第百三十一話 愉しい語らい
「今回のことでいうなら、目付役であるところのお前の失態というのが一番の問題だがな」
重く凍りついた空気を、軽い口調で変えたのはルーカスだった。
公爵も顔を上げると、フッと笑う。
「まったくだ。小賢しい手に引っ掛かって…
「申し訳ございません」
ヴァルナルは素直に頭を下げた。この事については、なんと処分されようが文句は言えない。
「いかようなる罰も受ける所存です」
「ふ……ん」
公爵はヴァルナルをじっと見つめていたが、意味深な薄ら笑いを浮かべた後、まったく別の話を始めた。
「ところで、面白い拾い物をしたそうじゃないか。黒角馬を見つけてきた小僧らしいな。主犯の男の首を斬ったのは」
「………は」
「まったく。お前はつくづく運がいい。その小僧の母親だと? お前が今、口説いている女は」
「ちっ、違…い……ません…が」
一気に顔を赤らめるヴァルナルに、公爵はクックッと喉奥で笑う。
「相変わらず、この手の話になると少年だな。ルーカス、これがあのレーゲンブルトの荒くれ者達の首領だなどと、陛下も信じられまいよ」
「まったくです。未だに手も握っておらぬようですし」
「て、手ぐらい、握った…っ」
ヴァルナルが真っ赤になって抗議すると、ルーカスは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「………それを大声で閣下に報告するな。この万年純情中年が」
気恥ずかしそうに首をすぼめるヴァルナルに、公爵はクスリと笑みを浮かべてから、「さて」と机に両肘をついて、その組み合わせた手に顎を乗せる。
「このいつまでも及び腰の男に、どういう処分が適当であろうな…ルーカス」
「そうですねぇ…」
ルーカスは意味深にニヤニヤと笑った。
「この男のことですから、今年ものんびり帝都になんぞ行ってる間に、当の相手が別の男と一緒になってた…なぁんてことに、なっとることもあるやもしれません」
「………え?」
ヴァルナルは愕然とした。頭が真っ白になった。
「おいおい…」
ルーカスはあきれたように溜息をつきながら首を振った。
「お前は時々、本当に馬鹿だな。相手の女がお前に惚れているというならともかく、そうでないなら、有り得ない話じゃなかろう? 薄暗かったからはっきり見えなかったが、美人だったなぁ」
うっとりした様子で(もちろんワザと)話すルーカスに、ヴァルナルはあわてた。
「いっ…いつ見たんだ!」
「この前、小公爵様を迎えに行った時だよ。見送りに来ていただろうが。ホレ、あの小さな娘が走ってきた時に。目の覚めるような美人というのじゃないが、ああいう女を好く男は多いだろうな。まさかお前、口説く男が自分以外にはいないと思っているのか?」
ルーカスはあきれたように言いつつも、内心でニヤニヤ笑っていた。
目の前では、いつも騎士然として何事にも動じることのない男が、落ち着きなく視線をさまよわせている。
「でも、ミーナからそんな話は聞いてない…」
「わざわざ自分に言い寄ってくる男の話を好き好んでする女……がいないわけじゃないが、お前のそのミーナとやらは、そういう自慢をするような女なのか?」
「そんなことはしない!」
「だったら黙ってるだけかもしれんだろうが」
「………」
ヴァルナルは言葉をなくした。
あまりにわかりやすい動揺に、公爵はまたクックッと笑ってから、
「まさか…この年になって家臣からこんな青臭い話をされると思わなかったな」
楽しげに言いながら、手慣れた様子で葉巻の吸口をカットし、火をつける。
葉巻の先にじわじわと灰色の円環ができると、公爵は静かに吸って、口腔内で味を楽しんでから、ふぅと煙を吐いた。
かすかなシナモンの香りと、
「…で、どうなのだ?」
「は? ……どう、とは?」
「手応えは?」
ヴァルナルはうっと詰まった。ルーカスならばともかく、まさか公爵御本人からこんな ―― 俗な ―― 質問をされるとは思ってなかった。
一体何を、どこまで答えればいいのかわからず、ヴァルナルは中途半端に口を開いたまま固まった。
「その様子だと、まったくない、という訳でもなさそうだな」
見透かしたように言って、公爵はまた一口、煙を喫する。
「へっ? そうなの、お前?」
ルーカスは意外だったのか、公爵の前にもかかわらず、くだけた口調になった。
「そ…れは、まぁ…」
「まさか手ぇ握ったくらいで脈アリとか思うなよ。ガキじゃないんだからな」
「………」
「駄目だ。コイツ本当に…」
ルーカスが額を押さえて天を仰ぐと、さすがのヴァルナルもムッとなって小さな声で抗議した。
「…そういうことは、言葉で説明できるものじゃないだろうが……」
「あぁ! まだるっこしい奴!! 閣下、裁定を願います」
ルーカスはとうとう我慢できなくなって、公爵に訴えた。
公爵は葉巻をゆっくりと燻らせる。
鳶色の瞳が、やや
一口吸って、フゥと長く煙を吐いてからヴァルナルに宣告した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます