第百三十六話 ルーカスの息子

「あぁ、ヴァルナル。よく来てくれた」


 ヴァルナルがアドリアンの部屋をノックすると、現れたのは本人だった。普通は従僕が取り次ぐものなのに……とヴァルナルは少し不思議に思いつつも、招かれるままに部屋へと入った。 


「従僕はどうしたのです?」

「あぁ。ちょっと他に頼みごとがあって…」

「授業はないのですか?」


 通常であれば、この時間は学習しているはずだ。


「朝のうちに済ませてある。昼にはお前が来ると聞いていたから」

「わざわざ申し訳ございません」

「いいんだ。父上のところで茶を飲んだか?」

「いえ……」


 言えば出してくれたかもしれないが、赤くなったり青くなったりして、それどころではなかった。 


「じゃあ、用意しよう」


 アドリアンがチリンと慣れた様子でベルを鳴らす。

 しばらくして茶器の乗ったワゴンを運んできた若い従僕を見て、ヴァルナルはあっと声を上げた。


「サビエル! お前、何をしているんだ?」

「何って、見ての通りお茶の用意です」


 淡墨色の髪に、父親譲りの真っ青な瞳の青年は澄まして言ってから、クスリと悪戯いたずらっぽく笑ってヴァルナルに挨拶した。


「お久しぶりです、クランツ男爵」

「なーにがクランツ男爵だ。いつも通り呼べ、いつも通り」


 本人からの許可があっても、サビエルは慎重だった。チラとアドリアンを見て、小公爵が頷くのを確認してから親しげに呼びかけた。


「久しぶり、ヴァルナルおじさん」


 ヴァルナルは懐かしそうにサビエルの肩やら腕やらをペチペチ叩いた。


 サビエル・ラルドン。

 彼はルーカスの息子だった。

 一番目の妻が、ルーカスと別れた後に出産したのだが、彼女は事実を知ったルーカスとよりを戻すことも、ベントソン家の跡継ぎにすることも拒否した。

 ルーカスは元妻の意志を尊重して、サビエルを息子として認知はしなかったが、彼が成人するまでの援助を行い、頻繁に会いにも行っていたので、ヴァルナルも幼い頃から見知った仲だった。


「いつの間に小公爵様の従僕なんて…お前、いくつになったんだ?」


 ヴァルナルはいつの間にか自分と同じ目の高さになっているサビエルに驚くしかない。


「十八です」

「えぇ?! もう成人過ぎてたのか? すまん、何の祝いもせず」

「いいですよ。この二、三年はあちこち回って修行中みたいなものでしたからね。この前、急に小公爵様の従僕に空きができたとかで、面談があって。有り難いことに雇い入れてもらえました」


 公爵家においては、従僕をはじめとする使用人達ですらそう簡単には働けない。

 多くは各地の屋敷において実績を積み、主人からの推薦状を持った上で、公爵家での面接の機会を得る。そこで家令や執事などから認められて、ようやく働くことを許されるのだ。

 無論、公爵家に特別の伝手などがあれば、面接を免除されて、主人からの直接指示による雇用も可能であるが……


「ルーカスに頼まなかったのか?」


 サビエルには強力な縁故コネがあるのだから、ルーカスから公爵本人に頼めば、従僕になることはさほどに難しいことではない。

 だが、ヴァルナルの質問にサビエルは当然のように答えた。


「父が僕に便宜など図るわけがないでしょう。なんだったら、下手こいてオロオロするのを楽しんで見ているような人ですよ」

「……違いない」


 ヴァルナルは頷きながらも、ルーカスであれば息子が望むのなら、口添えするだろうと思った。もし、しないのであれば、それはきっとサビエルが望まなかったからだ。こういうところは母親譲りの潔癖さだ。


「それでは私はこれで。御用の際にはいつでもお呼び下さい」


 サビエルは用意を整えると、早々に立ち去った。


「サビエルはとても気がつくんだ。色々と助けてくれる」


 アドリアンはお茶を飲みながら穏やかな笑みを浮かべる。

 ヴァルナルはホッとした。

 前の従僕はアドリアンに対して時に不敬極まりない態度を取ることもあったが、サビエルであればそんなこともないだろう。

 それは今、このアドリアンの穏やかな様子を見てもわかる。


「ようございました。しかし、まさかサビエルが従僕になっているとは思いもよりませんでした。最初にベントソン卿から紹介がありましたか?」

「いいや。ベントソン卿だって知らなかったみたいなんだよ。僕が反対に紹介したんだ。今後は色々と剣術の稽古の事とかで連絡を頼むこともあるだろうから、見知っておいてもらったほうがいいと思って」

「ほぅ」


 ヴァルナルは思わず身を乗り出した。

 その時のルーカスの顔は見ものだったはずだ。


「どうでしたか? ベントソン卿の反応は?」

「サビエルはとても礼儀正しくお辞儀して、自己紹介をしたよ」


 言いながらアドリアンもヴァルナルの求めることがわかったのか、少し悪戯いたずらっぽい目になる。


「それで僕はベントソン卿も同じように挨拶して済むと思っていたら、いつまでたってもベントソン卿が何も言わないんだ。どうしたのかと思って見たら、顎が外れちゃったのかと思うくらい口をぱっくり開けたまま、呆然自失ってああいう状態なのかな? なにせ、しばらくの間、サビエルを穴が開くくらい見つめていたよ」


 ヴァルナルは大笑いした後、残念そうに言った。


「いやぁ……是非にも、その場に同席したかったですね。ベントソン卿が本気で驚く姿など、そうそう見られるものではない」

「僕も一体どうしたのかと思ったよ。それから事情を聞いたら二人が親子だっていうから、今度は僕が顎が外れるくらい驚いてしまった。サビエルだけが平然としていたな。ヴァルナルはベントソン卿から聞いてなかったのか?」

「まったく聞いてません。まぁ、おそらく私が驚くだろうと思って黙っていたのでしょう」


 実際には、それどころでない話が続いたせいで、ルーカスが忘失したのだろうが。 


 アドリアンはクスリと笑ってから、話を変えた。


「父上との話はどうなった?」

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