第百三十七話 アドリアンに灯った希望

 アドリアンは父に何度もヴァルナルに非がないことを訴えてはいたが、父がどこまで自分の言葉をきいてくれているのかはわからなかった。

 レーゲンブルトより戻ってから、毅然とした態度をとることで、以前に比べ、公爵家の使用人達からはあなどられることもなくなってきたが、巌のごとく冷淡な父の前では、アドリアンはまだまだ無力だった。


「あぁ。新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンの随行禁止になりました」


 ヴァルナルがあっさり言うと、アドリアンは愕然とした。

 思わず聞き返す。


新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンの随行禁止…って、帝都に行けないってこと? 本当に?」

「えぇ、まぁ仕方ないです」


 ヴァルナルは肩をすくめてお茶を口に含んだが、アドリアンは立ち上がった。


「……父上に意見してくる」


 足早に扉へと向かうアドリアンを、ヴァルナルはあわてて止めた。


「待って下さい! 大丈夫です。大した罰じゃないです」

「なにが!? 新年の帝都への出入りを禁止されるなんて、まるで罪人じゃないか!」

「いや、まぁ……一応、罰ですから」

「撤回してもらう!」


 いきりたつアドリアンをヴァルナルはなだめつつ少しばかり嬉しかった。思わず顔がほころぶ。


「……笑っている場合か?」

「いえいえ。小公爵様がこうまで怒って下さることが嬉しいのです。ですが、本当に大丈夫です。私はこの罰に納得しておりますし……その、なんでしたら……ありがたくもある話……ではあるので」


 アドリアンは、急に声が小さくなって、気恥ずかしそうに言うヴァルナルを怪訝に見た。


「ありがたい?」

「はぁ。まぁ……色々と大変ではあると思うのですが、こうまで尻を叩かれるのであれば、とりあえず全力を尽くす…といっても、向こうが嫌がるようであれば無理強いはできませんが……」


 口の中でブツブツ言っているヴァルナルを見て、アドリアンは首をかしげる。


「ヴァルナル? 何を言ってるんだ?」


 不思議そうに問われて、ヴァルナルはハッと顔を上げた。


「申し訳ございません」

「いや。レーゲンブルトでなにか大変なことがあるのか?」 


 アドリアンの問いかけに、ヴァルナルは溜息をついた。

 確かに大変なことだ。自分にとっては。


 嘆息するヴァルナルをアドリアンは心配そうに見つめた。

 ヴァルナルもじっと見返しながら、小さな声で尋ねた。


「あの、小公爵様。例えば、例えばですが、もし、オヅマが小公爵様の近侍となる……なんてことがあれば……」


 ヴァルナルの話が終わる前にアドリアンの顔がパッと輝いた。


「本当か!?」

「…………」


 ヴァルナルはアドリアンのその顔を見た途端に、自分の言葉を否定することが出来なくなった。


「オヅマがここに来るってことか?」


 アドリアンの心は一気にわきたった。

 レーゲンブルトでろくに話すこともできずに別れてしまい、また再会できるかどうかもわからない。何であれば二度と会うこともないかもしれないと覚悟していたので、ヴァルナルの話はアドリアンとって雲間に差した光明だった。

 

 ヴァルナルはあまりに嬉しそうなアドリアンの様子に、困りつつも喜んだ。

 グレヴィリウス家の少々特殊と言える教育方針によって、常に表情を崩すことのない、異様に大人びた少年であった小公爵様が、こうまで感情豊かに見せるようになったのは、オヅマのお陰だろう。


「えぇ。条件が整えば可能かもしれません」


 ヴァルナルが認めると、アドリアンは「条件?」と聞き返す。

 ヴァルナルはポリポリと頬を掻いて、言いにくそうに話した。


「その、私が……オヅマの父になれば……ということです」

「ヴァルナルが、オヅマの父?」


 アドリアンは鸚鵡返しにたずねてから、しばし黙考した。

 真っ赤な顔の師匠をまじまじと見つめる。


「あぁ……」


 さほど時間もかからずアドリアンは事情を汲み取ると、椅子に戻った。


「そういうことか」


 言いながら、父がヴァルナルに与えた罰の意味もわかって、内心でホッとした。文字通りの処罰ではないようだ。一年の半分をアールリンデンと帝都で過ごすヴァルナルでは、いつまでたっても進展しないだろうから、という……ある意味、温情だ。


「ヴァルナル」


 アドリアンはにっこり笑って言った。「がんばって」


 ヴァルナルはハハと力なく笑いつつも、「善処します」と答えるしかなかった。


 くして ――――


 ヴァルナルは覚悟を決めるしかなかった。

 オヅマをアドリアンの近侍にする。そのためには今のままのオヅマを公爵家に上げるわけにはいかない。最低限の教養と礼儀作法を身につけてもらう必要がある。

 それにこれは、オヅマにとっても有用なことだった。


『千の目』などという稀能キノウをむやみに発現して、その度に吐血などしていればそのうちに命を落とす。それに昏睡状態が長く続いていることも、多少気にかかっていた。

 元々、稀能の反作用であるので、恢復かいふくの仕方も多少、常人と違ったところはある。

 自分も以前に、戦場において澄眼ちょうがんを使用し過ぎた後、半月近く目が覚めなかったことがあった。戦が終わり、昂揚が冷めた途端に、意識を失ったのだ。稀能使いにはこういったことが間々あると聞く。だから、ある程度は理解していたのだが、さすがにこうまで長く、意識が判然としない状態が続くとは……。

 それだけ『千の目』という技の異常性と、それを現出させたオヅマの特異性を強く感じる。

 オヅマには適切な指導を行える師が必要だ。

 アドリアンの近侍となれば、ゆくゆくは帝都にも行くことになるだろう。そこで大公殿下に指導をお願いすることもできるやもしれぬ。………


 むろんこれらのことは全て、オヅマが完全に意識を取り戻して、順調に回復していけば、の話だ。現状において、時折ぼんやりと目が開くことはあるのだが、どうも意識が判然としていないらしく、完全に覚醒しているとは言い難い。

 だが、ここに来る前にビョルネ医師に聞いたところによると、特に身体の異常は見られない、とのことだった。

「おそらく数日中には目を覚ますでしょう」とも。


 小公爵の近侍に求められるのは、健康と知力、体力だ。

 意識さえ戻れば、おそらく健康と体力については申し分ない。

 問題は知力。マッケネンの話だと、頭は悪くないようだが、ムラッ気があるので、なかなか教えるのには難儀しているらしい。……




 ゆっくりと……錯綜さくそうする思いが、オヅマの人生を動かしていく。

 なにも知らぬオヅマが目を覚ますのは、それから十日後のことだった。

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