第百七十五話 皇室と大公家(2)
現皇帝選出に至る過程において、当時、まだ十五歳という若さでありながらも、天才との聞こえ高い少年であった大公 ―― この時はまだ第七皇子であったランヴァルトもまた、後継者争いに巻き込まれた。
彼は
要求することで、ジークヴァルトが皇帝になることを認め、彼への服従を誓ったのだ。
その上で今後、帝国の行う全ての戦において、先頭に立って戦うことを約束したのである。(無論、その一番最初の戦は、ジークヴァルトに敵対していた他の後継者らの掃討だった。)
以来、大公家騎士団は帝国軍における先鋒としての役割を担っている。
実際には、ジークヴァルト皇帝の代における粛清や、領土紛争などほとんどにおいて、大公家騎士団のみで決着がついてしまうので、彼らは帝国において事実上の主力騎士団と言っても過言ではなかった。
そんな彼らにとって、軍馬の確保は重要案件だった。
まして
そういう意味で、大公家には
ヴァルナルは嘆息した。
大公家には大公家の思惑があるのだろうが、少なくとも人員は確かな人々が来ている。
皇府は学者はさすがにアカデミーからの生え抜きの優秀な者を揃えたようだが、それもやや常識外れの者が多い。
そうした者達も含め、きっちり監督する者が必要だというのに、その責任者がもっとも優柔不断で役立たずときている。
目の前にいる准男爵の恭謙で真面目な取り組み方とは大違いだ。
「アンブロシュ卿、表向き皇府からの委任を受けた者をたててしかるべきだということは、私にもわかっている。しかし正直、ラナハン卿が統制をとるのは今回の件をみても、難しいのは明らかだ。何より彼自身が積極的にそうしようと努めていない。
その点、あなたには皇府からの要請でやってきた学者達も一目置いていると聞く。あなたの差配の元で、大公家の研究者らには、研究に没頭できる環境が整えられている…と、正直羨んでいる者もいるようだ。
私からは金銭的な援助も、権限を与えることもできぬが、今後の研究の進行について、あなたへの支持を示すことぐらいはできる」
言っているヴァルナル本人がまだるっこしさを感じたが、皇府がこの事業に参画している以上、ラナハン卿ら官吏達を全面的に否定するような真似はできない。
だが、あくまでも現場において、ベネディクトが事業の中心的な役割を担うことに賛意を示すぐらいであれば、さほどに目くじらをたてられることもないだろう。
そもそも、そこまで気にするのであれば、もうちょっとマシな実務家を寄越してもらいたいものだ。
しかしベネディクトは安易な返答は避けているようだった。自分が大公家の人間であるために、下手をすれば大公に迷惑がかかると考えてのことだろう。
ヴァルナルは続けて具体的な課題を指摘した。
「現状においては大公家からと皇府からそれぞれ選出された研究者らが、それぞれ別途に研究を行っていると聞く。そのために我が騎士団への質問内容なども重複され、騎士団としても疲弊しているのだ。この二つの研究班を一つにまとめて、両者活発な論議を尽くしてもらいたい。これが大公家にとっても皇府にとっても、我らグレヴィリウスにとっても理想的な形だと思う。その場合、彼らを上手にまとめ上げることができるのは、あなた以外にないと思うのだ。どうだろう?」
「ふ…む」
重ねてお願いされ、ベネディクトはしばし考え込んだ。
最終的に頷いたのは、ヴァルナルの指摘した問題点について、自分でも気になっていたからだ。
「よろしいでしょう。あくまでも現場という範囲において、ですが」
「無論だ」
ヴァルナルはニッと笑ってから、すぐ申し訳なさそうに声を落とした。
「しかし最終的にはラナハン卿の手柄となってしまうだろうな、表向きは。
「そのような事は
言いかけてベネディクトはふと言葉を途切らせる。
「なにか?」
ヴァルナルが問いかけると、ハッと顔を上げ、しばし見つめ合ってから、少し挑戦的な笑みを浮かべた。
「ひとつ願いがございます」
「なんだろう?」
「一応、こう見えて、私も騎士の端くれでございます。叶うならば、男爵殿と一度、手合わせ願いたい」
「そんなことなら、いつでも」
ヴァルナルは快諾した。
むしろ帝国の最大にして最強と呼ばれる大公家騎士団の一員であったというのなら、こちらも楽しみなくらいだ。
「本当ですか? ありがたい!」
ベネディクトは心底嬉しそうであった。
ヴァルナルはいつも穏やかで、感情の起伏をあまり表すことのないベネディクトの興奮した様子に少し驚きながらも、微笑んだ。
「そのように喜ばれるなど。いつでも
「いや…そういう訳には」
ベネディクトは少し自分が高揚したのが恥ずかしくなったのか、コホリと咳払いして気持ちを落ち着かせる。
「アンブロシュ卿」
ヴァルナルは気さくな口調で呼びかけた。
「私は身分こそ男爵の位にありますが、卿からすれば若輩の身でありましょう。まして、私は元は平民の出。そう堅苦しく考えずともよろしいのですよ」
しかしベネディクトは重々しく首を振った。
「なにをおっしゃる。たとえ平民の出であろうが、騎士にとって黒杖の騎士なる方を尊崇せずにおれましょうか」
「私などは黒杖といっても、まだまだ……。アンブロシュ卿は大公殿下の側近くにおられたのですから、私がまだまだヒヨッ子同然であることなど、見破られておられるでしょう?」
『大公』という名称に、ベネディクトは胸を張りニコと微笑む。
「大公閣下はまったく別次元の方でございますれば……」
そこには己の
ヴァルナルはかすかに心の中で、何かチリチリと
「では、近いうちに機会を設けましょう」
「このような機会を与えていただき、感謝至極。楽しみにしております」
いつもの貴族礼でなく騎士礼をして、ベネディクトは部屋を出ていった。
「大公……ランヴァルト閣下……」
ヴァルナルはつぶやく。
その人の顔を思い浮かべ、しばらく黙念と虚空を見つめていた。
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