第百五十四話 不戦の墓標

「…南部での紛争の時だ。俺達は勝って、後は意気揚々と引き揚げるだけだった。だが、ヴァルナル様が俺達に指示したんだ。

 敵味方関係なく、兵らの遺体を埋葬する…と。

 味方はまだわかる。どうして敵まで埋葬してやる必要があるのかと…俺も思った。だって、その中にはきっと俺の殺した奴もいるはずなんだ。殺し合った相手の遺体を埋葬なんて、馬鹿げていると…その時は思ったよ。

 不承不承に、ほとんどの騎士達は俺と同じように、ぶつくさ文句を言いながら穴を掘って遺体を埋めていった」


 オヅマはうんうんと頷いた。

 そりゃそうだろう。味方であればまだしも、なんだって敵の遺体まで埋めてやる必要があるのか。

 普通は放っておく。

 死者の装備品を身ぐるみっていく死体剥ぎが、荒稼ぎとばかりに跋扈した後には、狼や鴉、禿鷹に食われるままに任せておくものだ。


「ヴァルナル様も…捕虜の交換交渉や、野営地の引き払い、凱旋準備やらで、ほとんど寝てなかっただろうに、俺らと同じように穴を掘って遺体を埋めて、墓標代わりにそこらにある石を置いて…敵も味方も関係なく、同じように土に還ったんだ。

 ヴァルナル様は名も知れぬ敵か味方かもわからない兵士の墓に、かろうじてその場に残って咲いていたシオンの花を供えて帰路についた。俺は思ったよ。偽善だと」


 いつもはヴァルナルについて尊敬してやまないマッケネンですら、この時のヴァルナルの行動には首をひねった。死体を埋葬などをしても、喜ぶ者などいない。まして敵兵の家族が有難がるわけもない。


「でも、そこは象徴の地となった。何千という石が連なって置かれただけの粗末な墓地だったが、帝国側にとっても、南部の部族民にとっても、自らの同朋が傷つき果てた場所として認知された。

 ヴァルナル様がそこまで考えて、埋葬を行ったのかはわからない。でも、あの場所に行って戦の雄叫びを上げることは、誰もできないだろう。無数の死者が証人として足元に眠っているんだ…」


 オヅマは黙りこくった。


 反論はできた。

 歴史教師だって言っていたではないか。

 南部紛争は二年の休戦期間を経て、再度勃発したと。一度目の戦争の時にだって、人々は死んでいたはずだ。なぜその時に二度目を回避することができなかった?


 人は何度も繰り返す。

 失敗を。成功を。

 成功だと思っていたことが、時を経て失敗であったと気付くこともあるし、気付かぬままに過ごすこともある。逆もまた然り。


 人の紡ぐ歴史に明確な答えなどない。

 現在を基準に過去の優劣や善悪を評価するのは意味がない。なぜなら、現在ですらもいずれの未来において過去となるからだ。……


 先日、歴史の授業で話していたジーモン老の言葉が蘇る。

 聞いた時には何を言っているのかと思っていたが、今、なんとなく意味がわかるような気がする。


 マッケネンの話は続いていた。


「一度、ヴァルナル様に伺ったことがあるんだ。どうしてあの時、埋葬したのか、と。そうしたら―――」



 ―――― 自分の心の安寧のためさ。ただの、独り善がりだ。



 苦味を含んだその言葉を、空虚な諦観を浮かべた灰色の瞳を、マッケネンは忘れられなかった。

 帝国で一二を争う騎士であっても、歴戦をくぐり抜けた勇者であっても、彼もまた人であった。自分と同じ、人の死に心を痛める人間だった。


「俺は、ヴァルナル様ほどに秀でた人間じゃない。ただの凡人だ。だからこそ、本来であれば人を殺した経験は後になるほどに重荷になったはずだ。俺が殺した人間、ひとりひとりに、自分と同じように家族がいたのだろうと、当たり前のことを考えるほど、つらく感じて…下手すれば精神こころを病んでいたかもしれない。

 だから、今は有難く思っている。あの場で、あの時に、敵味方関係なく埋葬したことが、今の俺を救ってくれている。あの行為は俺にとって必要な贖罪だったんだ」


 言いきってから、マッケネンは自分の長広舌が恥ずかしくなって、胡麻化すように笑って物置小屋から出て行く。

 オヅマは後に続きながら、ヴァルナルに言われたことを思い出していた。



 ―――― オヅマ、人を殺すことを、当たり前だと思わないでくれ。それでお前は苦しむかもしれんが、受け止めなければならない



 哀しそうに言ったヴァルナル。

 あの日オヅマが言ったように、自分を憐れんでいるだけだと、ただの偽善に過ぎないと、きっと非難されることも多かったろう。

 それも含めてヴァルナルは受け止めた。

 自らが行った殺戮への嫌悪も、矛盾も、虚しさも。


 いっそ…ただ、命令されるままに人を殺し、何の痛痒も感じぬほどであれば、ずっと楽に生きられるのだ。

 仕方がないと、自分には選択肢はなかったのだと、必死に言い繕って言い訳して、精神こころを摩耗し鈍麻させてゆけば。


「………」


 不意に頭が痛む。

 閃光のように脳裡をかすめたのは、反吐が出そうなほどに平然と人を殺していく無情な男の姿だった。


 顰め面になって立ち止まったオヅマを振り返り、マッケネンは苦笑して謝った。


「すまんすまん。オッサンの説教なんぞ、若いモンには有害でしかなかったな」


 オヅマは軽く吐息をついた。

 顔を上げると、肩をすくめて重苦しい雰囲気を払う。


「ホントだよ。オッサンはいちいち話が長い」

「オッサン言うな!」

「マッケネンさんが自分で言ったんじゃねーか」

「自分で言うのはいいが、人から言われると腹が立つんだよ!」


 オヅマは笑った。

 心から笑えた。


 大丈夫だ。

 ここの人は、誰もオヅマに殺人を強制したりはしない。

 誰もオヅマを脅したりはしない。

 彼らと一緒にいる限り、自分はでいられるはずだ……。

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