第百七十七話 ケレナの悔恨(2)

 ミーナは冷静だった。

 トーマスとギョルムが会っていたことは気になるが、ひとまずいて、ケレナに先を促した。


「ギョルム卿と話されたのですか?」

「えぇ。不本意なことですけど、私、あの男を何度か見かけたことがございましたの。ホラ、あなたにもしつっこく声をかけていたでしょう? 私、その時はあの男が、とんでもない不逞の輩だなどと知らなかったものですから、普通に朝の挨拶をしましたのよ。

 それからどういう話の流れなんだか、気がつくと私、あなたがいつも早朝に祠堂しどうに行くことを話してしまったんです。やっぱり夜遅くまで本を読んで、寝不足でボンヤリしていたのかしら? ついつい聞かれるままに答えていたら、あなたのことを話していたんですわ。

 ですから、あなたがあの祠堂しどうの近くであの男に…その…とんでもない事をされたと聞いて…最初は驚くばかりだったんですけれど、よくよく考えたらもしかすると、私のせいであなたを危険な目に遭わせたのではないかと……あぁぁ!! ごめんなさい、ミーナさん。どうか許して頂戴!」


 ケレナはまた大声で謝ると、座ったままミーナに頭を下げ、泣きじゃくった。


「あ……」


 ミーナは唖然として、ケレナの話をすぐに飲み込めなかった。

 つまり、数日前の朝に、ギョルムはトーマスと話していた。その後にケレナと会って、ケレナからミーナが毎朝、祠堂に行くことを聞いた……ということだろうか。

 ミーナは思い当たることがあって、眉を寄せた。

 昨夜、ミーナの様子を見に、部屋を訪れたヴァルナルが話していたことだ。

 ギョルムは事件前日に深酒し、寝起きに『目覚ましファトム』という、麻薬を含んだ葉巻を吸ったらしい。帝都にいる頃から時々吸っていて、こちらでの生活が合わず、寝覚めもよくない日が続き、その量は増えていったのだという。

 今のケレナの話から推測すると、その葉巻を渡したのはトーマス・ビョルネだということだろうか?

 この事はヴァルナルにも伝えたほうがいいのかもしれない。

 違法なものでないにしろ、扱いには注意が必要なものだ。

 トーマスがそこまで常識がない人間とは思わないが、間違って子供達が口にしたりすることのないように、注意してもらった方がいいだろう。

 考え込んでいると、いきなり怒声が降ってきて、ミーナもケレナもビクリと身を震わせた。


「なにをしている!」


 青筋をたてて猛然と早歩きで向かってくるのはネストリだった。

 ズカズカと東屋あずまやに乗り込んできて、ミーナを怒鳴りつける。


「貴様、ミドヴォア先生に何を言った!?」


 どうやらミーナがケレナを泣かせていると勘違いしたらしい。

 ミーナが呆然として釈明するよりも早く、ケレナが立ち上がってネストリをなだめた。


「あぁ! 違うのです、ネストリさん。私がミーナさんに謝っていたのです。昨日もお話ししましたでしょう? 私のせいでミーナさんが危険な目に遭ってしまって……」

「しかし…こんなに貴女あなたを泣かせるほどに責める必要もないでしょう。なにも貴女だって故意にギョルムに話したわけではない。あの男が貴女を誘導して、情報を引き出したのですから」


 どうやらネストリは、この件について既に、ケレナから相談を受けていたらしい。

 ミーナはパチパチと目を瞬かせて、いつの間にかすっかり仲良くなっているらしい二人を見ていた。

 どうすればいいのかわからず、立ち尽くしていると、じっとりとネストリが睨みつけてくる。


「なにか言うべきことはないのか?」


 それは質問という体裁をとった強要であった。

 ミーナはあわててケレナを慰めた。


「あの、ケレナさん。そんなにご自分を責めないでください。私はあなたのせいだと思っていません。悪いのはギョルム卿ですから」


 ケレナは目を潤ませて、おそるおそる尋ねてくる。


「お許しくださるの? ミーナさん」


 ミーナはニッコリ微笑んで頷いた。


「ネストリさんが仰言おっしゃられるように、あなたが悪いわけじゃないんですから」

「じゃあ、じゃあ……これまでのように、お友達でいて下さる?」

「もちろん」


 ミーナが即答すると、ケレナの顔から暗さが消えた。


「良かった! 本当にごめんなさいね。ありがとう。あぁよかった……よかったわ……私、すっかり嫌われてしまうと……」


 今度は安堵感からか、ケレナは再び泣き始めた。


「大丈夫ですよ。貴女はべつに悪いことはしていません。たいしたことではないんですから、そう罪悪感を抱かずとも……」


 めずらしくネストリが親身になって慰める姿に、ミーナは内心で驚いた。

 目の前にいるのは、本当にあのいつも冷たくいかめしい、時々嫌味なことを言う執事と同一人物なのだろうか? 二人はいつの間にこんなに仲良くなったのだろう?


 ともかく、いつまでもここに立っているのは、少々おかしな状況に思えた。邪魔をしないよう、ミーナはそっとその場から立ち去った。

 その後すぐにヴァルナルの執務室に向かい、ケレナから聞いた話を伝える。


 ただ、ギョルムがミーナの毎朝の礼拝について知り得た経緯いきさつについては触れなかった。今更、その原因がケレナにあったとわかったところで、大して意味がないように思えたからだ。ケレナが話さなくとも、他の使用人から聞くことだってできただろう。特に隠していたことでもないのだから。


 ミーナからの話を聞いて、ヴァルナルはすぐにトーマスの事情聴取を行うよう、マッケネンに指示した。

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