第百六十一話 黒い飲み物

「おぉう…来たか」


 テュコはさてどうやって大笑いしてやろうかとばかりに待ち構えていたのだが、テーブルに置かれたカップに黒い液体がなみなみ注がれると、目をみはったまま黙り込んだ。

 ヴァルナルは眉を寄せて、素直な疑問をつぶやく。


「なんだ、それは…飲み物なのか?」


 真っ黒な液体。焦げたような独特の香り。

 カップに入れられているが、口に入れるものなのかと疑ってしまう。


 エッラはそんな領主の様子に顔を強張らせた。

 内心で、ミーナへの恨み言が堰を切ったようにあふれる。


 テュコはカップを持ってクン、と匂ってから、ゴクリと一口飲んだ。


「おい、大丈夫か?」


 ヴァルナルが尋ねたが、テュコは答えなかった。エッラをじっと睨むように見て、鋭く尋ねる。


「女中さん、これ、アンタが淹れたんぜ?」

「ちっ、違います!」


 エッラは即座に否定した。


「ミーナが勝手にあの豆を潰して、この気味の悪い飲み物を作ったんです。私は仕方なく持ってきただけです!」 


 自分がこの奇妙な飲み物を用意したのだと思われ、不興をかってはたまらない…とエッラは必死に言い訳した。

 実際、作ったのはエッラでない。


 テュコはしばらくカップの液体を見つめていたが、エッラに向かってニヤリと笑った。


「ほぅか、ほぅか。そりゃ、女中さんも難儀じゃったぜ。すまんが、これを作った者を呼んできてくれんぜ?」

「すっ、すぐに!」


 エッラはホッとすると同時に、ミーナへの怒りが沸々とわいて、足音も荒々しく応接室を出て行った。


「………おい、なんなんだ?」

「まぁ、まぁ。兄貴よ。ミーナといえば、オリヴェルの世話係の女とおんなじ名前じゃ? まさかこの館にミーナが何人もいるわけじゃなかろうぜ?」

「ミーナは一人しかおらん。なんぜ、彼女に…」

「大丈夫じゃぜ、兄貴。なんも叱ったり怒鳴ったりする気はないっじゃ。ま、ちぃと黙って見とってたもうぜ」


 テュコはニヤニヤ笑って、また一口、黒い液体を口に含む。十分に味わってから飲み下すと、満足げな吐息を漏らした。


 



 一方、再び厨房に乗り込んだエッラは、ミーナを見つけるなり真っ赤な顔で迫った。


「ちょっと、ミーナ! アンタ、やっぱりあれ、違うじゃないの!」


 エッラはさっき、得体の知れない豆を持ってきたときよりも怒り狂っていた。


「えっ? そんなはずは…」


 驚いて椅子から腰を浮かせたミーナを、エッラはここぞとばかりに非難する。


「しらばっくれて! 私に恥をかかせる気だったのね。本当に、親子して意地が悪いったらありゃしない!」

「ちょっとアンタ! 勝手にあの豆持ってきて、どうにかしろって言ったのはそっちじゃないか!」


 ソニヤはエッラの剣幕に呆然としているミーナに加勢したが、エッラはえらそうに腕を組むと、フンと鼻をならしてそっぽを向いた。


「お客様も領主様もお怒りよ。あんたを呼んでるわ。とっとと応接室に行きなさいよ」

「ハァ? なんだってミーナが怒られなきゃなんないんだい?」

「そんなこと、私に言っても仕方ないでしょ。ともかく、あの不気味な飲み物を淹れた人間を呼んでこいって言われたの! とっとと行ってきなさいよ!!」

「コイツ、どこまで根性がひん曲がってるんだろうね…!」

「なんですってぇ!?」


 ソニヤとエッラの喧嘩のかたわらで、ミーナはしばらく考え込むと、母親を応援していたタイミにそっと声をかけた。


「ごめんなさい、タイミ。ミルクはまだあったかしら?」

「ミルク? 朝に絞っておいたのがあったと思うけど」

「じゃあ、ちょっともらっていくわね」


 ミーナはミルクを小さな陶器のポットにいれると厨房を出た。

 背後ではまだソニヤとエッラが言い争って、タイミも加わって賑やかだったが、とりあえずは呼ばれた以上、行かねばならない。


「もしかして…少し苦すぎたのかしら?」


 ひとりつぶやいて、ミーナは足早に応接室に向かった。





「失礼致します。ミーナにございます」


 応接室に入ると、ヴァルナルがいつも通り朗らかな笑みを浮かべて迎えてくれた。


「あぁ、すまないミーナ。弟がなんだか知らないが呼べと言うんで」

「弟?」


 ミーナはヴァルナルの前に座って、キセルをふかしている商人らしい男をさっと見た。

 ヴァルナルと同じ赤銅色の髪と、ややふくよかではあるが、ヴァルナルと似通った顔立ちに、養子先の兄弟ではなく、実弟だとすぐにわかった。


「はじめてお目にかかります。ミーナと申します」

「あぁ、アンタがミーナさんか。ワシはテュコ・エドバリと申します。すまんぜ、急に呼び出して。ちぃと聞きたいことがあるんぜ」


 ミーナはテュコの訛りに面食らったが、話を聞き漏らすまいと顔を引き締めた。


「はい、何か?」

「この珈琲を淹れたのはあんたじゃと聞いたが、間違いないんぜ?」

「はい。私にございます。お口に合わなかったでしょうか?」


 ミーナが遠慮がちに尋ねると、テュコはハッハッと笑った。


「いやっは~、こぜン美人の淹れたもンは、口の方をあわせるもんぜ」


 早口に言われてミーナはパチパチと目をしばたかせる。

 ヴァルナルがはぁ、と頭をかかえた。


「テュコ、何が言いたいんぜ? はよう、言えっじゃ。ミーナも忙しいんぜ」


 弟に引きずられたのか、ヴァルナルもまた訛って話すのを見て、ミーナは驚いた。

 ポカンと自分を見つめるミーナにヴァルナルはハッとなり、ゴホゴホとわざとらしい咳払いをする。


「テュコ、お前がいきなり訳の分からないものを持ってきたんだ。文句を言うのは筋違いだぞ」

「文句? ハァ~、まさかまさか。文句なン、つけようもないぜ。ちゃーんとした珈琲の淹れ方じゃぜに。むしろワシはびっくりしたっじゃ。こン、クソ田舎に珈琲を淹れりょうな御仁がおるとは思わんかったぜ。アンタ、ミーナさん。一体、どこで覚えてきたんじゃぜ?」


 軽く尋ねられミーナは息を呑んだ。

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