第百六十四話 七年ぶりの甥
午後の授業が終わると、オヅマは騎士団での訓練に戻り、オリヴェルは自室に戻って絵を描くというのが通常であったが、その日は授業の終わりがけにやってきた男のせいで、二人ともが足止めされた。
「よぉ、オリヴェル。叔父さんじゃ、覚えとぉぜ?」
急に見知らぬ男に訛り言葉で声をかけられ、オリヴェルはひどく困惑した表情を浮かべる。
オヅマが素早くオリヴェルを隠すようにして立ち塞がると、男はハッハッと笑った。
「おぅおぅ、勇敢な
「…え……あの」
オリヴェルは思い出そうとしたものの、さすがに記憶の片隅にすらも残っていない。
ただ、自分や父と同じ髪色のこの男を見て、おそらく親戚―――しかも父の生家の人間 ――― であろうということはなんとなくわかった。
一方で、オリヴェルの隣にいたオヅマは男の説明を聞いてすげなく言った。
「そんな小っせぇ頃のことなんか、覚えてるわけねぇだろ」
オリヴェルを見にやって来た男―――テュコは、甥っ子を庇う亜麻色の髪の、少しばかり浅黒い肌の少年を見て、すぐにそれが
「ほ、お前は…オヅマ…じゃぜ?」
オヅマは怪訝にテュコを見上げると、ムッと言い返した。
「俺は確かにオヅマだけど、アンタは? 人の名前を聞く前には自分の名前を言うもんだろ」
「おぉ、そン失礼やったぜ。ワシはテュコ・エドバリと申すじゃ」
男の名乗りを聞いて、オリヴェルは「やっぱり」とつぶやくと、少しだけ顔をほころばせた。安心させるようにオヅマの肩を叩いてから、前に進み出る。
「はじめまして…じゃないかもしれないけど…ごめんなさい、僕は覚えてなくて。テュコ叔父さん、はじめまして。オリヴェル・クランツです」
テュコは尻込みすることもなく、気負うこともなく、堂々と自己紹介するオリヴェルに時の早さを感じた。
七年前 ―――――
ヴァルナルが戦で南部に行ってしまい、残された
息子の母親は北の辺境暮らしが我慢ならなかったらしく、ヴァルナルが戦の準備で忙しくしている間に、間男と一緒に出て行ってしまったという。小さく病弱な、幼い息子を置いて。
テュコはその女が目の前にいたら盛大に文句を言ってやりたかったが、その時点ではまだ行方もわからない状態だった。自分の侍女を息子の乳母として残していったというのが、せめてもの親心だったのかもしれない。
ヴァルナルが出征し、とうとう父までも出て行ってしまった不遇の甥に同情して、テュコはわざわざ足を伸ばしたのだが、この訪問は不愉快な結果に終わった。
甥の乳母という女は、テュコが平民であるというだけの理由で、ろくに甥っ子の顔も見せないばかりか、抱っこさえ許さなかったのだ。
ヴァルナルがいればそんな態度はとらなかったであろうに、まったく見くびられたものだ。
最終的にテュコは「二度と来んぜ!」と憤慨しまくってレーゲンブルトを後にした。
ヴァルナルが戦から戻ってきても、テュコはその乳母のいる限りレーゲンブルトを訪れることはしなかった。戦が終わり、南部との行き来がまた戻ってきて、商売が忙しくなったというのもある。
あの頃、乳母にぴったり張りついて、血色の悪い顔で、テュコを怖々と窺っていた小さな子供。
同世代の子供に比べて一回り小さく、細く、弱々しかった。
言葉を話すこともできず、固まっていた幼い甥っ子が、こうまで変わるものか……。
感傷に浸るテュコとは対照的に、驚いた顔になったのはオヅマだった。
「叔父さん?」
聞き返してから、もう一度テュコを見上げる。
ヴァルナルと同じ赤銅色の髪、目の色はやや緑がかった灰色だ。笑みを浮かべる口元がヴァルナルと似ているようにも思えたが、全体的にヴァルナルよりも一回り大ぶりだった。特にベルトの上にどっかり乗った腹のあたりが。
一方のテュコは、オヅマの、母親とは違って強い光を帯びた薄紫の瞳をじっと見つめた。まともに見つめ返してくる顔は、いかにも生意気そうだ。
テュコは笑みを浮かべ、再びオリヴェルに話しかけた。
「はじめましてでいいぜ、オリヴェル。オヅマは正真正銘のはじめまして、じゃぜな。お
「別に連れてきたんじゃねぇ……です」
テュコがヴァルナルの縁戚であると気付いたのだろう。オヅマは無理やり言葉を改めた。
「ハッハッハッ! 聞いてた通りの奴じゃぜ! しっかし大した肝っ玉ッじゃ。なぁン伝手ものぅて、直接領主の館に乗り込むなン! お
「冗談じゃねえ」
オヅマは反射的に答えてから、すぐに丁寧な言葉遣いに戻す。
「………俺は…騎士になると決めてます」
固い口調で言いながら、キッとテュコを見上げる。
薄紫の瞳には、やはり強靭な光が宿っていた。
テュコは無精ヒゲの生えた顎をなでて、興味深そうにオヅマを見た。
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