第百四十四話 盛大なる誤解

「領主様。グレヴィリウス公爵家ほどのお家柄であれば、その近侍となるべきは、爵位のある家のご子息であろうかと思います。オヅマは領主様の格別のお引き立てで、今、ありがたくも騎士の末端である見習いとして仕えさせて頂いておりますが、とても公爵家の若君のお側に上がるような身分ではないと思います」


 とうとうその話に及んで、ヴァルナルの顔に緊張が浮かんだ。「あー…うん…」と頷いてから、何度か咳払いした後に、ヴァルナルはおずおずと言った。


「だから……その、オヅマを……息子……に」

「息子? オヅマをですか?」


 ミーナは思わず聞き返した。だが同時に、ヴァルナルがこの話をミーナにしてきた理由も実はそこにあったのだと思い至る。


 ヴァルナルはヴァルナルで、もう心臓が飛び出そうなくらいに激しく鼓動していた。


「あ……あぁ、そうなんだ。その……できれば、そうなればいいかと、思って、いるんだが……どうだろう?」


 問いかけたがミーナの返事はない。眉を寄せて考え込む姿を見て、ヴァルナルはあわてた。


「いや! 元々考えてはいたんだ。なにも今回の話にかこつけて、急にそうしようと思ったわけじゃなく!」


 ヴァルナルとしては、小公爵の近侍の話が出たからミーナとのを望んでいるのだと思われることだけは避けたかった。そうした自らの利得だとか、義務としての婚姻でミーナを縛ることはしたくなかったのだ。


 一方、ミーナは料理人のソニヤや、やたらと厨房に入り浸るゴアンから聞いた、ヴァルナルが騎士になった経緯を思い出す。

 ヴァルナルは元は商家の出で、剣術の才能を当時の公爵家の騎士団長であったクランツ男爵に見出され、養子に入ったのだという。

 そういう人であるならば、オヅマの才能を買って、として育てようという気になったのも頷ける。

 親としては息子が認められることは嬉しいが、やはりヴァルナルにはオリヴェルという歴とした息子がいることを考えると、ミーナは素直に喜べなかった。


「……若君はどう思われるでしょう」

「オリヴェル? オリヴェルは無論、喜ぶだろう。元々、一人きりで寂しい思いをしていたのが、貴女達親子が来てくれたことで元気になった。むしろ、私などよりも、ずっと積極的に勧めてきたくらいで…」


 ヴァルナルは話しながら、ついこの間、オリヴェルに真剣な顔で言われたことを思い出す。


「父上。僕はおそらく父上の後を継いで騎士になることはできません。だから、もし将来オヅマが僕の兄上になってくれるなら…それで父上の後を継いで男爵になることも、譲ります。だから……僕に遠慮して、諦めたりしないで下さい。ミーナにも、そう言って下さいね」


 まさか息子から結婚を勧められるとは…と、ヴァルナルは少々自分が情けなかったが、オリヴェルはオリヴェルで、自分が親の結婚の足枷になってはいけないと必死で考えたのだろう。

 幼い息子だと思っていたが、時々こうした早熟なところがある。


 ミーナはオリヴェルが賛成してくれていると知って、少しだけホッとした。この事が原因で、子供達の仲にひびが入るようなことだけは避けたかった。

 オリヴェルにわだかまりがないのなら、オヅマがヴァルナルのとして、自ら望む騎士としての道を歩んでいくのを、ミーナが止める道理はない。

 これまでと同じように、見守っていくだけだ。


「ありがとうございます。元々考えていて下さったなんて…嬉しいです」


 ヴァルナルはミーナの言葉に、ポカンとなった。

 思わず確認する。


「え? ………本当か?」

「えぇ。有難いことです」


 ミーナはニコリと微笑む。


「…………そう、か」

「はい」


 この短い会話は、双方ともに重大な誤解を孕みながら、不思議に成立してしまった。


 ヴァルナルはぎこちなく、やや含羞はじらいを含んだ笑みを浮かべ、ミーナはそんなヴァルナルに優しい微笑みを返す。

 見つめ合いながら、互いが実はまったく別の方向を向いていることに、ヴァルナルもミーナも気づいていなかった。


「そうか……」


 もう一度、確認するようにつぶやいて、ヴァルナルはじっくりと自分の気持ちを噛みしめた。

 何とも言えぬ甘美な高揚感だ。しかしすぐに浮足立つ自分を戒めた。

 ミーナがを承諾してくれても、今度はオヅマという壁が待っている。


「オヅマのことだが、私から話そうと思う。簡単に父親とは認めないだろうが……」

「まぁ、そんな。オヅマは領主様のことを大層尊敬もしていますし、憧れております。急なことで驚くかもしれませんが、きっと喜ぶと思います」

「………そうだろうか……?」


 冬の神殿でオヅマから言われた言葉が頭から離れない。



 ―――― 俺は父親はいらない



 あの拒絶はそう簡単に覆ることはないだろう。

 オヅマの『父親』に対する拒否反応は、相当に根深い。

 だが、実の息子であるオリヴェルに対してすら、ようやく父親らしい態度で接することができるようになったのは、ついこの前からだ。自分が父親であることを長年放棄してきたのだから、これくらいの冷遇は甘んじて受け入れるべきだろう。

