第百三十四話 公爵閣下の胸の裡
部屋から出るなり、ルーカスはヴァルナルの頭に拳骨を落とした。
「褒美をねだるには早いだろうが。時機を見ろ、時機を。今じゃないだろうが」
「褒美、って……別に俺は褒美がほしいわけじゃなくて」
「お前がどう思ってるかなんぞ、どうでもいいんだよ。いいか? 今回の罰をなんで出すことにしたのか、お前わかってるだろうな? 閣下がどういう結果をお望みなのかも」
「それは……」
ヴァルナルはルーカスに拳骨された頭をさすりながら、少し顔を赤らめた。
「ミーナと多少なりと進展するようにと…」
ルーカスはもう一度、同じ場所に拳骨を落とす。痛がるヴァルナルを青い目で睨みつけた。
「なんだってこの期に及んでこの男はまだ腑抜けたことを抜かしていやがるんだろうな。多少の進展? フザけんな、馬鹿。こっちはお前が来ないせいで、忙しくなることがほぼ決定なんだぞ。未亡人相手にチンタラと恋愛ごっこやってる場合か。とっととモノにしてこい!」
「そんな横暴な……」
「いいか、ヴァルナル」
ルーカスは深呼吸して気を落ち着けると、ヴァルナルの耳元で囁く。
「閣下の望みは、例の小僧だ」
ヴァルナルはゴクリと唾をのむ。
「オヅマを……小公爵様の近侍にしたい、という話か?」
ルーカスは頷いた。そして付け加える。
「それも、ヴァルナル・クランツの息子としてな。出来得れば、今年中に」
「無茶な!」
「無茶でもなんでも、やるんだよ! その為に
ヴァルナルはルーカスの言っていることを理解できても、それを実現することが途方もなく難しいことがわかっていたので、容易に頷くことができなかった。
無論、本心ではミーナに受け入れてもらい彼女と結婚し、オヅマ達と家族になれればいいなと思っている。だが、ミーナやオヅマにこの状況を知られたくはなかった。
ヴァルナルは純粋にミーナを愛している。
彼女を自らの栄達の道具にするつもりもなければ、その息子を政争の具とすることも避けたかった。
だが一方で、アドリアンもまたヴァルナルにとって、大事な人達の息子だった。
ヴァルナルとオヅマが処分されるかもしれないと、必死になって叫んでいたアドリアンの姿が苦く思い浮かぶ。
―――― 僕を守ろうとしないでくれ、ヴァルナル。僕は平気だ。鞭打ちでも、幽閉でも…!
あんなことを言わせてはいけないのに。
アドリアンはまだ子供で、守られるべき存在であるのに。
思い悩むヴァルナルに、ルーカスは苦い顔で言った。
「閣下はああ
「…………」
ヴァルナルは痛ましげに眉を寄せる。
公爵の複雑な胸の
困り果てた
あちらと一緒になって焦ってはいけない。既に綱引きが始まっているのだから、慎重に、確実に、物事を進めなければ。
「一応言っておくがな…エシルからは、小公爵様の近侍として三男のエーリクがつくことになっている」
「イェガ男爵の息子が近侍に?」
「そうだ。だからこそ、あちらも大慌てで男爵家の、まだ子供相手に婚約なんぞと、トチ狂ったことを考えたわけだ。だからな、エシルが既にあちらについたなどと心配しなくていい。イェガ男爵には頭が痛いことだろうが……」
「そうか」
ヴァルナルはホッと胸を撫で下ろす。
どうやら公爵も、アドリアンとハヴェル公子の後継者争いについて、まったくの無関心というわけではなないらしい。
「じゃ、俺は戻る。お前は? アドリアン様に会っていくのか?」
ルーカスに尋ねられて、ヴァルナルはアドリアンに呼ばれていたことを思い出した。
「あぁ。さっき会った時に、閣下との面会後に来てほしいと言われている」
「そうか。じゃ、行ってくるといい。ずいぶん、しっかりされたよ。色々とあったが、俺は小公爵様がレーゲンブルトに行ったことは、収穫だったと思うぞ」
快活に言うルーカスに、ヴァルナルはホッと安堵の笑みを浮かべる。
「ありがとう」
素直に感謝すると、ルーカスはまた皮肉げな口調に戻った。
「ふん。誰かさんのせいで、俺があの荒くれ者どもの世話をする羽目になったんだ。いいブランデーを用意しておくことだな。再会の時に朗報と一緒に受け取ろう」
ルーカスはニヤリと笑って、ヴァルナルの背をバンと叩く。
少々強い力にヴァルナルは顔を顰めたが、「頑張るよ」とつぶやいて、友にしばしの別れを告げた。
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