。飲む?」


 同じくらいの大きさの枯草色のカップを戸棚から取り出したが、マッケネンは丁重に断った。

 せめて出すなら温かい紅茶を出してほしいものだ。


「あ、そ」


 トーマスはスペアのカップを戸棚にしまうと、なみなみと紅茶を注いだ御手製の白いカップ片手に、すっかりクセのついた肘掛椅子にドスンと腰掛けた。


 他の研究者らは東塔にある新設された宿舎で寝泊まりしていたが、トーマスは家庭教師でもあったので、本館に部屋をもらっていた。

 その部屋でマッケネンが事情を聞いたのは、もしいつものように兵舎内で取り調べとなれば、トーマスの教え子であるオヅマに勘付かれるだろうと思ったからだ。なるべくこうした事については、子供に知られたくない。


 しかし、尋問相手の部屋で尋問するというのは、既に空気からして相手側の支配下にあるので、非常にやりづらい。まして相手がマッケネンにとっては鬼門とも言うべき男であった。


 トーマスはマッケネンがアカデミーを受験していたことをオヅマから聞いたらしく、以来、妙に話しかけてくるようになった。

 しかし十歳でアカデミーに入った天才は、やはり凡人であるマッケネンには計り知れぬところがあり、相手するだけで気疲れするので、最近では見かければなるべく避けるようにしていたのだ。


 しかし今回はれっきとした仕事である。避けては通れない。

 マッケネンは覚悟を決めて、いつも以上に気持ちを引き締めて来たものの、既にトーマスのペースに巻き込まれつつある。


 わざとらしく咳払いして、マッケネンは再び気を引き締めた。

 トーマスは冷めきった紅茶をゴクゴク飲んでから、またうーんと思案する。


「会ったかもしれないし、覚えてないな」

「………覚えてない?」

「このド田舎ではねぇ、なかなか葉巻一つ手に入れるにも大変なのさ、みんな。僕はここでの暮らしが案外と合っているみたいで、自然と吸わなくなったんで余っているけど、僕と反対の人もいるから、そういう人達には必要なんだろうね。だから、わりと頻繁にあげちゃってるんだ。その中にギョルム卿がいたとしても、いちいち覚えてないな」

「生物博覧誌を一冊まるごと暗記している人とは思えない答えだな」


 マッケネンが皮肉ると、トーマスはハハハと笑った。


「そりゃあ、興味のあることなら覚えるさ。みんな勘違いしているようだけど、僕は天才とかじゃないんだよ。必要な時に必要なことを必要なだけしか覚えようとは思わないからね。たいがいの人は、不必要なことまで覚えようとするから、無理だ…ってなってしまうんだよ」

「………大したもんだ」


 マッケネンはボソリとつぶやいた。

 なのかをわかるからこそ、というわけだ。凡人の凡才たるゆえんを嫌味なくらいえぐってくるトーマスに、ますます不快感が募る。

 しかしトーマスは不機嫌になるマッケネンを見て目を細めた。


「僕はあまり人に興味を持たないんだ。基本的に。だからその人の顔とか名前とか、覚えようと思わない。一応、努力はしてみるけどね」


 マッケネンは内心で納得した。

 前に一度、厩舎を訪れたトーマスら学者一行が話しているのを聞いたことがあるのだが、その時、トーマスは同行の学者らを、「なめし皮」「瓜坊くん」「ツギハギ眼鏡卿」などと好き勝手に呼んでいたのだ。しかもそれらは固定でなく、トーマスの機嫌次第でいくつかの別名があるらしかった。

 学者らはトーマスが勝手につけた渾名あだなに文句を言うこともなく、まともに応対していたので、マッケネンはつくづく学者というのは奇妙な人間達だと思ったものだ。

(実際のところ学者たちは、トーマスに名前を覚えてもらうことを、あきらめている)


「まぁ、いずれにしろ、ギョルム卿に僕が葉巻を渡していたことが、罪になるとは思わないね。その葉巻がものだとしても、禁止されているわけじゃないし。人によって効きやすい人がいるのは確かだけど。僕なんかはわりと効きが悪いんで、続けざまに三本吸っても、どうってこともないね」


 マッケネンは眉を寄せた。

 実はマッケネンもファトムを吸ったことがある。

 騎士になって初めての戦場で、先輩の騎士から勧められた。

 いざ決戦を控えた時に吸って、気分を高揚させるのだと聞いたが……トーマスの言を借りるなら、マッケネンは効きやすい体質なのだろう。

 吸った直後から興奮状態で、戦場での記憶は曖昧だった。生き残るために人を殺したというより、勢いのままに殺していった……。

 マッケネンは過去の自分を苦々しく思い出しながら、重苦しく言った。


「……吸うことは禁止しないが、少なくとも若君とオヅマに授業をする前日は控えて頂きたい。子供たちの前で奇態を晒すようなことがあっては困る」

「心配しなくていいよ。さっきも言ったように、僕はここでの暮らしが合っているせいで、最近はほとんど吸ってないんだ」

「………意外だな」

「なにが?」

「君のような人間が、この土地に合うとは思わなかった」


 トーマスはフフと笑い、長い髪の一房をくるくるとねじっていく。


「それが案外合っているのさ~。適度に刺激的で、適度に退屈で」

「………それはけっこうなことだ」


 マッケネンのため息は深かった。

 トーマスはねじった髪の毛をパと離すと、肘掛けに頬杖をつきながら、楽しそうに微笑んだ。


「ま、そういうことだから、僕からギョルム卿について、何かしらの情報を得ようとするのは、無駄だと思うよ。リュリュ・マッケネン卿」

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