第百四十五話 家庭教師たち

 ミーナやヴァルナルの思惑は知らず、オヅマはひとまず言われたままにオリヴェルと一緒に勉強することになった。


 帝都から迎えられたのは三人の教師。


 一人はトーマス・ビョルネ。

 今年二十三歳になる比較的若い教師であったが、彼はアカデミーに十歳で入学したという俊英だった。通常は十五歳前後が入学する者の平均年齢であるので、これが相当な特別待遇であったのは間違いない。


 元々は黒角馬の研究員の一人として来ることになっていたが、オリヴェルの家庭教師を探していたヴァルナルの代理人が、彼が研究班に入っていることを知って白羽の矢を立てたのだった。


 だが何よりオヅマ達が驚いたのは、彼がオリヴェル付きの主治医でもあるビョルネ医師の双子の兄だということだった。


「すげぇ似てる」


 ビョルネ医師が兄と一緒に紹介に訪れた時、思わずオヅマがうなると、トーマスはケラケラ笑った。


「そりゃ、似てるだろうねぇ。双子だから」

「うわっ! 眉の上のホクロが左右対称だ。なんで?」

「それはだね、双子というのは産まれた時にさっくり真ん中で切って開くんだ」

「トーマス! 嘘を吹き込むんじゃありません!!」


 職業柄丁寧な言葉遣いが身に染み付いているロビン・ビョルネ医師に比べると、トーマスは学生からそのままアカデミーでの研究員となって長くいたせいか、くだけた物言いだった。


 彼の研究テーマは『生物の親子間特性が伝達する場合の相違あるいは突発異変要件についての考察』という意味不明ふくざつなものであったが、オヅマ達に教えることになっているのは数学だった。

 学生であった頃にアカデミー主催の数学コンクールで何度も優勝したことがあり、数学分野での教師免状も持っていたからだ。


 だが天才であっても人を教える…まして貴族の令息の家庭教師などは初めての経験だったので、その授業内容はまったく型破りだった。

 教科書通りに進まないトーマスの独特な指導に、オリヴェルは四苦八苦したが、オヅマの方はどんどんのめりこんでいった。

 元々マッケンに教えてもらっている頃から、数学はオヅマの得意科目だった。矛盾のない答えが出ること、その筋道が明解であることが、オヅマには心地よかったからだ。


 トーマスはオヅマに数学的な好奇心が旺盛であるのをすぐに見抜くと、普段の数学の基礎的な学問の他に、自らが考えたパズル的なものや、一風変わった謎解き問題をやらせた。


「キミ、将来アカデミー目指したらどうだ?」


 トーマスはいつもの軽い口調の中に、少しばかりの真剣味を混ぜてオヅマに言ったが、オヅマはげんなりした。

 マッケネンから聞いているが、アカデミーに入るための勉強は相当に難しいらしい。数学だけではなく、広範囲な知識を求められるのだという。


「ムリムリ」


 即座に否定したオヅマにトーマスは少しばかり残念そうではあったが、授業は手を抜かなかった。

 もっとも「自然の中にある数式を発見しに行こう!」と言って、そのまま鱒釣りを始めたこともあって、これにはヴァルナルもやや苦言を呈していたが。


 トーマス・ビョルネ先生に対するオヅマの評は「変人。時々まとも」だった。



 次に帝国古語、帝国公用語と、主に西方諸国での主流言語であるルティルム語を教えるケレナ・ミドヴォア。

 年齢については特に言わなかったが、三十代前後であろう。


 彼女は特に教師免状などは持っていなかったが(そもそも帝国においては女子が通う教育機関そのものがなかった)、両親の都合で幼い頃に西部連合の一つであるラーナヤ王国で過ごし、そこで読み書きといった極めて初歩の教育を受けた。

 成人後に両親と共に帝国に戻って結婚したが、夫は一年ほどして事故で亡くなり、未亡人となった彼女は得意分野である語学経験を活かして家庭教師の職についた。

 数人の令嬢方の指導を行い実績を積み重ねる中、ヴァルナルが代理人を通じて語学堪能な人物を教師として迎えたいと募集し、ちょうど別家でそろそろ家庭教師を辞める予定であったケレナをその家の主人が推薦した。


