断章 ー帝都・キエル=ヤーヴェへの道ー Ⅱ

 オヅマは息をひそめて、男の様子を見ていた。

 ああして油断させて、マリーとオヅマが近寄った途端に態度が豹変するかもしれない。


 男は溜息まじりに、まだ呼びかけていた。


「頼むよぉ。困ってんだ、これでも。…ホラ、見てくれよ」


 男はいきなりベストを脱いだ。

 元は白かったと思われるシャツの背中は真っ赤だった。一目で血だとわかる。


「背中…やられちまった……ヤベぇな、これ。マジで……ヤベぇかも…ホントに……」


 男は言いながら段々と顔色が悪くなっていく。

 ゆっくりと体が傾いていき、そのうちまた地面に倒れた。


「……お兄ちゃん」


 マリーが心配そうに言った。


「あの人、怪我してるよ」

「………後ろからついてこい」


 オヅマはそれでも気を許さなかった。

 鍛冶屋の親爺が餞別にとくれた分厚い刀身の短剣を持って、そろそろと近寄る。


 足で男の脇腹あたりを軽く蹴った。反応はない。もう一度蹴ってみたが、動かなかった。


 オヅマは男の間近まで来て、その背中をまじまじと見た。

 シャツには何か小さな鋭い刃物で破かれた穴が四箇所ほどあり、その穴周辺に赤の色が濃かった。

 オヅマは眉を寄せ、持っていた短剣で男のシャツを切り裂いた。案の定、背中には刃物が刺さったらしい傷跡が四箇所ある。まだ出血していた。


「マリー、あそこに艾葉ヨモギがあるから適当に千切ってきてくれ」

「うん!」


 マリーは兄がようやく怪我をした男を助ける気になってくれたので、ホッとしてすぐさまヨモギが群生している場所に走っていく。その間にまた意識を取り戻したらしい男がかすれた声でつぶやく。


「……腰の袋に……薬……」


 オヅマが男の腰にある袋を探ると、いくつかの薬が入っていた。

 オヅマはその中から外傷用の塗り薬と、柿渋で染めた晒し布を取り出す。

 塗り薬を傷口にたっぷり塗り込むと、しみたのか男がうめいた。


「…っ…痛……」


 オヅマは反射的に一度地面に置いた短剣をすぐさま手に取った。


「動くな。動いたらもう、手当てしないぞ」

「………物騒なモン持って」


 男はククッと笑って、手を真上に上げてヒラヒラさせた。


「なーんもしねぇよ。頼むわ、ホント」


 オヅマはその後も警戒を緩めなかったが、とりあえず男の傷の手当てをした。

 マリーの千切ってきてくれたヨモギの葉をぐしゃぐしゃと揉んでから、傷口の上に重ねて、その上から柿渋の晒し布を巻き付けた。


「手際いいな、お前」


 男は途中からすっかり目が覚めていたようだった。

 あんな怪我をして、相当痛いだろうに、微塵も苦しげな素振りは見せない。

 オヅマは眉を寄せると、男の持っていた袋の中から、赤い小さな紙包みを取り出した。


「これ、痛散薬?」

「お、よくご存知で」


 オヅマはその紙包みと、水の入った革袋を渡す。


んでおけよ。痛いんだろ」

「へへ」


 男は笑って受け取ると、手慣れた様子で紙包みごと飲み込んだ。ゴクゴクと革袋の水を飲むと、ぷはぁと息をつく。


「いやぁ。助かった助かった。坊や、慣れてんな」

「………薬師のお婆さんとこで、ちょっと教わったから」


 オヅマは一年前に亡くなった薬師のお婆さんのことを少しだけ思い出した。

 偏屈で変わり者の、口やかましい婆であったが、こうして旅していると彼女の教えは非常に役立つことが多かった。今となっては感謝している。


「そうか。道理でな」


 男は革袋をオヅマに返すと、じっと自分を見てくるマリーをチラリと見る。マリーはすぐさまオヅマの背中に隠れた。


「妹か?」


 問いかけられても、オヅマは答えない。

 男はフッと笑った。


「そうか…お前らか」

「なに?」

「噂になってんぜ、お前ら。言ってもこの界隈でだけど。ガキが二人で旅してるって。ちょこまか逃げやがってクソムカつくって、人買いの野郎が飲み屋で騒いでた」


 オヅマはさっと顔が強張った。

 やはり子供二人では目立つのだ。


 街道を歩いている時でさえ、奇異に感じた人が声をかけてきたりして、そのまま保安衛士ほあんえじに引き渡されそうになってあわててマリーと逃げたのだ。

 その後はそれとなく隊商の列に並んだりして誤魔化していたが、関所はそう簡単に通れなかった。そこでも役人に疑われ、保安衛士が出てくる前に逃げた。


 男はニヤリと笑って腕を組む。


「さぁて。どうしたもんかねぇ…」


 オヅマはすぐさま短剣の柄に手をやる。しかし男は平然としていた。ザリザリと伸びた無精髭を撫でる。


「お前ら、どこまで行く気だ?」

帝都キエル=ヤーヴェ


 オヅマが止める前に、マリーが答えた。


「マリー! 勝手に言うな!!」


 オヅマが怒鳴ると、マリーはビクリと身をすくめる。

 男はハハハと笑った。


「そう怒るなよ、坊や。まぁ、そんなこったろうとは思ってたよ。孤児でも浮浪者でも、食い扶持のありそうな場所を目指すもんだ」

「俺らは、知り合いのところに行くんだ!」

「知り合い?」

「母さんに言われて…そこに行けば、きっと……どうにかなるって…」

「ふぅん」


 男は頷いてから、オヅマに尋ねてきた。


「じゃ、その知り合いの紹介状みたいなの、母親からもらってねぇの?」

「………」


 オヅマは目を伏せて拳を握りしめる。マリーは泣きそうな声で「お母さん…」とつぶやいた。

 男はそれ以上のことは聞かなかった。紺色の瞳でじいっとオヅマを値踏みするかのように見つめた後、ふっと笑顔になった。


「まぁ、俺はこれでも義理は通す方だ。お前らが困ってるなら、一緒に行ってやってもいい」

「断る」


 オヅマは即座に断った。

 男は肩をすくめた。


「この先、子供だけじゃあ無理だと思うぜ。特にそのお嬢ちゃんなんか、なかなか可愛い顔してるし、人買いが欲しがりそうだ」


 オヅマは唇を噛み締め、手に持った短剣をより強く握りしめる。しかし男はフルフルと首を振った。


「そーんな短剣振り回したって、それこそ十人がかりで囲まれたらどうする? お前、一人で相手できんのか? 相手している間に、妹はさらわれるだろうぜ。正直、ここまでは運が良かった。っつーか、さすがにこんな北の果てまで来るような悪党もいなかったってだけだ。いたとしても田舎モンの悪党はたいがい間抜けだからな」


 マリーはオヅマの腕にしがみついた。

 ラディケ村を出発してからずっと、気の休まる時がない。オヅマも限界だったが、マリーも疲れていた。ふっくらしていた頬もこけ、緑の瞳はいつもオドオドと怯えていた。


 正直、すぐにでも飛びつきたい申し出だったが、それでもオヅマは容易に男を信じなかった。


「……アンタが怪我をした理由は?」

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