第百六十話 新たな街道

 応接室で久しぶりに向かい合ったテュコは、ますますふてぶてしい男になっていた。もっとも、商人として各地を渡り歩いては商談を繰り返しているのだ。多少ならず図々しくあらねばやって行けないのだろう。


「理由がなきゃ来ちゃいかんぜ?」


 テュコはいちいち勿体ぶる。ヴァルナルは苛立たしげに舌を打った。


よ言や。暇じゃないんじゃぜ」

「なんぜぇ~、えらそうに」


 テュコはおどけた口調で言うと、ポリポリと耳裏を掻いた。


「来年は都に帰って来ン上に、手紙であン意味ありげなこと書いてくっじゃ、気にもなるんじゃろぜ」

「意味ありげ?」

かか様への手紙で息子オリヴェルンこと書くは当然としても、やたらと世話する女ンこと、褒めちぎっとったじゃ? まぁ、しつこぉに書いとぉぜ、母様がこりゃ間違いなくなんぞあるに違いないじゃっぜ、どン女ぞ見てこい…ぞ言いよぉじゃ。まーた息子が失敗しとんじゃと、老婆心が疼いたんじゃぜ」


 ヴァルナルはハァと溜息をついた。いい年をして未だに実母に心配させるとは、我ながら情けない。

 頭をかかえて項垂れると、テュコはハッハッと笑った。


「なン、ウチの一番の出世頭じゃぜなぁ。母様もなンかと心配になるんじゃろぜ。まして、自分の目の届くところにもおらんぞに、あることないこと頭の中でばぁっかり気ィ揉んでしまいようぜ。じゃぜ、ワシが様子でも見て来ようと…ま、こっちに用もあったぜなぁ」


「うん? なにか目ぼしいものがあるのか?」

「おぅおぅ、領主様。商機があるとみるや、すぅっぐに飛びつくのぉ」

「フザけとらんぜ、テュコ」


 ヴァルナルは真面目な顔で言った。

 品種改良がうまくいき、気候に恵まれたのもあって、この数年は豊作が続いているものの、元々北部で育てられる穀物は限られている。数年でも冷夏となれば、領民は一気に困窮してしまうだろう。

 ヴァルナルにとって、民生の安定はいつにおいても喫緊の課題だった。


 これまでもテュコは兄とはいえ、領主でもあるヴァルナルにそう簡単に手の内は見せなかった。

 商人からすれば、いい商売のタネを見つけても、それを領主から流通禁止にされたり、高い関税をかけられるのはあまり嬉しくない事態だ。


 ヴァルナルの方もそれはわかっていたし、実家と癒着しているなどという面白くない噂が立つのも嫌であったので、兄弟との商売上の取引は控えていた。

 だが、情報は積極的に求めた。


 商人というのは、色々な要因が商売に関わってくるので、貴族社会よりも情報が早く、またそこに貴族特有の情報操作が行われることも少ない。

 彼らの目的はいつも自分の利益であるので、そのベクトル分を差し引いて考えれば、おおよその正確な情報は手に入る。


「なにか、がある…という訳じゃないんぜ。ちょいとばか、商人の間で持ち上がっとぉ話があっじゃ。今、ここから帝都に向かう道は、ヤルムの森を抜けて、アールリンデンまで出てから、グァルデリ山脈をぐるーっと回って向かうじゃろ? これ一本しかなぁぜ? それを西に一本、増やしたらどうじゃろぜ…とまぁ、そんな話が出とぉじゃぜに」


「西? しかし、あっちは…」


「わーっとる、わーっとる。西も山が連なっとっじゃ。しかし低い山、低い山を通っていけば、行けんこともない。元は若い行商人がルートを見つけよったんじゃぜ。もし、こっちの道が通って、トゥルクリンデンにまで出れっじゃ、そこから帝都まではセーン川を下ればすぐじゃぜ。そうなれば、今の半分、例のおまンの見つけた黒角馬なんぞで飛ばせば、もっと短く来ることも可能じゃろぜ」