 もっともケレナ自身は自分が男の子の家庭教師などになれると思っていなかった。女が男に物を教えるなど、傲慢極まりないと考える帝国人は男女問わず多数派だったからだ。

 しかし、ヴァルナルは緊張状態にある西部連合との、今後起こりうるかもしれない最悪の事態も考え、西方地域の言語、風俗、習慣も含めた知識の深い人物を望んでいたので、ケレナはまさしく最適の人物であった。


 彼女は教師としての自分に自負もあったし、教え方も丁寧で、温厚な人物であったが、自分の容姿についてはあまり自信がなかったようだ。

 痩せぎすで、女にしては背が高いことを嘆き、ひっつめるのも大変だというボリュームのある焦茶色の髪を、いつも手でギュウギュウと押さえつけるのが癖になっていた。


 一度、ヴァルナルが授業の様子を見に来た時には、緊張からか髪をやたらと触っていたせいで、最終的には髪留めが外れてしまって、ばっさり髪が落ちてしまった。

 いちばん見られたくない自分のみっともない姿を、よりによって雇い主である領主様に見られてしまったケレナは、真っ赤になって不浄場トイレに籠もってしまった。

 オヅマやオリヴェルも含めて男性陣は呆然とするばかりで、ミーナがケレナをなだめてどうにか落ち着かせたものの、その日の授業は中止になってしまった。


 翌日になって自分の非礼を詫びた後、ケレナはいつも通りに授業を始めたものの、やはり髪を押さえる癖はそう簡単に治らないようだった。


「そんなに気になるなら、毎日髪の毛を濡らしておいたらいいんじゃないですか?」


 オヅマがあきれて言うと、ケレナは真面目な顔で答えた。


「それは一度やってみたけど、冬は駄目です。一日で風邪を引いてしまったので」

「えぇ? 本気でやったの?」

「えぇ。でも乾いてきたら、もっとひどい状態になってしまうし、あまりいい方法ではないのです」


 ケレナが嘆息するのを見ながら、オヅマも首をかしげた。

 隙間なくきつく編み込まれてびっちり後ろで纏めたケレナの髪はさほどに乱れているわけではなかった。本人だけが気にしているのだろうと思う。 


「……やっぱ先生って、ちょっとヘンだな」


 オヅマのケレナ・ミドヴォア先生に対する評価は真面目な変わり者だった。 



 残りの一人は歴史、哲学、礼法について教えてくれるジーモン・アウリディス教授。年齢は六十を越していることがわかるのみだ。


 この老教授は最初の挨拶から石像のような人であった。刻み込まれた皺はほとんど動くことがなく、表情はいつも無愛想なまま固まっていた。


 かつては帝都アカデミーの歴史学教授であったらしいが、神話体系に関しての激しい論争に敗れて、アカデミーを去ったらしい…ということは、トーマス・ビョルネが噂として聞いたのをオヅマ達に語ってくれた。


 礼法について詳しいのは、今は没落したが伯爵家の出で、その伯爵家は代々皇室に侍従を出すほどの名門であったので有職故実の知識が深く、そのこともあって選ばれたのだろう…とこれまたトーマスが教えてくれた。


 しかし彼もまた、他の二人とかわらず…いや、比較しても相当な変わり者であった。それは最初の歴史の授業ですぐにわかった。


「御二方とも既に歴史については学ばれておるようだが、今はどのあたりことについてご存知かな?」


 オリヴェルは自主的な学習の他に、ロビン・ビョルネ医師からも時折話を聞いたりしてパルスナ帝国の中期に起きた内乱ぐらいまでは知識があったし、オヅマはマッケネンのスパルタ授業によって少なくともパルスナ帝国の成り立ちから草創期のあたりまでは習っていた。

 二人の説明を聞いた後、ジーモン教授はやはり無表情に顎髭をしごきながら、首を振った。


「つまらんですな」

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