第百六十二話 ミーナの素性(1)

 ニコニコと笑いながらも、テュコは油断なくミーナの様子を窺っている。

 ヴァルナルはテュコの意図を察して、眉を寄せた。正直、あまりミーナの昔の話を聞きたくない。


「それは…商家で働いていたときに」


 思わぬ質問にミーナは当惑した。落ち着きなく視線をさまよわせながら、小さな声で答える。

 テュコは首をひねった。


「商家? どこぜ、場所は?」

「……ルッテアです」

「ルッテア? そりゃおかしなことぜ~。こン豆はつい先ごろまで、都ンいる貴族ン中でも、相当格のある方々しか口にされることのなかった品じゃぜに。コールキアの方で生産拠点が出来て、上からの許可も出て、ようやっと我々みたいなモンの手にも入るようになってきたんじゃぜなぁ」


 ミーナの顔が強張り、徐々に青ざめていくのを見て、ヴァルナルはそれ以上、テュコが問い詰めようとするのを止めた。


「やめろ、テュコ。いいじゃないか。おいしいものが飲めたのだから」

「そぜに言いよぉわりには、おまン、一口しか飲んどらんじゃ」

「うるさいな」


 ヴァルナルが苛立たし気につぶやくと、ミーナはおずおずと声をかけた。


「領主様、よろしければミルクを入れて飲んでみてはいかがでしょう? 飲みやすくなると思います」

「ミルク? うーん…じゃあ、入れてみてくれ」


 ヴァルナルが珈琲の入ったカップを差し出すと、ミーナは持っていたポットからミルクを注いだ。

 黒の液体は見る間に薄い茶色になった。

 ヴァルナルはゴクリと唾を飲み下してから一口含む。まろやかで濃厚なミルクの味と一緒にほどよい苦味を舌に感じて、それが絶妙に調和していた。


「うまい」

「よかった…」


 ミーナは心のつぶやきが思わず声に出ていた。

 嘘のないヴァルナルの言葉に安堵する。微笑むと、ヴァルナルも固くなっていた表情を緩めた。


「やれやれ…ワシはすっかり邪魔者じゃぜな~」


 テュコがあきれたように言って、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「あ…すみません」


 ミーナはあわててその場から後退あとずさると、ミルクのポットを抱えつつ、深く頭を下げた。それは召使いとしてのお辞儀であったが、実のところは赤くなった顔を隠すためだった。


「御用がお済みでしたら、私は失礼させていただきます」

「あぁ、ご苦労だった」


 ヴァルナルはテュコがこれ以上何をか言い出す前に、早々とミーナを下がらせた。正直なところ、意味ありげにミーナを見る弟の視線から彼女を隠したかったのだ。  


 ミーナが出て行った途端、テュコは頬に浮かべていた笑窪を消した。


「兄貴…おまン、あン女子おなごの身の上はちゃんと調べよぅぜ?」


 鋭く問われて、ヴァルナルはキョトンとなった。


「なんだ…いきなり」

「おかしいぜ、あン女子」

「おかしい?」


 ヴァルナルは問い返しながら戸惑っていた。

 テュコが珍しく真剣な顔になっている。


「言ったぜ? こン珈琲っじゃ、元々一部の上流貴賓の方々にしか飲まれることのないもんじゃったぞに…ルッテアなんぞ中途半端な街の、一介の商人が飲めるようなもんじゃなぁぜ」

「例外的にたまたま手に入れたんじゃないのか?」


 ヴァルナルは大して気にもせず言ったが、テュコは首を振った。


「そぜなこっじゃ、ありえんぜ。こン飲み物は元々、大公家から広まったんじゃぜ」


 テュコが口にした言葉に、ヴァルナルは引っ掛かった。


「大公家…?」


 帝国において、大公は皇帝と同じく唯一の人しかいない。


 ランヴァルト・アルトゥール・シェルバリ・モンテルソン大公閣下。


 最近、やたらとの方のことを考えるようになった。

 それは無論、オヅマの『千の目』のことがあったからだが、今回また別の話題から彼の名を聞くのは偶然……なのだろうか?


「ホレ、あのイェルセン公国との戦で大公殿下が領土の一部を戦功としてもらったっじゃ? そン中にコールキア一帯があって、そこン少数部族の間で飲んじょった珈琲が殿下に献上されて、気に入られて飲まれるようになったんじゃぜ。帝国内じゃ、しばらくは大公殿下が独占しとったじゃ。そン後で殿下が皇家のかみ方々かたがた(*皇家など尊貴なる人々のこと)にも紹介されて、徐々に都にいる貴族にも広まったんじゃぜなぁ」


 話しながら、テュコはまたミーナの淹れてくれた珈琲を一口飲んだ。満足気に息を吐く。


「見事なもんじゃぜ。こぅも美味うもぉ淹れるとは。兄貴、あン女子はなかなか只者ただモンじゃなかろうぜ」

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