第百六十六話 誤解はそのままに

 テュコが去った翌日に、オヅマはミーナの部屋を訪れた。



 ヴァルナルが実弟にまで結婚の報告をしているのであれば、そろそろ本格的に準備に入るのだろう。

 だが、オヅマには違和感があった。

 そもそも母はどうしてこの結婚を承諾したのだろうか?


 あれほどに「分を弁えなさい」としつこく言う人が、爵位を持つ貴族と結婚するなど、本来であれば有り得ないことだった。

 それこそヴァルナルがよほどしつこく ―――― 誠心誠意、心を尽くして口説いたとしても、それでも相当に迷ったはずである。


 その上で決めたのだろうが、それにしては母の態度に悩ましい様子は一切感じられなかった。普段から苦悩を見せない人ではあるが、オヅマはたいがい感じ取ってきた。それが今回はまったくない。


 実のところ、オヅマはこの話題については避けてきた。

 ヴァルナルに言ったように、自分は変わりなく、ただ騎士になりたいだけで、母親の恋愛話など聞きたくもない。

 それでも一度生じた違和感を無視できるほど、この事に対して無関心でもいられなかった。二人の結婚は自分だけでなく、マリーにも、オリヴェルにも関わることなのだ。


 逡巡の末、オヅマは母に直接、聞いてみることにした。



 普段、オリヴェルの部屋で会うことがほとんどで、勉強と騎士団での訓練に忙しい息子の久しぶりの来訪に、ミーナは目を丸くした。


「あら、どうしたの? 訓練は今日はお休み?」


 いつもであれば、午後の授業が終わって、騎士団の訓練に参加している時間だった。


「うん。雨がひどいから、午後からは休みになった」

「そう。なにか食べる?」


 部屋の中に促して、ミーナは棚に置いてあったビスケットの入った瓶に手を伸ばしたが、オヅマは首を振った。


「いや、いい。ジーモン先生の授業でケーキ食べたから」


 オヅマは椅子に腰掛け、テーブルの上に置いてあった繕い物をチラと見た。


「オリヴェルの?」

「いいえ、あなたのよ。領主様から古着を頂いたから、丈を詰めているの。古着といっても、ほとんど手を通されていないらしいから、きれいよ」


 嬉しそうに言う母に、オヅマは困った顔になる。

 幸せそうな母の姿には安堵するが、反面、妙に疲れたような気持ちになるのはなぜだろうか。

 うかない顔のまま、オヅマは母に尋ねた。


「母さん、あの話なんだけど…結局、どうなってんの?」

「あの話?」

「だから…あの…『家族』になるって話だよ」


 オヅマにしては回りくどい言い方になってしまったのは、自分の口から『結婚』なんて言葉を出したくなかったからだ。

 母とヴァルナルのことは当人同士で決めればいいとわかっていても、一方の当事者の息子としては色々と複雑だった。


 ミーナは首をかしげていたが、すぐに「あぁ」と思い当たったらしく、ニッコリ笑った。


「領主様がお話しになったのね。えぇ、近々正式に、きちんとした場を設けたいと仰言ってたけど…例の帝都からのお客様…じゃなくて、馬の研究の人達だとか、それに領地の視察にも行かれてお忙しいでしょうから、新年が明けてからになるのじゃないかしら?」

「あ……そう」

「早く、皆に発表したいのでしょうけど、もうしばらくお待ちなさい。慶事は焦るな、と昔から言いますからね」


 朗らかな笑みを浮かべて諭すミーナに、オヅマはますます違和感を強くした。


「………嬉しそうだね」


 ボソリとつぶやく。その声音には微量の嫌悪が混じった。

 息子の機嫌が急に悪くなったように見えて、ミーナはパチパチと瞬きしたが、すぐに微笑みに戻った。


「そりゃあ嬉しいわ。あなたの為になることだし」

「……は?」


 オヅマは思わず聞き返した。「俺の為? ……って、何が?」


「何が…って、領主様の息子になるなんて、あなたには有難いことじゃないの。騎士になりたいのでしょう?」

「それはそうだけど……俺は…俺の為??」


 オヅマは混乱した。

 まさか、母はオヅマを騎士にするために、ヴァルナルとの結婚を決めたのだろうか? だとしたら、とんでもない話だ。そんなことは望んでいない。


「母さん! 俺の為とかだったら、やめてくれ」

「え?」

「俺は別に領主様の息子にならなくたって、騎士になるよ!」

「えぇ…そうね」


 ミーナはオヅマの目の下の傷跡をそっと撫でた。訓練では生傷がたえない。


「あなたが今のまま、きちんと訓練して騎士様達にも可愛がられて、しっかり勉強すれば、ゆくゆく騎士になることはできるでしょう。でも、ご領主様のになれば、きっともっとできることは増えると思うの。やりたいと思っても身分が低ければ、機会さえ与えられないわ。でも、領主様の息子であれば、いろんなことに挑戦できると思うの。だから母さんはいいお話だと思って…」


「ちょっと待って」


 オヅマはミーナがそれ以上何か言おうとするのを止めた。

 しばし母の言葉を反芻する。


「……………養子?」


 間違いのないようゆっくり聞き返すと、ミーナは不思議そうに首をかしげてから、「えぇ」と頷いた。


「領主様から…そう聞いてないの? なにか別のお話だった?」

「…………」


 ミーナの顔はまったく善良で、嘘をついているとか、はぐらかしているような感じではない。


 オヅマは頭の中でようやく合点がいった。

 領主様との『結婚』を控えているにしては、あまりにもいつもと変わりない母。

 あれほどまでに領主としてのヴァルナルを尊敬し、恭謙に振る舞っていた母が、その領主と結婚するというのに、その態度はあまりに普通すぎた。

 だが、当人に『結婚』の意志がなければそれも頷ける話だ。


「母さん、一応聞きたいことがあるんだけど」


 オヅマは少し頭を押さえながら、母に問う。


「なぁに?」

「領主様から、母さんには、どういうふうに話があったの?」

「それは……あなたを自分の息子にしたい…って。前々から考えていて下さったみたいよ」

「俺を息子にしたい、って言っただけ?」

「そうよ。何をほかに言うことがあるというの?」

「…………」


 いや、あっただろう……と、オヅマは心の中でヴァルナルに指摘せずにおれなかった。

 どうしてはっきりと示さなかったんだ。完璧に誤解されてるじゃないか。


「あなたの同意もなく決めて悪かったわ。あなたにとって、この養子縁組はとてもいいことだと思ったの。領主様は若君にもちゃんとお話されて、若君もあなたと兄弟になれると喜んで下さってるらしいわ。でも、勘違いしては駄目よ。領主様の正当な後継者はオリヴェル様ですからね。この御恩を忘れずに、ちゃんと分を弁えて、若君をたてるように――――」


 またいつもの調子でお小言めいたことを言い出した母を、オヅマは白けた顔で見ていた。

 はぁ、と溜息がもれる。


「オヅマ、ちゃんと聞いてる?」

「はいはい…聞いてます」


 返事しながら呆れ果てた。

 悩んでいた自分にも、言葉足らずのヴァルナルにも。



 ――――― 俺の知ったことじゃないさ。領主様がいけないんだし…



 オヅマは放っておくことに決めた。

 こういう事は当事者同士で解決すべきだ。

 

 ミーナはヴァルナルの養子になる心構えについて説教していたが、オヅマは適当に切り上げて部屋を出た。


 歩きながらフッと笑みがもれる。

 なんだか急に面白くなってきた。


 この誤解がとけた時、母もヴァルナルも、いったいどんな顔をするんだろうか…?

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