第百十九話 サコロッシュの女狐

 領主館の火事から始まって、オッケの死に至るまで。

 ヴァルナルの知りうる全てのことを話した後で、ルーカスは皮肉げに頬を歪めて言った。


「首謀者が、あのダニエル・プリグルスだって?」

「………彼が、闇ギルドの人間を雇って、小公爵様をおびき寄せたのは間違いないようだ」

「フン。あんな男にグレヴィリウス公爵家を敵に回す度胸があるものか。どうせサコロッシュの女狐あたりが使嗾しそうしたのだろうよ」


 サコロッシュは、マキシム・グルンデン侯爵が本邸を構える地所の名前だった。

 そこにはグレヴィリウス公爵の妹であり、公爵家の元養子であったハヴェル公子の母であるヨセフィーナ・グルンデン侯爵夫人がいる。


「………」


 ヴァルナルは黙り込んだ。

 ルーカスの言葉はおそらく間違っていないだろうが、証拠もない以上、簡単に首肯はできない。

 言っても、相手は公爵閣下の妹で、グルンデン侯爵家の女主人なのだ。


 しかしルーカスは頓着しない。


「奴らの目的はお前だぞ、ヴァルナル。まさかあんな小物にグレヴィリウス家の小公爵を殺せるわけもない。もし万が一、成功すれば、奴らには儲けものだし、失敗したとしても、ヴァルナル・クランツの信用をおとしめることはできる。レーゲンブルト領主であり、帝国で最も勇猛果敢な騎士団の団長、皇帝陛下の覚えめでたい黒杖の騎士。そんなのがアドリアン様の後盾とあっちゃ、奴らには目の上の瘤だ。隙あらば足を引っ張ろうと、綱をいくつも用意してあるんだろうよ」


 今回の事件の動機を、ルーカスはすぐに見抜いた。

 それは推測であったが、おそらく間違っていない。


 小公爵の謹慎にあたり、目付けという大役を任じられ、多少持ち上がったヴァルナルの権威を、上がった分だけ落としてやろうということだ。


「相変わらず、御方だよ。見た目が上品なだけ、ゾッとする」


 ルーカスは嫌悪もあらわに吐き出した。


 おそらく多くの人にとって、ヨセフィーナ・グルンデン侯爵夫人は人の良い温和で上品な貴婦人という印象であろう。しかし、ヴァルナルもルーカスも彼女がかつて、公爵の亡き夫人であるリーディエに対して、ひどく陰湿ないじめをしていたことを知っていた。


 ルーカスなどは、少女時代のヨセフィーナに惚れられてしまい、しつこくつきまとわれた挙句、当時付き合っていた彼女にまで嫌がらせをしてきたので、心底辟易もし、正直、蛇蝎だかつのごとく嫌っている。


 帝国の女性貴族序列の上位にある彼女は、穏やかな外見の裏に、すさまじいまでの自尊心を秘めていた。滅多と表に出すことのないその気位の高さは皇后の域と言ってもよい。


「……それにしても」


 ルーカスは自分でも少々冷静でなかったと思ったのか、ブランデーを一口飲んでから話題を変えた。


「小公爵様の対番ついばん……オヅマだったか? 随分と気に入られているようだな。そうだ、思い出した。お前、知ってるか?」

「何を?」

「小公爵様が、そのオヅマとやらに盟誓めいせいを刻んだことさ」

「は?」


 ヴァルナルは寝耳に水だった。

 ルーカスはヴァルナルの驚いた様子にしたり顔になる。


「なんだ? 知らなかったのか? 騎士達の間じゃ、けっこう話題になってたって話だがな」

「知らん…」


 呆然とヴァルナルがつぶやくと、ルーカスはクックッと喉で笑う。


「ま、小公爵様ご本人はおまじないとしてやっていたみたいだからな。カールもその程度のものだと思って、お前にわざわざ言わなかったんだろう。しかし略式ではあるが、やっていたことは間違いないみたいだぞ」

「なんでけいが知っているんだ…」

「弟には嫌われてるが、俺を慕う元部下は多いんでね」


 レーゲンブルト騎士団には、かつて公爵家直属騎士団にいた者もいる。彼らにとっては、ルーカスはかつての上司にあたる。

 端正な容貌に似合わず、ルーカスは気さくで、下町の酒場にも平気で出入りし、居合わせた部下達に奢ったりするような豪放な性格であった。そのため、ヴァルナルとは違った意味で、騎士達には人気だった。


「その小僧、お前の惚れてる女の息子なんだろ?」


 急に言われて、ヴァルナルは飲みかけていたブランデーを喉に詰まらせた。

 ルーカスはニヤニヤ笑いながら、水差しの水をコップに注いでやる。


「っとに…今更、女を知らないガキでもあるまいに、何を顔を赤くしてんだかな。その分じゃ、さほど進んでもいなさそうだが……お前、とっととその女と結婚しろよ」

「なんでそんな話になるんだ?」


 ヴァルナルは水を飲んでようやく落ち着くと、ルーカスに抗議する。


「関係ないだろ、今!」

「大いにあるね」


 ルーカスは含み笑いをしつつも、その目は真剣だった。


「お前がその女と結婚すれば、そのガキはお前の息子になる。公爵家配下の家門の子弟が、小公爵様の近侍きんじになるのは、昔からの慣習だ。閣下はお前の息子が体が弱いから諦めていただろうが、その…オヅマと言ったか、そいつであれば任につくことは可能だろう?」

「………」


 ヴァルナルはまじまじとルーカスを見つめた。

 真剣な顔で平然と冗談を言うような男ではあるが、この事に関してはふざけて言っているわけでもなさそうだ。


 黙ったままのヴァルナルに、ルーカスは重ねて言った。


「まして小公爵様ご本人がお望みとあれば、騎士見習いの身分であっても、側仕えは可能だ。お前に断ることができるか? 公爵家での小公爵様の不遇を思えばこそ、ここに連れて来たのだろう?」

「それは…そうだが…」

「小公爵様も今年で十歳になられた。そろそろ近侍をつける年頃ではあるのだからな。俺はまだ聞いてないが、ルンビックの爺さんあたりは選別を始めているだろうよ」


 近侍は、少年である小公爵の世話係であると同時に、作為的に作られた友人でもある。大貴族の子息であるほどに、その友人関係は将来的に重要となるので、いわゆる幼馴染も選ばなければならない。


 ルーカスは戸惑いを浮かべるヴァルナルに詰め寄った。


「いいか、ヴァルナル。。小公爵様には、身近で親身になってやれる存在が必要なんだ。その為にはまず、小公爵様ご自身が望まれる者であることが理想だろう?」

「しかし……オヅマは、ただの騎士見習いで…」

「だからこそ!」


 ルーカスは察しの悪い友に苛立った。


「ただの騎士見習いとして公爵家に入るよりは、ヴァルナル・クランツ男爵の『息子』として行く方が、奴の為にもなるってことさ。箔もつくし、背後にレーゲンブルトの騎士団がいるとなれば、そう簡単に挑発してくる馬鹿もいないだろう」


 ルーカスの言うことがいちいちもっともで一理あるだけに、ヴァルナルは困り果てた。

 なにしろミーナには一度はっきり断られているし、当のオヅマ本人からは父親はいらぬ、とキッパリ一線を引かれている。


 ルーカスは気弱にうつむく友の顔に、呆れた溜息をつきながら立ち上がった。


「ま、考えておけ。そう遠くもない未来だ」

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