第百六十三話 ミーナの素性(2)

「………」


 ヴァルナルは少し考えた。


 確かに前々から気になっていたことではあった。

 レーゲンブルトのような片田舎では不似合いなほどの、ミーナの挙措の美しさ。


 今までは帝都近郊のルッテアの商家で働いて、そこで身につけたと聞いて納得していたが、よくよく考えれば、あぁまで完璧な礼儀作法を商家が仕込むとも思えない。


「まだ、世間的にはさほど知られてもいない珈琲の淹れ方を知っとるなン、よっぽどの家格の屋敷に勤めてたはずじゃぜ。いや……もしかしたら、皇宮ってことも」

「まさか!」


 ヴァルナルはテュコの想像を笑い飛ばそうとしたが、顔は強張った。そんな兄を見て、テュコはまたキセルをふかす。


「わからんぜぇ。今は子供も産んで多少老けとぉっじゃ、若い頃はもっと美しかったんじゃろぜ。あン美しさなら、皇宮で一級女官として働いていたとしても不思議はなぁぜ」


 皇宮の一級女官といえば、学識、所作、礼式の全てに習熟し、容姿においても優れている、と認められた『完全無欠の女中』とも呼ばれる存在である。

 彼女らは貴賤の区別なく厳しく教育されており、皇宮にあまたいる召使いの中でも別格だった。その完璧な礼儀作法を習得させるために、自分の娘を預ける上位貴族家もあったほどだ。

 歴史上では、彼女らの中から皇帝の后となった者もいる。


 ヴァルナルはテュコの言葉を結局、否定できなかった。

 古語や、古典礼法にも通じたミーナのふるまいは、皇宮の一級女官となっても十分に通用するだろう。


「まぁ、見たところかか様が心配しとぉっじゃ、性悪女には見えんぞに、なんぞ隠しとぉことがあるんじゃろぜ、あン様子では」

「それがどうした?」


 ヴァルナルは超然として言った。


「隠したいことなんぞ、人間生きてれば一つ二つ出来て当たり前だ」

「ハハッ」


 テュコは笑った。

 これは相当、入れ込んでいるようだ。前のように公爵の肝煎りだという理由だけで貰い受けた女とは違う。


「兄貴にそン本気マジもンの女子ができるぞなぁ~、人は変わるもんじゃぜ。オリヴェルのことも十分に面倒見てくれとぉっじゃ、本当ホンの親子でもないぞに、有難いことじゃぜ。実のかかは放っぽっていきよったぜなぁ」


 あけすけなテュコの言葉に、ヴァルナルは眉をしかめた。

 脳裏に前妻の姿が浮かぶ。


 互いに愛せないままに終わってしまった妻。

 世話してくれた公爵と公爵夫人のためにも懸命に愛そうとはしたが、形式的なことが済めば、何をすればいいのかわからなかった。

 その後、南部の紛争が再び始まってしまったのもあり、紆余曲折を経て別れてしまった。


 今となれば、彼女には失礼なことをしてしまったと思う。

 自分は彼女に興味を持つこともなく、気持ちを推し量ることもしなかった。


 今回、アドリアンの近侍としてオヅマを公爵家に送りこむためには、ミーナと結婚することが理想だと言われても、ヴァルナルは即断できなかった。

 それがアドリアンの為になることだとわかっていても、こちらの事情で婚姻を進めることは、ミーナを利用するようで嫌だった。


 そのくせ前妻のことは、公爵の意であるというだけの理由で結婚し、周囲の人間に貴族として認めてもらうための道具として利用することにためらいはなかったのだ。

 なんとも身勝手な話だ。


 ヴァルナルは来し方を思い、自らに慚愧した。であればこそ、今度は間違えないように、ゆっくりと手堅く進めたいとは思う。

 ただ、そのためには相当に忍耐力が必要だと、日々、思い知らされているが。


「……近いうちに正式に申し込むつもりだ。決まればまた、知らせる」

「ほぅか…」


 テュコは短く頷き、パイプの灰を灰皿に落として立ち上がった。


「ほいじゃ、ワシはこれで失礼するとしよう。街道の話はまだまだ先の長い話じゃぜ、また追々にな。ワシらの方で話が進めば、いい按配で動いてくれっじゃ。期待しよぉぜなぁ~」


 ヴァルナルはテュコの物言いにフッとあきれた笑みを浮かべた。

 つまり、テュコの仲間である商人たちも、それぞれの筋から街道新設について願い出るのだろう。だが皇帝陛下にまで話が伝わるのはそう容易ではない。そこで、ヴァルナルに後押しを頼みにきたのだ。


「まったく、タヌキになってきたのは姿形だけじゃないな……」


 ヴァルナルがあきれたようにつぶやくと、テュコはニッと笑った後に、ぽんと手を打つ。


「おぉ、そうっじゃ。甥っ子の顔くらい見て行かねば、母様にどやされる。前にここン来た時は、おっ怖い乳母にロクに顔も見せてもらえんじゃったぜなぁ~」

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