第百二十六話 カトリの恋

 カトリは今年で十五才になる少女だ。

 両親と弟との四人家族。


 どこにでもある家庭だと思っていたが、父親が見つけてきてくれた商家で召使いとして働き始めると、両親がちょっと変わった仕事をしているのではないか…と少しずつ疑うようになった。


 それは両親だけでなく、二階に住む居候の男達にも感じた。


 けれどカトリは慎重だったので、自分の持った疑問を簡単に誰かに打ち明けることもなかった。まして、その内の一人はカトリにとって、とても大事に思う人であったから、彼との関係性が壊れることの方がカトリには怖かった。


 その人はまだ冬の厳しい日に、突然姿を消した。

 これまでにも何度かいなくなることはあったが、今回は長かった。


 カトリが我慢できずに、残っていた赤毛のおじさんに尋ねると、「しばらく遠方に買入に行ってんだ」と言われた。

 何か不穏なことをしに行ったのだろう…とカトリは気を揉んだ。


 毎日、カトリは月に祈った。

 彼が無事に戻ってきますように。もう一度彼と会えますように。


 だが彼と会えないまま、ある日、赤毛のおじさんがいなくなり、カトリ達家族は店を畳んで、これまでよりも少しいい場所に家を買って引っ越した。


 弟は清潔で空気の通りのいい家を気に入ったようだった。少しだけ元気になった。

 両親達は「に言われた通りに家を変えてよかった。薬ももらえたし、きっとマルコは治る」と喜んだ。

 カトリも弟が元気になって、両親が嬉しそうな顔を見るのは嬉しかったが、彼に会えなくなってしまったことだけが、心にポカリと寂しい穴を開けた。


 一時的に快方に向かっていた弟の体調は、春が近づくにつれ、また悪くなっていった。

 両親は弟を治してもらうために、のところへ何度も行って頼み込んで薬をもらってきたが、その薬を服んでも弟は一向によくならなかった。


 紫斑はとうとう首にまで出てきて、目が見えなくなり、弟にとって唯一の楽しみだった本を読むことも出来なくなった。


 今日はカトリの給料日だった。

 今月は使用人が風邪で何人か休んで泊まり込むようなこともあり、少しばかり多めにもらったので、久々に弟の好きなアーモンドを砂糖衣で包んだ菓子を買った。


「帰ったわよぉ~」


 弟の喜ぶ顔を楽しみに帰ってきたカトリは、家に入った瞬間、血の匂いに顔を顰めた。

 それは覚えのある匂いだった。ついこの間まで肉屋をやっていた父に染み付いた匂いでもあった。

 父がまた肉屋を始めるのだろうか…とカトリは首をかしげながら、部屋の扉を開けた。


 飛び込んできた光景は、カトリの脳を麻痺させた。

 声も出ず、西日が差す真っ赤な部屋をしばらく眺めていた。

 ぼんやりと考えたのは、この部屋が真っ赤なのは西日のせいなのか血のせいか、どちらなのだろう…という、的外れなものだった。


 徐々に冷静さを取り戻すと、我に返る。


 マルコは? 


 カトリはあわてて弟の待つ部屋へと向かおうとしたが、足がうまく動かなかった。

 それでもとにかく前へと前進したくて必死に歩く。

 ほとんど四つん這いになりながら弟の部屋に辿り着くと、扉が半分開いていた。


 カトリの心臓がドクンと波打った。

 よろよろと扉にすがりついて立ち上がる。

 一歩足を踏み出して、薄暗い部屋に佇む男の横顔を見て、つぶやいた。


「ジェイ…」


 懐かしい人。

 いつも無事を月に祈っていた人。

 紺色の髪と同じ色の瞳の、愛しい人。


 その彼はどうして、あんなに血にまみれているのだろう…?


 心のうちで問いかけながら、もうカトリにはわかっていた。

 彼が両親と弟を殺したことを。


 カトリの薄茶の瞳の中で涙が震えた。


「どうして…?」

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