第百四十話 仲良い家族?

 オヅマが完全に目を覚ました三日後、ヴァルナルが領主館に帰ってきた。

 公爵からの処分があった翌日にアールリンデンを発ったヴァルナルは、その足で領地視察を行い、十日ほどかけて領府レーゲンブルトに戻ってきたのだ。


 夕暮れ間近に帰ってきた領主様を出迎えた一同の中で、特にニコニコと笑って中央にいたのがオリヴェルとマリーだった。

 二人の嬉しそうな様子に、ヴァルナルは疲れがふっとゆるんだ。


「どうした二人とも。えらくご機嫌だね?」


 ヴァルナルが尋ねると、オリヴェルとマリーは目を見合わせてから、また笑った。


「実は……」


 オリヴェルが話そうとすると、マリーはヴァルナルの手を掴んだ。


「駄目よ、オリー。領主様、こっちに来て!」


 マリーがヴァルナルを引っ張って行こうとするのを、ミーナはあわてて制止しようとしたが、ヴァルナルが手で止めた。


「いや、構わない。マリー、どこに連れて行ってくれるんだい?」

「こっち!」


 マリーだけでなく、オリヴェルももう片方の手を掴んで、ヴァルナルを引っ張っていく。

 ヴァルナルは案外と強い力で引っ張るオリヴェルに成長を感じた。今では階段を登るのも、息切れする様子もない。あるいは病が治癒したのではないか……とひそかな希望を持ってしまう。

 無論、病が治ろうが治るまいが、オリヴェルが愛すべき息子であることに変わりはないが。


 二人が引っ張っていく先が、療養しているオヅマの部屋だと気付くと、ヴァルナルは思わず問いかけた。


「オヅマの意識が戻ったのか?」


 二人はニコと笑って答えず、扉を開く。


「お兄ちゃん! 領主様が帰ってきたよ!」


 マリーがヴァルナルと手を繋ぎながら入って行くと、オヅマはしばらくその光景に固まった。背後からはオリヴェルと母であるミーナの姿も見える。

 オヅマは読んでいた本をかたわらに置くと、キッとヴァルナルを睨んだ。


「オヅマ…戻ったか」


 ヴァルナルはオヅマの剣呑とした様子に少し驚きつつも、鷹揚に微笑んだ。


「………戻ったのは、領主様の方じゃないんですか?」

「それもそうだな」 


 オヅマはニコニコと笑っているヴァルナルと、同じように笑顔の母を見て、ムスっと仏頂面になった。

 兄の不機嫌な様子に、マリーが小首をかしげる。


「どうしたの? お兄ちゃん。なんで怒ってるの?」

「……なんでもねぇよ」

「お腹すいた?」

「違う」

「じゃあ、なんで怒ってるの?」

「怒ってんじゃなくて! その……なんか……仲良さそう…だな…って」

「え?」


 聞き返したのはマリーだけではなかった。その場にいた全員が、揃って訳がわからないような顔になるのも、オヅマにはひどく落ち着かない。

 くしゃくしゃと頭を掻いてから、ヴァルナルに問いかけた。


「まさか、俺が寝てる間に勝手に家族になったんですか?」


 ヴァルナルとミーナは絶句し、オリヴェルとマリーはぽかんと口をあけた。

 一番最初に反応したのはミーナだった。真っ赤に上気した顔で、病み上がりの息子を怒鳴りつけた。


「何を馬鹿なこと言ってるの! まだ寝ぼけているの?!」


 下からマリーがあどけなく問うてくる。


「お母さん、私達、家族なの?」


 違います! と言いかけてミーナは口ごもった。

 オリヴェルがじっと見つめてくる。その瞳にはかすかな期待があった。


「…………」


 ミーナは困って、うつむいた。


 オリヴェルの世話をするようになってから、もう一年になる。

 長く淋しい境遇にあったオリヴェルに同情し、ミーナは誠心誠意、仕えてきた。時に、オリヴェルがあまりに自分を卑下して、投げやりなことを言うと、厳しく叱ることもあった。

 今では、息子同然に思っている。

 オリヴェルもまた、ミーナのことを母同然に思って打ち解けてくれている。

 その目の前で『家族ではない』と断言することは、ミーナを信じてくれているオリヴェルを失望させてしまうだろう。


 それに ――――


 ミーナはチラっとヴァルナルを見た。マリーの質問に、戸惑いながらも朗らかな笑みを浮かべている。

 ミーナはなぜか胸がしめつけられた。

 さっきから無礼な態度の息子にも、寛容な領主様。

 彼の前で『家族ではない』と、はっきり言うのが正直、嫌だった。

 それに ―― どこかで、ヴァルナルきっぱり否定しないでいてくれることに、喜んでいる自分がいる……。

 ミーナは自分に湧き起こる、甘く、不穏な気持ちを静かに押し隠した。


「………オリヴェル様。そろそろ夕餉ゆうげの時間でございますから、お召し替え致しましょう」


 ミーナが声をかけると、オリヴェルは頷いてから、ヴァルナルに尋ねた。


「じゃあ、父上……今日は一緒にお食事できますか?」

「あぁ、もちろんだ」


 ヴァルナルが頷くと、オリヴェルは嬉しそうに笑って、オヅマに声をかけた。


「オヅマも一緒にどう?」

「まさか」


 ヴァルナルが帝都に行って留守の時には、オリヴェルが一人では寂しいからと、母やマリーも加えたみんなで一緒に食事することはあったが、さすがに領主様と一緒のテーブルにつくことなど考えられない。

 オリヴェルは少し残念そうに笑って、無邪気に言った。


「これでみんなで食事できたら、本当に家族みたいなのにね」


 オヅマとミーナは固まり、ヴァルナルは苦笑し、マリーだけが楽しげに同意する。


「本当ね!」

「………さ、参りましょう」


 ミーナはぎこちなくオリヴェルを促し、マリーの手を取る。


「じゃあね」


 三人が去っていくと、部屋にはヴァルナルとオヅマ二人きりになった。

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