第百六十九話 自分勝手な男

「驚いたかね? フン、まったく忌々しい。あの成り上がり領主のせいで、こうしてコソコソと会いに来ねばならぬなど。しかし、今はあの面倒な領主も視察とやらでおらぬし、早朝であれば騎士共は皆、朝駆けとやらで出払っておるゆえ、確かに逢引あいびきするにはよい時間であろう」


 まるでミーナがギョルムに会うために、わざわざ早朝の礼拝を行うようになったかのような言い方だった。

 ミーナは明らかな嫌悪を感じたが、それでも表情に出さず、もう一歩後ろにさがった。


「……私はあなたに会いたくありません。ご領主様からも叱責されました。自らの職責を全うするように、と」

「おぉ、ミーナ。可哀相に。あの男に叱られたのか。それで何も言えず、私の手紙に返事を書くことすら恐れておったのだな」

「違います」


 ミーナはきっぱりと言ったのだが、ギョルムはゆるゆると首を振った。


「あの野蛮な田舎騎士のことだ。相当におまえにキツく当たったのであろうな。心配することはない。私と一緒になれば、あの男ももはや私に対して文句を言うこともできぬ。聞けば、こんな辺鄙な田舎だが神殿があるそうではないか。すぐにでも神官に婚姻承認を申し出れば、ひとまずは夫婦となれるゆえ、早々に取計とりはからおうぞ」

「…………」


 ミーナはもはや呆気にとられた。

 ギョルムの頭の中で、物事がどのように運ばれていったのだろうか。

 ミーナは一度たりとギョルムに結婚を望んだこともなく、それらしい振舞いをした覚えもない。

 ただ、言われるままにお茶を淹れに行って、二言三言話したにすぎない。にもかかわらず、ギョルムは既にミーナと結婚することを決めていた。


 ミーナはぎゅっと自らの腕を掴んだ。

 あまりにも勝手で、ありえない話で、いったいどこを訂正すればギョルムが考えを改めるのか、ミーナにはわからなかった。ただ、ともかくも自分にその意思がないことだけは言う必要がある。


「あの、ギョルム様。私は誰とも結婚するつもりはありません」

「…………何と?」


 薄ら笑いで聞き返してくるギョルムに、ミーナは繰り返した。


「誰とも結婚するつもりはありません。もちろん、あなたと結婚するなんて、一切考えておりません」


 はっきりと言ったにもかかわらず、ギョルムはかえってニッタリとだらしない笑みを浮かべた。


「ハハハ。君が私と結婚するなど、恐縮するのはよくわかる。都に憧れも畏れも抱いておろう。しかし、問題ない。万事、私がよきにはからって……」


 ミーナはこれ以上、ギョルムの妄想につきあうのが我慢できなくなってきた。

 この男の想像の中で、一度でも自分がこの男の横で花嫁となっていたことすらも、怖気立おぞけだつ。


「やめてください! 私はあなたとは結婚しません! 都にも行きません!!」

「…………」


 ギョルムはミーナの激しい拒絶にキョトンと目を丸くして固まった。

 ミーナは重ねてギョルムに言い立てた。


「領主様のことをしざまに言うのはおやめください! 領主様はとてもご立派な方です。いきなりやって来た私の息子の願いを聞いてくださって、私達家族を温かく迎え入れてくださいました。それだけでも一生かかっても返せない御恩があるというのに、どうしてあなたのような厚かましい方と縁を結んで、都に行くことなどあるものですか!」


 珍しくミーナは激越げきえつな口調になっていた。

 自分でもどうしてこうも腹が立つのかがわからなかったが、もはや口からこぼれ出た言葉を戻すことはできない。

 それに撤回する気もなかった。

 怒りが昂じたとはいえ、それはミーナの本心だった。


 ギョルムは徐々にワナワナと身を震わせると、広い額に青筋が浮かんだ。


「なん…と……無礼な」


 つぶやきながら、フラフラとよろける。

 道が空いたのを見計らって、ミーナは立ち去ろうとしたが、ギョルムはすれ違って去ろうとするミーナの手首を、意外にも早い動作で掴んだ。


「……っ! 離してください!」

「うるさい、このアマめ!」


 ギョルムは怒鳴りつけて、ミーナの手首を締め上げた。


「あの田舎者領主に、よほどほだされたとみえる。いい気になるなよ。どれほどに見目が良かろうと、貴様ごとき卑賤の身が、成り上がりとはいえ帝国諸侯の末端である男爵家になど入れるものか!」


 ミーナは自分への誹謗よりも、ヴァルナルをおとしめようとするギョルムの勝手な妄想に腹が立った。


「……っ…そんなこと、わかっています! 私は……私と領主様はそのような関係ではございません! 私はともかく、ご領主様に対して失礼です!」

「フン! 身の程知らずな望みを持つ女であればこそ、哀れに思って声をかけてやったというのに……これだから卑しい者は。少し優しくすればすぐにつけあがりおって!」

「…………」


 身の程知らず ―― 。

 ギョルムの言葉にミーナは悲しくなった。

 あれほど自分に言い聞かせていたのに、やはりどこかで自分は期待していたのだろうか。であればこそ、ギョルムのような人間にまでも見透かされてしまったのだろうか。

 二度と同じ過ちは繰り返さない。

 必死になって自分を律してきたつもりだったというのに、それでも消せない。本当に自分は卑しい人間なのだ。


 己の自省の中で打ちのめされ、静かになったミーナに、ギョルムは悪辣あくらつな企みを立てた。

 このまま手籠めにすれば、この女は言うことを聞くだろう。女が自分に従い、妻となれば、あの忌々しい領主でさえも文句を言うことはできない。 ―――


「来いッ!」


 ギョルムはミーナを強引に祠の裏側へと引っ張って行こうとしたが、その時、足元で拳ほどの大きさの石が跳ねた。


「ミーナから離れろ!」


 オリヴェルが叫んだ。

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