第百三十話 グレヴィリウスの継嗣

 既に公爵は大廊下での一悶着について聞き及んでいたらしい。執務室にはルーカス・ベントソンもいて、早速楽しげに尋ねてきた。


「アルビン・シャノルと軽く小競り合いがあったようじゃないか」

「あぁ。…だが私などより、小公爵様が上手にあしらって下さったよ。いつの間にあんな物言いができるようになったのだろうな。頼もしい限りだ」

「ハッ! よく言う。誰がそんな風に変えたのやら」


 ルーカスは笑ったが、公爵は息子の成長に対して無関心な表情だった。

 ダニエルの事件のことで、さすがの公爵も息子の身を案じ、予定よりも早い帰省を命じたのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。


 ヴァルナルは内心で嘆息した。

 まだ、は解かれていないようだ…。


「それより、ハヴェル・グルンデン公子が、イェガ男爵令嬢と婚約すると聞いたんだが…」


 ヴァルナルは話を変えた。

 今はこちらのことの方が重要だ。


「あぁ、らしいな」


 ルーカスが頷いた。


「……よろしいのですか?」


 ヴァルナルが尋ねると、公爵のとび色の瞳が鋭く見つめてくる。


「なにか、気になることがあるのか?」

「お分かりでしょうに。明らかな牽制です。八歳も年の差があって、侯爵令息の相手が同系列家門の男爵令嬢なんて。イェガ男爵とエシルの騎士団を抱き込もうとしているのは、明白です」


 強い口調で言うと、公爵は興味深げに微笑んだ。


「フ……お前がそんなことに頭が使えるようになるとはな」

「馬鹿にしておいでですか?」

「まさか。お前が賢いのはわかっておる」

「やっぱり馬鹿にしていますね…」


 ヴァルナルはちょっとむくれたように言ってから、顔を引き締めた。


「今回のダニエル・プリグルスの件も含めて、彼らはなりふり構わず小公爵様に手出ししてきているのですよ。よろしいとお考えですか?」


 公爵は無表情になり、背凭れに身を沈めると、手を組んでしばらく黙り込んだ。

 思っていたよりも長い沈黙に、ヴァルナルはゴクリと唾を飲み込んだ。

 静かな緊張感が漂う中、公爵の口から出たのは、無情な言葉だった。


「私は、グレヴィリウスの存続を考えるのみだ」


 ヴァルナルは固まった。

 いつもは余裕綽々と、とぼけた態度のルーカスもピクリと眉を寄せ、真顔で口を引き結ぶ。


「そ…れは…どういう意味です?」


 ヴァルナルはすっかり困惑して問いかけた。


「小公爵…アドリアン様を後継から外すこともあると?」

「それはない。しかし、過去においても必ずしも継嗣が公爵家を相続した訳ではない。その都度、選ばれた…あるいは、選択の余地なくして選ばせた。もし、純粋な長子相続だけが正統であると考えるのであれば、私も外れる。なにしろ三代前の方は嫡出子でもなかったのだから」


 現グレヴィリウス公爵エリアスの曽祖父のベルンハルドは、元は庶子であったが、嫡出の兄達が次々に流行病で亡くなり、公爵家に引き取られている。彼以降、グレヴィリウス公爵は代々冷血公爵の異名を持つことになるのだが、その話はまた別で語られるとして。


「それは…そうですが」


 ヴァルナルが少し気まずそうに同意すると、公爵は薄ら笑って尋ねた。


「私がこの地位にあるのも、ただ安穏と父からの地位を承継しただけと、思っているのか?」


 ヴァルナルはまた黙り込んだ。


 エリアスもまた、腹違いの弟を推戴すいたいする勢力との抗争の末に現在の地位にある。

 反対派を黙らせたからこそ、彼の権威は絶対的なものとなり得ているのだ。


 考えてみれば、その弟はハヴェル公子の母でもあるヨセフィーナ・グルンデン侯爵夫人の実弟であった。もしかすると我が子可愛さだけでなく、彼女には弟の復讐という目的もあるのかもしれない。


 しかし……。


「しかし、まだアドリアン様は子供です」


 ヴァルナルは静かに、それでもはっきりと伝えた。

 まだ、子供のアドリアンを後継争いに引きずり込むべきではない。いずれ避けようのないことだとしても、今は大人の手で彼を守るべきだ。


 だが最もアドリアンを守れる立場にいるはずの公爵は、やはり無表情に淡々と答える。


「だが、私の子だ。グレヴィリウスの正統を重んじる人間にとっては、私の子であるという正当性を否定してまで、ハヴェルを推戴しようとは思わぬ。であることの不足分を十分に補って余りあるだ。むしろ、ハヴェルは劣勢なのだ。であればこそ、家臣団の味方を一人でも多く増やそうとするのは、むしろ当然のことだ」

「では、アドリアン様が暴漢に襲われてもよいと仰言おっしゃるのですか!? 今回のような卑怯極まりない手段で」

「…………」


 公爵は否定も肯定もしなかった。目を伏せて再び沈思黙考する。


 ヴァルナルには公爵の考えがわからなかった。

 あれほどに愛したひとの息子であるならば、少しでも安寧に地位が相続できるように考えるものではないのか。まさか本気で、息子を憎んでいるというのか……? 

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