第百七十四話 皇室と大公家(1)

 まさか自分の味方だとばかり思っていたベネディクトまでが、非難してくると思っていなかったラナハン卿は、とうとうヴァルナルの要求を聞き入れざるを得なかった。

 帝都に書翰しょかんを送り、ギョルムの処罰を求めることになった。


 この時、ベネディクトの進言でミーナに対する不埒な所業については、詳細に書かれることはなく、あくまでも領主館において一使用人に対して、極めて許されざる暴力行為を行ったとだけ記された。   


「女性を不必要に辱める必要はございません。ギョルムについては、麻薬使用による不行状だけでも、帝国吏士としての不名誉は免れぬのですから」


 ベネディクトは、ラナハン卿の書いた書翰を確認のために見せにきた時に、ヴァルナルにそう説明した。


 ヴァルナルとしてはギョルムの最も許されない行為はミーナへの暴力であったのだが、実際のところ、一地方領主の使用人を皇帝陛下の命を受けた役人が暴行したことよりも、麻薬使用によるギョルムの失態の方が、皇府むこうは問題視するのだろう。

 それに、ミーナへの不要な詮索もされずに済む。


「アンブロシュ卿、色々と適切に動いていただいて、助かる。正直、私も今回のことでは冷静な判断ができずにいたところだ」


 ヴァルナルが素直に言うと、ベネディクトはニコリと笑った。


「愛するひとの危難を前にして、平静でいられる人間はおりません。男爵殿は十分に、理性的に振る舞っておられたと思いますよ」

「いや……あの場にけいがおられなかったら、ラナハン卿を殴りつけていたところだ。のらりくらりとかわされて、本当に我慢ならなかった」

「ラナハン卿も、ギョルムの背後の人間に思いを致さずにはおれなかったのでしょう。陛下の侍従の中でもソフォル子爵というのは、少々、面倒な方でございますから」


 ソフォル子爵は身分こそ子爵位だが、その献身的で機転のきく対応により、皇帝のお気に入りだった。侍従長は別にいたが、陛下の信頼が厚いという事実は、何よりの権力であった。そのため、皇宮こうぐうを訪れてまず挨拶をすべきはソフォルの執務室がある東藍宮とうらんきゅうだとまで言われるほどである。


「今の侍従長のバラーク伯爵はお年のこともあって、度々体調を崩され、ソフォル子爵が実質的に侍従長としての役割を担っているようです。今回のことで、子爵の機嫌を損ねることになれば、ラナハン卿の今後にも関わりますから……」

「それにしたって、情けない。あれで今回の総責任者なんだからな……」


 ヴァルナルはそれでも憤慨を隠せなかった。

 ミーナを軽んじるあの態度はもちろん許せなかったが、そもそも総責任者としての役目をまるで果たせていない。

 ギョルムの件はすでに、ミーナへの不必要な饗応を要望してきた時点で、かなり厳しく、その監督責任を含めて是正するように申し伝えてあった。にもかかわらず、この為体ていたらくである。

 そもそも自分の部下であるのに、顔色を窺っている時点で、ラナハン卿に指導的役割を課すのは無理というものだ。


「ギョルムをこの事業に参画させたのも、ソフォル子爵が出来の悪い甥御のために、名誉挽回の機会を与えたのだと聞いております」

「なんなんだ、それは。大事な皇帝陛下より下達かたつのあった事業だというのに、そんないい加減な人事を……」

「正直なところ……」


 ベネディクトは意味深な咳払いをして、少し言い淀んだ。

 ヴァルナルは先を促す。


「どうなされた? 忌憚なく申されよ」

「いえ……この事業計画は冬になる前に急遽きゅうきょ策定されたと聞いておりますので、おそらくこれから冬になろうという時に、冬の寒さ厳しい北の辺境に好き好んで行く人間はなかなか……人選に難渋したと聞き及んでおります」

「ハハハ! そうだろうな」


 ヴァルナルは笑った。

 実際、皇府こうふから送り込まれた人間は、あまり仕事ができるようには見えない。

 いや、帝都においては彼らも優秀な官吏であるかもしれないが、なにせここでは、ラナハン卿をはじめとして意欲がないのだ。

 左遷されたと思っている者もいるかもしれない。


「申し訳ございません。失礼なことを……」


 ベネディクトはヴァルナルが笑ったので、安心したようだ。苦笑しつつ謝った。

 ヴァルナルは軽く手を上げ謝意を制してから、ベネディクトをじっと見つめた。


「私としては今後の実質的な総責任者はあなたに任せたいと思うのだ、アンブロシュ卿。あなたは准男爵であるのだし、身分としてはラナハン卿よりも上だ。文句も出まい」

「そうはいっても、私は皇府から依頼を受けてここに来ているわけではありません。あくまでも大公家からの要員です」

「しかし、皇府への経過報告の書類なども、結局はあなた方が作成されたものを、ほぼ丸写しして送っているらしいではないか。そもそも皇府からの研究費用の三割近くを、あやつらへの特別赴任手当に拠出しているというのだから…とんでもない無駄使いだ。大公家はそうではないのだろう?」

「私共は閣下からの命令で来たというよりも、志願して来た者が多いので手当等は特に頂いておりません。業績に応じて、追って特別支給はあるやもしれませんので、むしろそれを楽しみに皆、研究やその準備を手伝っております」


 今回の黒角馬くろつのうまの増産並びに軍馬仕様研究についての事業には、皇府、大公家、グレヴィリウス公爵家が主だった出資と研究要員を出している。

 この中でグレヴィリウス公爵家が主に行っているのはレーゲンブルトにおける研究者らの衣食住の提供で、これは当然ながらグレヴィリウス公爵の命を受けて、ヴァルナルが担っている。

 その他、学者や助手をはじめとする人材と研究費用については、皇府と大公家が折半しつつ全体の八割以上を占めている。

 これは帝国に何か重大な脅威のあった場合、大公家が先鋒として戦地に赴くことが約束されているためだ。


 少々話が逸れるが、ここで大公家と現皇帝を主軸とする皇家こうけとの関係性について、軽く説明しておこう。

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