第百六十五話 貴相
商売柄、人相からその
ヴァルナルからの手紙で、北端の村に住んでいた小作の息子だと聞かされ、どんな野暮ったい田舎の少年だろうかと思っていたのだ。
ところが実際に会ったオヅマの印象は、むしろ都にいる貴族の悪ガキに近かった。
オヅマが今着ている絹のシャツや、紺色の目立たないながらも細かい刺繍の入ったベスト、黒茶色の膝丈のブリーチズなどは、下手に慣れない田舎者が着れば、不釣り合いで滑稽にも見えたろうが、オヅマは違和感なく着こなしていた。
―――― 貴相がある……
それはいわゆる貴人らしい上品な相貌というわけではない。貴族であっても卑しい者はいくらでもいる。
そうではなくオヅマに垣間見えるのは、人を動かしうる力を持つ者に顕れる、何かしらザワザワと心を掻き立てられるような独特の存在感だった。
―――― まったく。とんだ拾いモンをしたもんじゃぜ、兄貴は。
テュコは内心で一つ年上の兄の、妙な巡り合わせに吐息をもらした。
そもそも商家の四男坊が公爵家に仕える騎士に養子にもらわれ、その上で公爵閣下から引き立ててもらうこと自体、相当まれなことであるのに、今度は再婚相手の息子が人品ただならぬ相を持っているとは。
つくづく、
一方、オリヴェルは沈黙したテュコが機嫌を悪くしたと思い、とりなすように話題を変えた。
「叔父さんは今日は父上に会いに来られたのですか?」
「ん? ワシか? んん~…じゃぜなぁ…ま、そンこともあっじゃ、仕事ンついでもな。珍しい動物の毛皮が入ったぜ、それ見にな」
「毛皮?」
「おぅ。エドバリ家の商売はな、生地屋じゃ。じゃぜ、ワシの仕事は各地出歩いて生地の材料になりそうな目ぼしいモンを見つけてくるこっじゃ。まぁ、たーまに生地以外の珍しいモンも商売の種になりそうじゃったら拾うもんじゃぜ、大兄貴に怒られることもあるが……」
大兄貴、とテュコが呼ぶのはエドバリ家五兄弟の長兄・ジグナルのことだった。
ジグナルは兄弟にとって早くに亡くなった父の代わりで、厳格、真面目、頑固一徹の人である。
弟達が喧嘩を始めると、問答無用の喧嘩両成敗で拳骨がふってくるような人であったので、兄弟達は彼の影を見ただけで怯えるくらいであった。
オリヴェルもまた、
もっともそれを面白おかしく語れるほどに、長兄は弟達から慕われているということなのだが。
「ま、お
テュコはオリヴェルの頭を一撫ですると、オヅマに向き合った。
「オヅマ…お
訛っている上に早口のテュコの言葉は、ほとんど意味がわからなかった。ただ、「美人の母様」ということだけ聞き取れて、オヅマはハッと思い当たった。
「母さんに会ったの?」
「おぉう。そりゃ会おうぞに。大事ン甥の世話をしてもぅとぅじゃぜなぁ」
「………」
オヅマは眉を寄せ、テュコを胡散臭そうに見た。
言葉がいちいち意味深に聞こえる。
テュコはオヅマの勘の良さにニヤリと笑みを浮かべ、ポンと肩を叩いた。
「ま、これからはお互い知らぬ仲でなし、あんじょう頼むっじゃ」
「………よろしくお願いします」
とりあえずオヅマはおとなしく頭を下げた。
どうやらヴァルナルはこの男に母を紹介したらしい。
実弟にまで会わせるのであれば、ミーナと結婚するという言葉は嘘でないのだろう。だとすれば、この男はオヅマにとってもゆくゆくは叔父になる。
いかにも思惑ありげな言動は正直好きになれないが、商人であれば、多少は仕方ないものなのかもしれない。
「もう帰られるのですか?」
名残惜しそうに言うオリヴェルに、テュコはヴァルナルと同じ優しい笑みを浮かべた。
「おぅ、また近いうちに来るっじゃ。ほいじゃ、またぜ」
手を上げて、テュコは去っていった。
唐突な登場と同じく、あっという間の退場に、オリヴェルもオヅマもしばらく放心していた。
「………なんぜ、あのおっさん」
しばらくしてオヅマがつぶやくと、オリヴェルはプーッと吹いた。
「オヅマ、
「そりゃ、そうなるだろ。なんなんだよ、あの言葉」
「すごい訛りだったね。そういえばウスクラって、百年ほど前に帝国に滅ぼされたギリヤ王国の人がたくさん移住してきた…って本で読んだことあるけど、そのせいなのかな?」
ウスクラはヴァルナルの出身地で、帝都南西部にある中都市だ。
「じゃあ…領主様もあんなヘンな喋り方するのか?」
「どうだろう? 僕は聞いたことがない…な」
オリヴェルはしばし思案してから首を振った。父があの独特な方言を話している姿は記憶にない。
「ったく…しばらくは『じゃぜ』が耳について離れそうもないぜ」
オヅマはブツクサ文句を言いながら、またテュコの語尾が伝染っている。
オリヴェルは苦笑して頷いた。
「………本当だね。しばらく耳に残りそうだ」
それから数日間、食事の時間になると、オヅマとオリヴェルの間でなんとかヴァルナルに「じゃぜ」を言わせようという謎の挑戦が行われたのだが、ヴァルナルは二人の不自然な会話に思惑を察したのか、一切、訛りを口にすることはなかった。
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