第百四十一話 ヴァルナルの教え
ヴァルナルはコホンと咳払いすると、ベッドの横に置かれている椅子に腰掛けた。
「別に家族になったわけじゃない。お前が意識を失くしている間に、そんな勝手なことをするわけもないだろう」
「………」
オヅマは眉を寄せた。
母の反応を見る限り、勝手に結婚したとかいうのではないようだが、それにしても随分と仲良くなっている気がする。
だがそれを認めるのも癪で、オヅマは話題を変えた。
「それで…俺、詳しいことあんまり聞いてないんですけど、もう大丈夫なんですか? アドルが帰ったのって、今回のことのせいですか?」
「あぁ…そうだな…」
ヴァルナルはオヅマの様子を慎重に窺った。
ほぼ昏睡状態となっている間も、オヅマは何度か意識を取り戻すことがあったのだが、その度に意味不明なことを口走ることが多かった。自分で自分の首を絞めるようなことまでしたくらいだ。
おそらく初めて殺人をしたことによる衝撃なのだろうとヴァルナルは推測していたが、まだ引きずっていないだろうか?
とりあえず一連の事件のあらましを説明すると、意外にもオヅマはダニエルの殺人についてあっさりと肯定した。
「じゃあ、俺があの男を殺したのは問題ないですね」
冷淡な口調でオヅマが言うのを、ヴァルナルは違和感を抱きつつ頷いた。
「あぁ。あの状況で捕縛は難しかったのだろうと……アドリアンも言っていた」
「マリーを殺そうとしてたんだから…殺されたって当然だ」
オヅマは固く組んだ自分の両手を見つめながら断じる。
ヴァルナルの方を見ようとしないその目は暗かった。
「オヅマ…あの男が死んだのは自業自得だが、お前が殺すことは当然じゃない」
「………」
オヅマはどんよりとした目でヴァルナルを見た。
「人を殺すことを、当たり前だと思わないでくれ。それでお前は苦しむかもしれんが、受け止めなければならない」
オヅマはその言葉をゆっくり反芻してから、眉を寄せる。
「………戦場で、何十人…何百人と殺してきた人が言うんですか?」
「あぁ…そうだ」
オヅマの辛辣な問いに、ヴァルナルは苦しそうに頷く。
オヅマは拳を握りしめながら、うめくように言った。
「そんなの…おかしい。そんなの…自分を憐れんでるだけじゃないか。何の意味があるんだよ」
「オヅマ……」
何か言いかけるヴァルナルを遮って、オヅマは話を打ち切った。
「事件がもう終わったんなら、俺から言うことは何もないです。マリーとオリヴェルが無事ならいいし。この部屋もお客様用だから、明日には兵舎か…下男部屋にでも移ります。オッケの部屋が空いてるでしょう?」
オヅマの中であの事件はすっかり過去のものになっていた。
首謀者は死に、騒動は終わった。それ以上のことを自分が考える必要はない。そう。考えなくていい。考えても、仕方ないのだから ―――。
ヴァルナルは無機質な表情になったオヅマを心配そうに見つめていたが、軽く息を吐いて気持ちを入れ替えた。
「いや。お前には別に部屋を用意する。それまではここにいればよい」
「は? なんで?」
怪訝にオヅマが問うたが、ヴァルナルは答えず、さらにつけ加えた。
「下男の仕事もしなくてよい。それとこれからはオリヴェルと一緒に授業を受けてもらう」
「はい?」
「マッケネンから基礎的なことは学んでいたようだが、今後は礼法も含めて、専門の教師から教わるように。あぁ、それと今日はまだ歩くのも難しいようだからいいが、今後、食事は私達と一緒にとってもらう」
次から次へと奇妙なことを言われて、オヅマはすっかり面食らった。
「何言ってんですか? 食事って……領主様と、ってことですか?」
「そうだ。礼儀作法も、実地で学ぶのが一番早いからな」
「なんで食事の礼儀作法なんて学ぶ必要があるんですか? 関係ないでしょう、騎士になるのに」
ヴァルナルはフフっと意味深に笑って立ち上がると、オヅマに尋ねた。
「騎士になるのは、何の為だ?」
あまりに基本的な質問だ。
「……強く……なるため?」
オヅマは反射的に答えつつも、自信がなかった。
案の定、ヴァルナルがゆるく首を振る。
「強くあろうとすることは騎士にとって必要だが、それが目的となってはいけない。オヅマ、お前はもう体現している。お前があの男を殺したのは、なぜだった?」
「それは……マリーを助けるために」
「そうだ。騎士は護るべきものの為に、騎士になる。そのために体も心も鍛えていくのだ。覚悟しろ、オヅマ。これまで以上に、厳しくてしていくつもりだからな」
楽しそうに言ってヴァルナルが立ち去った後、オヅマは呆然とつぶやいた。
「嘘だろ…」
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