 その上で、いつかわかりあえるための努力を怠らないことだ。


「いずれにせよ、オヅマには準備としてオリヴェルと一緒に勉強させようと思っている。今回の帝都からの黒角馬の研究者の中に、教師として招いた人達もいるのだ。彼らから学んで、できれば今年中……は無理としても、来年には近侍として公爵家に行ってもらいたい。あちらに行ってからも、無論、小公爵様らと一緒に多くのことを学ぶだろう」


 やや早口になって話すヴァルナルに、ミーナは頭を下げた。


「何から何までご配慮いただいて、有難うございます。ただ、オヅマにはまだ小公爵様付きの近侍となることは知らせないでもらえますでしょうか」

「それは……どうしようかと思っていたが、なぜだ?」

「あの子はこれまで、騎士になるために頑張ってきました。いきなり近侍と言っても、おそらく拒絶することでしょう」


 ヴァルナルは頷きながらも、一応訂正する。


「近侍ではあっても、騎士としての修練はしてもらうがな」


 近侍には当然ながら小公爵の安全を守るという役目もあるので、護衛としての修練を積むのは当然だった。そもそも下位貴族の子息であれば、騎士の目録を取るぐらいのことは当然とされている。


 ミーナは頷いたが、息子の頑固な性格もわかっていた。


「丁寧に説明すればわかるだろうと思いますが、すぐには受け入れないだろうと思います。それに、もうひとつ」

「なんだ?」

「若君から聞きました。小公爵様はご自分のことについて、ご自身の口から直接、オヅマとマリーに話したいと思っていらっしゃる、と。今、オヅマに小公爵様付きの近侍となることを言えば、きっと不思議に思って色々と小公爵様について周囲にも聞いて回ることでしょう。もし、不本意な形で耳にすれば、あの子のことですから、アドリアン様が自分に正体を明かさなかったことを不満に思って、むくれてしまうかもしれません」


 ヴァルナルはプッと吹いた。


「さすが…母親だな。よく見ている」

さとせばわかってくれるだろうとは思いますが…小公爵様ご自身のお考えを尊重した方がよいように思います」

「あぁ…そうだな」


 ヴァルナルは頷いてから、穏やかな目でミーナを見つめた。

 本当に、思慮深く、篤実な人だ。自分のような無骨な男には、もったいないくらいだが、もはや彼女はなくてはならない人だ。


「ミーナ」


 ヴァルナルはおもむろに立ち上がると、たった四、五歩の距離であってももどかしいのか、足早にミーナに近づいてその手を取った。


「ありがとう。受け入れてくれて、嬉しく思う」

「……あ……はい」


 ミーナはいきなりこちらに来て手を握られたことで、びっくりしてしまった。途端に心臓が跳ねて、顔が火照ってくる。


 ヴァルナルはその顔を赤らめたミーナの姿を、愛しく思って、手に力を込めた。


「正式には、また後日……ちゃんと申し込みたいと思っている。今は少々忙しいので、すぐには無理だと思うが、きちんとしたいんだ。待っててもらえるだろうか?」

「……はい。わざわざ、有難うございます」


 ミーナは内心で首をかしげた。

 貴族の子弟を迎え入れるというのならともかく、一平民の子供と縁組をするのに、さほどに形式ばってやるという話はきかない。

 そもそも卑賤の身分を迎え入れることは、貴族であれば恥とされるので、大袈裟にはしないものなのだ。

 しかしヴァルナルの真摯な瞳を見て、ミーナは納得した。

 おそらくヴァルナルがきちんとしたいと言うのは、オヅマの親であるミーナへの礼儀なのであろうと。


「それでは、私はこれで」


 ミーナが辞去を告げると、ヴァルナルはややぎこちなく頷いて、名残惜しいながらもそっと手を離した。


「あぁ。う…む。では……また」


 いつも通りにミーナは召使いとして礼儀正しく頭を下げて出て行く。


 ヴァルナルは手のひらに残った滑らかな肌の感覚を一旦握りしめてから、息をつくと、机の隅に積まれた書類をとって仕事を始めた。 


 こうして ――――


 盛大な誤解を生じたまま、彼らはひとまず自分達の仕事に戻った。

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