断章 ―帝都・キエル=ヤーヴェへの道ー Ⅲ
睨みつけて尋ねると、男は一瞬顔を固めてから、ニヤっと片方の口の端を上げた。
「お前…いいね。いつも、そうやって油断なくしてろよ。ここらにいるたいがいの大人なんざ、信用ならねぇからな」
「あんたも大人だろ?」
「まぁ、一応な。今年なった」
「今年?」
オヅマは思わず聞き返した。帝国の成人年齢は十七歳だ。
「そうだよ。正直、ここいらをウロつきまわってるゴロツキのオッサン共よりかは、お前らの方が年は近いだろうぜ」
「………見えない」
オヅマが素直に言うと、男は少し眉を寄せて、ザリザリと顎髭を撫でた。
「このナリだからな…ま、さっぱりすりゃ、わかるさ」
「……で?」
「で?」
「怪我の理由は?」
オヅマが再び尋ねると、男は観念したように溜息をついた。
「わかったよ。…実をいうと、俺は今、追われてる。
「俺らと一緒にいれば、ごまかせるってこと?」
男はパチンと指を弾いた。
「察しがいいな、坊や」
「坊やじゃない。オヅマだ」
オヅマが名乗ると、マリーもすぐに自己紹介した。
「私はマリーよ」
「俺は……ジェイ」
男は言いかけて、しばらく黙り込んだ。何かを考え込んでる様子に、マリーが首をかしげる。
「どうしたの?」
「いや…そうだな。俺の名前はエラルドジェイだ」
「エラ…ド…?」
聞き慣れない名前にマリーが苦戦していると、エラルドジェイは笑った。
「無理しなくていい。これはお前らと三人だけの時の名前。普段はジェイとだけ呼んでくれ」
「なんで?」
オヅマは意味がわからない。貴族でもないのに名前が二つもあるなんて。
するとエラルドジェイはポリポリと頬を掻きながら、少し恥ずかしそうに話した。
「エラルドジェイは隠された名前なんだ。よっぽど親しい人間以外は教えない……っつーのが、俺の家に伝わってる古くさい掟ってヤツなの。まぁ、俺はさほどに気にしてるわけじゃあないんだけどさ。でも、古代の氏族の血ってヤツが俺にもまだ残ってんだろうな。
「じゃあ……なんで俺らに教えるのさ?」
「お前らに信頼してもらうためさ」
「信頼?」
「誠意の証ってやつ」
オヅマにはエラルドジェイが秘めたる名前を教えることの意味があまり理解できなかった。正直、それで誠意の証と言われても、特に何も感じない。
だが、一緒に旅をすることが一方的にオヅマ達の利益になるのではない……むしろ男がマリーとオヅマの協力を必要としていることこそが、男への警戒を少し薄れさせた。
無償の好意よりも、利害関係があった方が、まだ安全だ。
「厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ。あんたが危なくなっても、俺はマリーを連れて逃げるからな」
オヅマは冷たく言ったが、男は意図を理解したのかニコっと笑った。
「勿論だ。俺も足を引っ張りたいわけじゃない」
オヅマは立ち上がると、膝についた土を払った。
「しばらくはその傷の手当てだってしなきゃならないだろ。もうすぐ日が暮れる。野宿できそうな場所を見つけないと」
「それだったら、いくつか心当たりがある」
エラルドジェイも立ち上がり、背中の傷に痛みがはしったのか、顔を顰めた。
「大丈夫?」
マリーが心配そうに聞くと額に汗を浮かべながら、エラルドジェイはやっぱり笑う。
オヅマはあきれながらも、エラルドジェイの脇に入り、体を支えてやった。
「おいおい~、無理すんなよ~」
「無理してんの、アンタだろ」
「ハハ、大丈夫だって。俺、普段からルトゥ(*麻薬の一種)吸ってっから、そんなに痛みとか感じないんだ」
「………よくないだろ、それ」
「こういう商売してっと、必需品でな」
オヅマは眉間に皺を寄せて言った。
「俺、煙草とか嫌いだからな」
◆
その後、帝都到着までの一月近く、オヅマはエラルドジェイと行動を共にした。
エラルドジェイを追いかけてきたゴロツキや、保安衛士によって捕まりそうになりつつ、三人はどうにかやり過ごした。
幸いにも途中でエラルドジェイが懇意にしている旅芸人一座と行き合い、この一団に加わることで追手からはほぼ逃れることができたし、オヅマ達兄妹も、客寄せなどを手伝って芸人達から可愛がられた。
帝都に入り、オヅマが向かう場所がガルデンティアだと聞いたエラルドジェイは、少しばかり真面目な顔で、声をひそめた。
「お前があそこと関わりがあるとは思わなかったな。……もし、追い出されたらすぐに俺ンとこに来いよ。帝都だったらアウェンスの肉屋にいるニーロっていう赤毛の男か…そこが駄目なら、ちょっと遠いけどアールリンデンのホボポ雑貨店、覚えてるか? 途中で寄ったろ? あの時はいなくて紹介できなかったけど、ラオっていう、ハゲ親爺に俺の名前を言ったらいい」
「ジェイって?」
「いや。この二人は俺の
「ふぅん。案外、誰にでも教えてるんだな」
「なんだぁ? 嫉妬か、オヅマ」
「フザけんな! バーカ!」
エラルドジェイはしょっちゅうオヅマをからかったが、その目はいつも優しかった。
このあと彼とは別れたが、後年になって再会した時も、彼はオヅマへの恩義を忘れていなかった。
終世、兄貴分としてオヅマを見守り続けてくれた。
その時のオヅマにとって、エラルドジェイとの出会いは人生における最大の僥倖だった。もし、彼に会えていなかったら、きっとオヅマもマリーも行き倒れて死ぬか、山賊か人買いに捕まってオヅマは殺され、マリーは売られでもしたことだろう。
オヅマにとってもエラルドジェイは恩人であった。
しかし後になって考えるほどに、彼はある意味、地獄への使者とも言うべき役割を果たしたのだった。その皮肉に気付かされながらも、オヅマはエラルドジェイのことを恨んだことは一度もなかった。
あの時もあの後になってからも、オヅマの昏い人生において、彼との旅はただ唯一、光の差した日々だった。
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