「それはそうかもしれないが…」


 ヴァルナルはテュコほどには嬉しがりはしなかった。

 帝都までの街道が増えるのはいいことのようだが、その整備や維持管理を考えると手放しに賛成はできない。

 そもそも工事を行うこと自体が、相当な費用を要する上に、領地境界に関わってくるので、自分だけの一存で決められることでもない。

 時間も費用も関係者への根回しも相当な労力だ。

 そこまでして取り組むべき必要性と見返りがなければ、とてもではないが安易に首肯できない。


 だがテュコはそんな兄の心中をすぐに察して、ニヤリと商人らしい狡猾な笑みを浮かべた。


「短くなりゃ、運べるモンもあるんぜ、領主様。それもこっちじゃ、ほぼ年がら年中タダで転がっとるもンぞに、帝都に行けば、千倍以上の値段で取引されるもんじゃぜ」

「千倍!?」


 ヴァルナルは目を剥いた。

 こっちではタダ同然で、帝都に行けば千倍の値になるようなものが、一体、この貧弱な土地のどこに転がっているというのだろうか?


 テュコはパイプの煙をふぅと吐くと、勿体ぶって間をあけ、十分にヴァルナルの注意を引き付けてから言った。


「氷じゃ」

「氷?」

「そうじゃ。ヴェッデンボリの湖やら、洞窟やらでもえぇ。氷を切り出して、帝都に運ぶんじゃぜ。夏場なんぞ、そりゃ飛ぶように売れるっじゃ」

「………」


 ヴァルナルは言葉をなくした。

 確かに氷ならば豊富にある。

 冬に限らず、ヴェッデンボリ山脈を少し登れば、中腹の池は夏でも氷が張っているほどだ。


 皇室や一部高位貴族しか口にすることのできない夏の氷は、今はトゥルクリンデン近くにある皇室直轄地の氷室で保存されているものを、セーン川を下って運ばれている。

 だが、それも冬の間に切り出したもので、夏までに徐々に溶けて、帝都に着いた頃には相当に小さくなっているらしい。


「今日、ワシが持ってきた豆もそうじゃが、氷なんぞも庶民には夢のような食い物じゃぜなぁ…病気でもなぁで、夏でもけずが食えるなン、嬉しいて帝都の雀も小躍りしよぉぜ」


 ゴクリ、とヴァルナルは唾を呑み下した。

 確かに、それが本当に叶うのであれば、このサフェナが潤うのは間違いない。しかも収穫前の、一番金がなくなる時期。新たな資金源となるものが加われば、どれだけ助かることか。


 それにこちらから帝都への距離が短縮するということは、同様に帝都からこちらに向かうことも容易になるということだ。

 そうなれば向こうからの物資は届きやすい。物の流通が進めば、人も動き、人が動けば、帝都の進んだ生活水準にこちらも近づくだろう。


 すべてがいい方向に向かうように思えた。

 だが、やはりその前に立ちはだかるのは、莫大な元手と関連各位への根回しだ。


「魅力的な話だが、問題はトゥルクリンデンの主たるダーゼ公爵が納得されるかということだろう。街道を切り拓くには、私だけの力ではとてもではないが無理だ。ダーゼ公はじめ、グレイヴィリウス公爵閣下、それに皇帝陛下からの許しを得る必要もある」

「んん。じゃぜ、奴ら、ワシにわざわざ話を持ってきよったんじゃぜ。なにせ、ワシはあの、黒杖を拝受した英雄ヴァルナル・クランツの弟じゃぜなぁ~」

「……そういうことか」


 単純にこの弟が自分に会いに来るなど、おかしいと思ったのだ。

 最初に言った母親の心配を解消するためというのがついでで、本来の用事はこの事だったのだろう。


「お前、年とってますます狡賢くなってきよったぜ」


 また、昔馴染の言葉に戻ってヴァルナルはテュコを見た。

 ハッハッと弟が笑い、パイプをふかしていると、ノックがして「失礼します」とエッラが入ってきた。

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