第百二十七話 悪魔の誠実

 エラルドジェイは自分が鈍重になったと思った。問われても、すぐに答えが出てこない。

 涙をこぼすカトリをじっと見つめて、反対に問いかける。


「どうして…? なにが…?」


 なんの表情もないエラルドジェイに、カトリはブルブルと震えると、涙声で叫んだ。


「どうして……どうして私の家族を殺したのよ!?」


 この状況で何も言わずに横たわる弟。既に死んだことは、確かめずともわかった。


 エラルドジェイは激昂するカトリをしばらく見つめ、静かに言った。


「裏切ったからだ」

「……裏切った?」

「お前の両親は、俺達を裏切って金を盗んだ。俺らは闇ギルドだ。裏切者は制裁されなければならない」


 闇ギルド、という言葉にカトリはどこかで納得していた。ずっと胸に秘めていた疑問が指し示す答えの一つにあったからだ。しかし、だからといって理解できるわけがない。


「どうして殺される必要があるのよ…。お金なら返すわ。私が働いて…」

「金だけの問題じゃない。お前の両親はニーロを殺した」


 カトリは愕然とした。


 いきなり姿を消した赤毛のおじさん。

 カトリの誕生月になると髪飾りを買ってくれ、マルコには本を買ってくれたおじさん。ちょっと強面だけれど、優しかった。

 その人を…両親が…殺した?


「……嘘」

「嘘じゃない。ニーロは殺されて、運河に沈められた。この前、浮いてきたけどな。ぶよぶよの顔になって、耳が魚に食われてたよ」


 エラルドジェイは思い出して口の端を歪めた。

 悪党らしい最期と言えるのかもしれない。

 ニーロは恨んだりもしていないだろう。仲間だと思っていた奴らに信頼されてなかったことを少々苦く思うだろうが。


 カトリは両親が人殺しをしていた事実に震えていたが、それでも納得できぬことがあった。


「……マルコは? なんでマルコを殺したの!?」

「………」


 エラルドジェイはベッドに横たわり、白い顔のマルコを見つめた。

 頬の紫斑は薄くなってきていた。不思議なことに、この病気は死んだら紫斑がどんどん薄くなっていく。命とともに、病も昇華されるように。


「…どうせ長くない」


 マルコを見下ろしたままエラルドジェイがつぶやいた言葉に、カトリは一気に憎悪が膨らんだ。


「ふざけないで! 勝手に決めないでよ!!」

「まさか…お前も両親と同じ、とやらの言葉を信じているのか?」

「なんですって?」

「この病気がここまで進んで、治るわけがない。期待だけさせて、騙されて、人まで殺して……救いようがない」 


 カトリは全身が怖気おぞけだった。

 この男は何を言っているのだろうか? 人を三人も殺しておいて、平然と血塗れの姿で、一欠片の後悔も反省もなく。


「………人殺し」


 無意識につぶやいたカトリの言葉に、エラルドジェイは顔を上げて振り返った。無表情だったその顔に微笑がひらめく。


 カトリは震え泣きながら、目が離せなかった。


 エラルドジェイはゆっくりとカトリに近寄ると、持っていた短剣を差し出した。


「………?」

「持て。お前の父親の形見だ」


 カトリは何も考えずに受け取った。血のついたきっさきはエラルドジェイに向けられている。

 カトリの目の前で、エラルドジェイが手を広げた。


「殺せよ」


 カトリは途端に重くなった短剣を持ったまま、慄えが止まらなかった。

 涙に濡れた瞳でエラルドジェイを睨みつける。どうしてこんな選択をさせてくるのだろう、この男は。


「どうせ一突きで殺すなんてできないだろうから…何度でも刺せばいい」


 悪魔のようだった。

 カトリはしゃくり上げながら、短剣をエラルドジェイに向けたまま動けない。


 エラルドジェイはしばらく待っていたが、いつまでたってもカトリが来ないので、一歩、足を進めた。こちらが動くことで、恐怖し、自分の身を守ろうとして攻撃するのは、当然の反応だ。それは正当防衛で、カトリは何も悪くない。


 だが、エラルドジェイはわかっていなかった。

 カトリはエラルドジェイが両親と弟を殺したことに驚愕し、失望し、憎悪していたが、彼自身への恐怖はなかったのだ。

 むしろ、自分が彼を殺すことを恐れた。


 もう一歩。

 カトリに近づいていくのに、彼女はまったく殺しにこない。


 エラルドジェイは眉を寄せ、もうどうでもよくなった。

 一気に彼女に近づいて、そのまま自分からカトリの持つ短剣に刺されようと思ったが、寸前でカトリは短剣を手放した。


 カラン、と音をたてて短剣が床に落ちる。


「いや……」


 カトリはか細い声で言った。「絶対に…いや」


 潤んだ薄茶の瞳が自分を見上げている。

 エラルドジェイは急に苛ついた。自分でもどうしてこんな気分になるのかわからない。


 カトリの腰を掴み寄せると、強引に彼女の唇を奪った。

 驚いて固まったカトリは、一瞬、静かだったが、すぐに抵抗した。


「嫌ッ!!」


 思っていたよりも強い力で押し返されて、エラルドジェイはよろめくと、ハァと息を吐いた。


 自分でも悪い状態だとわかった。神経が昂ぶってて、何をするかわからない。

 思い出したのは、最初の殺人の時だ。あの時も似たような状態になって、帰ったらニーロに娼館に連れて行かれた。


 エラルドジェイはカトリを見た。

 出会った頃はまだ子供だった。ずっと子供だと思っていた。でも引き寄せた腰は細く、抱きしめた時の胸は膨らみがあった。


 危ない。このままだと、確実に犯す。


「………ジェイ」


 カトリが弱々しい声でエラルドジェイを呼ぶ。

 いつの間にか前髪を上げた額は広くて、乱れた髪が垂れ落ちているのが、煽情的だった。


 エラルドジェイはまた一歩、カトリから離れた。

 ギリ、と唇を噛み締め、拳を握りしめる。狂気と理性の分かれ目で、エラルドジェイはますます表情を失くした。


 ふと出た言葉は自分でも理解できなかった。


「……ジェイは通り名だ」

「………なんですって?」

「本当の名はエラルドジェイだ」


 早口に言うと、エラルドジェイは窓まで走っていき、その場から逃れた。


 カトリはエラルドジェイが去っていった窓の外を見つめて、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、急にガクリと崩折れた。


 一体―――何が起きたのだろう?

 あの男は自分に何を残していったのか…?


 カチカチと歯が鳴る。

 いきなり押し寄せてきた恐怖と、悲しさと怒りと、この後に及んでも消えない彼への想いがぐちゃぐちゃになって、カトリの中で渦巻く。


「わあああぁぁッッ!!」


 カトリは慟哭した。

 彼が唇に残していったアーモンドの味が、なまぐさい血の臭いと一緒に染み付いた。


「………許さない」


 ウッウッとしゃくり上げて泣きながら、つぶやく。

 何度もつぶやいて、カトリは必死に彼を憎んだ。


「……許さない! 絶対に…絶対に……許さない!!」

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