第百七十三話 ラナハン卿とアンブロシュ卿

 ギョルムは領主館地下牢に入れられた。

 彼の部屋を調べると『目覚ましファトム』と呼ばれる麻薬成分を含んだ葉巻が見つかった。

 帝国において麻薬の類を摂取することについて禁止する法律はなかったが、服用する人間には常識的な行動が求められたため、これを逸脱した段階で処罰された。特に官吏であれば、その職を失うのはもちろんのこと、帝国の威信を傷つけたとして庶民よりも強い罰則を与えられる。


 ミーナを襲ったあの朝は、前夜にかなり飲酒をしていたらしい。

 ハッキリと目覚めるために、ファトムを吸ったのだと言う。(ファトムには覚醒、興奮作用がある)

 しかもその理由は早朝に祠を訪れるミーナに会うためだったというのだから、呆れるしかない。


 ヴァルナルはすぐにもギョルムに対しての処罰を行いたかったが、それでも一応、彼が官吏として皇帝陛下の命を受けてここに来たことは間違いない。

 一存で処理することで軋轢あつれきが生じ、グレヴィリウス公爵に迷惑をかけたくもなかったので、仕方なくギョルムの直属上司であるところのラナハン卿を通じ、帝都皇室府(=皇府)への具申を願い出た。


 しかしラナハン卿の対応ははっきりしなかった。


「ま、ま、クランツ男爵どの。確かにギョルム卿には色々と問題はあったが、誰か傷つけたというものでもなし……」


 ラナハン卿は典型的な事なかれ主義の官吏であった。

 彼は今回の事業計画の責任者になったという栄誉だけは受け入れたが、実質的な役目自体はおおむね部下任せであった。まして、自分の責任の所在を問われるような事態は、隠せるものなら隠し通したかったのである。


 ヴァルナルはラナハン卿の能天気な態度に、一気に険しい顔つきになった。


「……傷つけて…ない?」

「あ、いやいや。男爵どののご子息には無体なことをした。謝罪が遅れましたな。申し訳ございません。わたくしの監督不行き届きにございますれば、伏して、伏して、お詫び申し上げる!」


 ラナハン卿はこれ見よがしに大声で謝って、何度も頭を下げる。

 ヴァルナルはギリと奥歯を軋ませた。

 ラナハン卿にとっては、ミーナは一介の召使いの女で、被害者にもあたらないらしい。


「ラナハン卿、男爵殿のご子息ばかりでなく、ギョルム卿が襲った女というのは男爵殿の婚約者も同然の女性であったのですよ。おわかりですか?」


 今にも殴らんばかりに拳を握りしめたヴァルナルを見て、穏やかに割って入ったのは、ベネディクト・アンブロシュ准男爵だった。

 彼は皇府からではなく、大公家から派遣された学者らのまとめ役として来ている。

 ゆるやかに波打った栗茶マルーンの髪に薄緑色の瞳、いつも頬に柔和な笑みを浮かべた優しい風情の男であった。年はヴァルナルよりも二、三年上といったところであろうか。

 そんなベネディクトから言われたことに、ラナハン卿は「えっ?」と思わず聞き返した。


「婚約者ですと? 女中と聞いておりますが…」


 普通、女中などは貴族にとって結婚相手になるものではない。彼らはあくまで使役される側の人間で、主と関係を持ったとしても、妾となるのがせいぜいであった。

 信じられない、という目でまじまじと見つめてくるラナハン卿を、ヴァルナルはギロリと眼光鋭く睨みつける。


「なにか? 生憎とご存知の通り、私は元は平民でございますから……貴き方々の風習には馴染めぬところがございましてね」

「い、いや……その…意外でございましたので」


 ラナハン卿はヴァルナルの威圧的な視線に耐えきれず、あわてて弁解すると、それとなく目を逸らした。

 殺伐とした雰囲気を知ってか知らずか、ベネディクトはあくまでも穏やかな口調で話を続ける。


「派遣官の失態ということで、ラナハン卿に代り、私がギョルムに対しての尋問を行いました。どうやらあの男は既成事実を作って、無理にその女性との婚姻を目論もくろんだようです」

「………なんだと?」


 ヴァルナルの声は怒りが昂じて平坦になった。

 ベネディクトは頷くと、この苛立たしくも恐ろしいギョルムの計画を詳細に語った。


「男爵殿が領地視察に行かれている間に、その女性と接触する機会を窺っていたようです。彼女が人気ひとけのないほこらに毎朝足を運んでいることを聞きつけ、男爵殿が視察から戻る前に行動を起こしたようですが、運悪く……失礼、これはギョルムからの見地ですが……男爵殿は前夜に予定を前倒ししてお帰りになられていた……という事を彼は知らなかったのでしょうな。その上で早朝であれば、騎士達も朝駆けでおらぬと踏んでいた。その日に、男爵殿のご子息が一緒に行かれたことで、いつもよりも遅くなったのは幸いでした。

 ギョルムとしては、彼女に婚姻を迫って了承させれば、男爵殿に一泡吹かせることができる、という幼稚な考えもあったようです。しかし彼女が案に相違してギョルムの要求をきっぱりねつけたので、カッとなって強引な手段に出た……と。一度、我がモノとしてしまえば、女性側の声などあってなきが如しですから。その後は無理矢理に婚儀を済ませれば、男爵殿がこの地の領主であったとしても、という肩書がある以上、文句は言えぬだろうと踏んでいたようです」


 ヴァルナルの顔は赤を通り越して、蒼白になった。

 できうるものなら、今すぐに剣を持って地下牢に乗り込んで、ギョルムを叩き斬ってやりたい……!

 ラナハン卿はそのただならぬ様子にあわててとりなした。


「ま、ま、男爵どの。結局はどうということもなかったのですし……」

「どうということもないだと!?」


 ヴァルナルはとうとう怒りが極限に達して、拳を机に打ち付けた。

 ビリビリっと空気が振動し、テーブルに置いてあったカップはガチャリと音をたててひっくり返る。

 ラナハン卿はヒッ! と悲鳴をあげて仰け反った。

 一方、ベネディクトは冷静に話を続ける。


「ラナハン卿、こうまで不躾を重ねたのです。我々はさきの会合においても、男爵殿に釘をさされました。客ではない、と。我々はこちらに滞在いるのです。その上で、この不始末。官吏としてのあるまじき不行状。本来であれば、レーゲンブルト領主たるクランツ男爵の一存で、ギョルムを罰してもよいところです。男爵殿は我々の顔を立てて、皇府への具申を申し出て下さっているのですよ。まさか……」


 ベネディクトは一旦そこで言葉を切ると、隣に座っているラナハン卿の耳元で低く囁いた。


「己の保身のために、なかったことにされるおつもりですか?」

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