第百二十一話 きっとまた会おう

 オリヴェルは真夜中に密かにやって来たアドリアンに目を丸くした。


「どうしたの?」

「起きてたのか。ちょっと顔だけ見ようと思ってたのに」


 アドリアンは深夜にもかかわらず起きていたオリヴェルに少し驚いたようだった。

 ミーナはヴァルナルからの再三の指示もあって、自室で休んでいる。次の間では侍女のナンヌが仮眠をとっていた。


「ビョルネ先生に診察してもらってから目が冴えちゃって」

「そうか。体はもう大丈夫?」

「うん。ちょっとだけ熱があるからって、薬をもらった。マリーは寝てたから、明日見てもらうんだ」

「……オヅマも診てもらったけど、とりあえず大丈夫みたいだ。今は寝て回復させてるんだって」

「そっか。良かった」


 オリヴェルはホッとしてから、アドリアンの顔をじっと見つめた。


「なに?」

「………帰るの? アールリンデンに」


 その質問で、アドリアンはオリヴェルが自分の正体に気付いていることを知った。

 オリヴェルは黙り込んだアドリアンに「やっぱりそうか」と、少し笑みを浮かべる。


「いつから…?」


 アドリアンがかすれた声で尋ねると、オリヴェルは首をかしげた。


「さぁ? いつからだったか…色々あり過ぎて忘れちゃったよ。あぁ、でも、最終的にはあの時のことを思い出したんだ。君があの地下の部屋に入ってきた時さ。仮面を被った男が言ったろ?『アドリアン・グレヴィリウスを連れて来てやったぞ』って。あの時は恐ろしくてそれどころじゃなかったけど、ゆっくり思い出してみたら、やっぱりそうなのか…って」

「すまない。騙すつもりとかじゃなくて…」


 アドリアンが謝ろうとするのを、オリヴェルはあわてて止めた。


「違うよ! 別に怒ってないよ。理由もないのに、アドルが僕らに嘘をつくはずないって、わかってる」


 それに…と、オリヴェルはまたアドリアンの顔を見つめる。

 普段の貴公子然としたアドリアンからは想像できないほどに、泣いたあとが、腫れぼったい目にも、紅潮した頬にも残っていた。


 オリヴェルは安心させるように、ニコリと笑った。

 それに……そんなことは大したことじゃない。


「もう、帰るの?」


 オリヴェルはもう一度尋ねた。

 コクリと頷いたアドリアンに、唇を噛み締める。


「いつ?」

「明日の朝……黒五ツどき(午前五時前後)には出るらしい」

「そんなに早く!? 公爵家の使者は今日着いたばかりだろう!?」


 オリヴェルは思った以上の性急さに、思わず大声を上げたが、マリーがうーんと唸って寝返りをうったので、あわてて声をひそめた。


「なんだって、そんなに急ぐのさ。せめて金の三ツどき(午前七~八時頃)くらいだったら、マリーだって見送りできたのに」


 アドリアンは苦い笑みを浮かべて言った。


「これ以上、不甲斐ない息子を男爵に預けておくのが申し訳なくなったんじゃないかな。実際、迷惑ばかりかけたしね」


 オリヴェルはアドリアンの寂しげな顔を見て、胸がしめつけられた。


 どうしてグレヴィリウス公爵家のただ唯一の後継者である彼が、この帝国において皇子と同じくらい恵まれた環境にいる人が、こんなに悲しい顔をしなければならないのだろう。


 そう考えたときに、オリヴェルは自身を振り返った。


 自分もまた周囲からの圧力に耐えられず、息することも苦しくなっていたではないか。そうしてたまらなくて泣き叫んでいた。

 オヅマとマリーが来てくれなかったら、自分はずっと悲しい存在のまま、死んでいくだけの子供だった。


「アドル…また、来てよ」


 オリヴェルが言うと、アドリアンはやっぱり悲しそうに笑って頷かなかった。

 オリヴェルはアドリアンの片腕を掴んで、繰り返した。


「来てよ。来なきゃ駄目だよ」

「……どうして?」


 オリヴェルの必死な目に、アドリアンは聞き返した。


 自分だって本当はもう一度、ここに戻ってきたいとは思ってる。

 だが、こんな事件が起きてしまったのは自分のなのだ。そう簡単に父が許すはずがない。


 オリヴェルはキッと強い目でアドリアンを見つめた。


「僕は…言わないよ」

「え?」

「君が小公爵様であるとしても、ここではただのアドルだ。マリーもオヅマも君の正体を知らない。僕から彼らには言わない。君自身の口から、オヅマにもマリーにも告げるべきだと思う。いずれ…そうしてくれるよね?」


 オリヴェルの真摯な眼差しに、アドリアンはまた泣きそうになった。

 あんなに最初は自分を嫌っていたオリヴェルが、また来てくれと懇願するなんて。


「そうだね…二人には僕から言わないと……」


 アドリアンが頷くと、オリヴェルはまたにっこりと笑みを浮かべた。

 アドリアンの手をギュッと握る。


「また、会おう」

「あぁ……必ず」


 そうしてアドリアンはオリヴェルとの別れを済ませたのだが、明朝になっていざ出ようとしたときに、領主館から飛び出してきた小さな人影に再び驚くことになった。

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