第百四十三話 息子と小公爵様

 ヴァルナルが視察から帰った翌日、ミーナはヴァルナルの執務室にばれた。


「オヅマを…近侍に?」


 ヴァルナルから話を聞いて、ミーナは信じられなかった。

 公爵家の継嗣であるアドリアンがレーゲンブルトにきて、騎士団の訓練を受けさせるために、同じ年頃のオヅマが対番ついばんになることは理解できた。だが、あくまでこのレーゲンブルトにいる間だけの、暫定的な関係であろうと思っていたのだ。


「とても…有り難いお話ではございますが……あの子に務まるとは思えません」


 ミーナは息子の性格を冷静に見極めた上で言った。

 騎士としてならばともかく、近侍というのは主人の身の回りの世話を含め、来客の接待や備品管理といったあらゆる雑務をこなしていかなければならない。

 そのため、ただあるじに仕えればいいというものではなく、周囲の人間との関係性も円満に運んでいく必要がある。

 オヅマは素直で明るい性格ではあるが、貴族の家で働くには少々口が過ぎることがある。言葉遣い一つをとっても、とても務まる職務とは思えなかった。

 ヴァルナルは頷いてから、クスッと笑った。


「まぁ…貴女あなたの心配はわかる。オヅマの素直さは、我の強さでもあるからな。なかなか、小公爵様のように受け入れてくれる人間ばかりではないだろう」


 ミーナはコクリと頷いた。

 小公爵であるアドリアンにしろ、目の前のヴァルナルにしろ、オヅマはむしろ恵まれているといっていい。通常の貴族階級の人間であれば、オヅマの言動を不快に思って、とうに放逐されていてもおかしくない。


「だが、貴女も薄々感じていたかもしれないが、小公爵様は公爵邸において、必ずしも心地の良い環境にいるとはいえない」


 ヴァルナルの言葉に、ミーナは子供にしてはあまりに落ち着き払ったアドリアンのことを思い出す。

 昔、ミーナが働いていた商家の子供達でさえ、もっと我儘で気まぐれであったものだが、帝国の一、二を争う大貴族の若君にしては、アドリアンは大人しく忍耐強かった。

 そもそも自分の身分を隠して、一騎士見習いとして、隙間風の吹き込むような小屋に寝泊まりするなど、普通の貴公子であれば憤慨して癇癪を起こしているだろう。

 よほどに公爵家での教育が行き届いているのだろう……とミーナは内心で感嘆しつつも、一方で老成したアドリアンの姿が痛々しかった。

 それは子供にしてはあまりにいびつで、アドリアン自身もまた苦しんでいたのは、誘拐事件のあったあの日に、ミーナの腕の中で堰を切ったように泣きじゃくった様子から明らかだ。


「公爵家で、小公爵様は我慢を強いられているのですか?」


 ミーナの口調は少しだけ怒りを帯びた。

 もはやアドリアンもミーナにとって、家族に近い気持ちを持つほどにちかしい存在だった。彼が不遇であることは、ミーナも嬉しくはない。


「貴女は……やさしいな」


 ヴァルナルはミーナが厳しい顔つきで問いかけてくるのを見て、思わずぽろりと言った。

 ミーナは戸惑いつつ、ヴァルナルに小さく抗議する。


「領主様。私は、心配しているのです」

「あぁ、すまない」


 ヴァルナルは笑ってから、顔を引き締めた。

 どうにも不意に気持ちが溢れてきてしまう。止めようがない。


「確かに貴女の言う通り、小公爵様は我慢を強いられることが多い立場にある。普通、公爵家の息子であれば、もう少し我儘であってもよさそうなものだが、アドリアン様はグレヴィリウス家の教育方針もあって、あまり自分を出されぬ……出さぬように訓練されているのだ。

 だからこそ私はここに連れてきた。オヅマがきっと小公爵様の硬くなった感情をほぐしてくれるだろうと思ったからだ。実際、その通りになって小公爵様は随分と素直に気持ちを表すようになられたし、私はこれはいい傾向だと思っている。

 だが、やはりあちらに戻ればここにいた時と同じようにはいかない。小公爵様ご自身もそれはわかってらっしゃるし、納得された上で過ごされておいでだが……」


 話を聞きながら、ミーナの脳裡にはレーゲンブルトここでのびのびと過ごしていたアドリアンの姿が浮かんだ。

 オヅマにからかわれて大声で怒ったり、二人で台所に忍び込んでハムをつまみ食いしてソニヤに叱られたり。

 来たばかりの頃はヴァルナル以外の人間には心を許していない感じであったが、日が経つにつれ、オヅマを通じて領主館の使用人達とも気安く話すようになっていた。


 それに……ミーナは知っていた。

 少々人見知りのするアドリアンのために、オヅマが領主館の使用人達を紹介して回っていたことを。

 いかに対番とはいえ、四六時中一緒にいるわけではない。

 アドリアンが一人でいても、困ることのないように、自分以外の人間にも頼み事ができるようにと、オヅマはそれとなく環境をつくってやったのだ。

 もっとも、当人はまったくそういうつもりもなく、


「なんでも俺に聞くな! もっと詳しい人がいるんだよ! そっちに訊いた方が早いだろ!」


と、あくまで自分の手間が増えるのを嫌がっただけ…というのもあるが。


 だが、もしオヅマがアドリアンのことを嫌っていたなら、そんな気遣いはしなかっただろう。なんだかんだと文句を言いながら、オヅマにとってもアドリアンは気の合う友達であったのだと思う。

 目覚めてアドリアンが家に帰ったことを聞いてから、オヅマはほとんどアドリアンの話をしなかった。

 それとなくミーナが話をしてみると、


「まぁ、仕方ないんじゃねぇの。元からずっとここにいる予定じゃなかったみたいだし」


と、あっさり納得しつつも、つまらなさそうにため息をつく回数は多かった。


「オヅマが小公爵様の支えになることができればよいとは思いますが……」


 ミーナは二人の少年たちが、ここにいた頃のように楽しく過ごせるのであれば、すぐにも賛成した。

 しかし、グレヴィリウス公爵邸で働くとなれば話は別である。

 下手をすれば、オヅマの言動がアドリアンに迷惑をかけるかもしれない。いや、絶対に迷惑をかける。奔放な息子のことを思い浮かべて、ミーナは確信していた。


「あの子には……近侍は務まりません」


 ヴァルナルは苦笑いを浮かべた。

 予想はしていたが、ここまではっきりと言われるとは。

 しかし、素直に折れることもできない。将来的に騎士になるとしても、グレヴィリウス公爵家の騎士になるのであれば、それなりの礼儀作法や教養は求められるのだから。

 小公爵様付きの近侍として、しっかりとした学習の機会を得ることは、オヅマの心身の成長にとっても、意義のあることなのだ。


「実は、小公爵様にこの話をしてしまってな…その時の小公爵様のお喜びようといったら……がんばってどうにか叶えるようにと…激励されてな」

「まぁ……」


 ミーナはアドリアンの気持ちを嬉しく思いつつも、やはり複雑だった。

 息子が失敗することよりも、公爵家で長く忍従を強いられてきたアドリアンが、オヅマの不手際のせいで、より苦境に立たされでもしたら、申し訳が立たない。


 それに……気になることが一つある。

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