第百五十九話 小さな褐色の豆
一方、テュコから挑発的な言葉と共に、小袋を受け取ったエッラはイライラと足音も荒々しく厨房に向かっていた。
この領主館に勤め始めてからというもの、エッラはヴァルナルにそこはかとない恋心にも似た尊敬を抱いていた。時には自分が男爵夫人になるような夢も見ていた。
しかし、あの方言丸出しの商人風情の男と、気安くおしゃべりを始めただけでなく、一緒になってひどい訛りで話しだした途端に、自分の描いてきていた期待やら理想像やらが一気に崩れ落ちた。
憧れていた自分が腹立たしい。
その上、自分と同じような平民であろう男に指図され、ひどく自尊心が傷つけられた。(エッラもまたレーゲンブルトでは名のしれた商家の娘であった)
エッラは厨房に乗り込んでくるなり、バン、とテュコからもらった袋を作業台に叩きつけた。
「はい、これ!」
「…なんだい、これ?」
いきなり現れるなりご立腹のエッラに眉をひそめながらも、厨房の料理人、ソニヤは袋の中身を見て首をかしげた。
黒く小さな粒がいっぱい入っている。
「なぁに?」
「どうかしたんですか?」
ちょうどその時は、夕食に使う食材の下準備中だった。
厨房下女である娘のタイミは当然として、最近では、オリヴェルの授業時間中に暇を持て余したミーナが、以前のように厨房に来て、他愛無いおしゃべりをしながら手伝っている。
ヴァルナル直々に諭されたように、ミーナの仕事は本来オリヴェルの世話係であるが、厨房での手伝いについては、ヴァルナルが特別に許可してくれたのだ。
「豆かい、こりゃ?」
「知らないわよ! 都で
怒鳴り散らすエッラに、ソニヤはふんと鼻を鳴らす。
「知らないってね…そんなわからないものをおいそれと料理なんぞできないよ」
「あんたは料理人でしょう!? 文句言ってないで、とっとと作りなさいよ。いれてこいって、言われてるんだから」
「いれてこい? なんだい? 皿にでも盛ればいいのかい?」
「だから…知らないわよ!」
ソニヤとエッラが噛み合わない会話をしている間に、タイミが袋から中身を一粒取り出した。
「なんだろ? これ」
ミーナはタイミの指先につままれた、小指の先ほどの褐色の艶光りした小さな粒を見て、パチパチと目を瞬かせた。
「それ……」
「え? なに?」
ミーナは袋を引き寄せると、クンと匂いを嗅いで頷く。「やっぱり」
「なぁに? ミーナは知ってるのかい?」
ソニヤが尋ねると、ミーナが答えた。
「えぇ。おそらく珈琲豆だと思うわ」
「こーひーまめ?」
「…どうしてこんなものが、ここに?」
ミーナがつぶやくと、エッラが面倒そうに言った。
「都からの商人みたいな男が持ってきたのよ。偉そうにして、訛りがひどい男。領主様まで一緒になって、ベラベラ喋ってみっともないったら! どうでもいいけど、知ってるんなら、さっさと作ってよ。私が持っていかないといけないんだから」
ソニヤはエッラの高圧的な態度に憤慨したが、それでも客を待たせるわけにもいかない。ミーナに頼んで、その豆をどうすべきなのかを尋ねた。
「臼で粉にするんですけど、匂いがキツイからそれ専用の石臼か何かでないと…」
「困ったね。水車小屋の石臼は小麦を挽くのに使うし、それ以外のも匂いが移るとあっちゃ、あんまり使いたくない」
「じゃあ、袋の中である程度叩いてから、すりこぎで
ミーナの指示で珈琲豆を細かく砕いて
ミーナは火を止めると、しばらくおいてからその上澄みを丁寧にすくって、お茶用のポットに注いだ。
「なに、これ? 毒か何かじゃないの?」
見慣れない黒い液体がポットになみなみと注がれるのを見て、エッラは眉を寄せた。
「いえ…珈琲豆はこうやって飲むもので…あと…」
ミーナは詳しく教えようとしたが、エッラは遮った。
「あぁ、もういいわ! 持っていくから!」
カチャン! と苛立たしい音をたててポットの蓋を閉じると、カップなどと一緒にお盆に載せ、さっさと厨房から出て行った。
「やれやれ、まったく。礼も言いやしない、あの子は」
ソニヤがあきれかえった様子で言うと、娘のタイミはイーッとエッラの去った方に向かって歯を剥いた。
「あんなだから、騎士たちからも嫌われるのよ。性格悪いんだから」
「大丈夫かしら? あの飲み物、あのままだと飲みにくいかもしれないんだけど」
ミーナが心配そうに言うと、ソニヤはヒラヒラと手を振った。
「知ったこっちゃないよ。あんたがせっかくご丁寧に説明しようとしたのを振り切って行っちまったのは、あの子の方なんだからね」
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