第百十四話 嫉妬の相手
オリヴェルの部屋を出て執務室に入ってから、ヴァルナルは護衛のパシリコに外に出るように命令した。
二人きりになった部屋で、ヴァルナルはテーブルを挟んで向き合うミーナをしばらく見ていた。
そういえば、この状況はレーゲンブルトに戻ってきた時以来かもしれない。
ヴァルナルの頼みもあって、ミーナと再び話す機会は増えていたが、いつもは食事後に茶話室などで談笑するのが常だった。
「オヅマのことだ」
ヴァルナルがオヅマの名前を出すと、ミーナは顔を強張らせて目を伏せる。
「医者からはどういった説明を受けた?」
「……身体に非常に深刻な負荷がかかって、今は重度の貧血状態だと…」
「その深刻な負荷の原因は、『千の目』と呼ばれる
ミーナはギュッと膝の上で両手を握りしめた。眉間に寄った皺は深く、動揺する心を静めるためにふぅと微かな吐息をつく。
「ミーナ、『千の目』を知っているか?」
ヴァルナルが問うと、ミーナはしばらくしてコクリと頷く。
「……言葉には…聞いたことがございます。見たことは、ございません」
「騎士であればある程度、相手の気配を読むという基礎的な能力を伸長させることで、『千の目』に近い技能は身につく。だが『千の目』と呼ばれる稀能の域まで高めることができるのは、ほんの一握りの人間だ。私の知る限り、帝国においてこれを稀能として扱いうる人間は五指に満たぬ。ミーナ、オヅマは誰かの教えを受けたことはあるのか?」
「いいえ」
ミーナの返事は早く、強かった。
「そんなことを知っているわけがありません。オヅマはただの……小さな村で育っただけの子供です」
ヴァルナルはいつにないミーナの頑なな態度に困惑した。彼女はいったい何を恐れ、何を隠そうとしているのだろう…?
「…オヅマの治療の為もあって、私も少々『千の目』について調べた。それでわかったのは、『千の目』というのは独学で修得できるような技ではないということだ。人並み外れた才能があったとしても、手順を踏んで、専門的な教育を受けなければ、そもそも技として発現させることすら不可能なのだ。だからこそ、おかしい。オヅマにあそこまで反作用の症状が現れることが。あれは確実に『千の目』という稀能を使ったからこそ現れるものだ。そうでなければ、吐血などという劇烈な症状は生じない」
ミーナはかたく口を引き結んだまま、しばらく黙り込んでいた。やがて視線を
「その『千の目』というのは…血による承継があるのでしょうか?」
「うん?」
「血族に、同じような稀能を持つ人間がいれば、その子供にも受け継がれたりするのでしょうか?」
「………」
ヴァルナルはじっとミーナを見つめた。
ミーナの言いたいことはわかる。要はオヅマの稀能が遺伝によるものなのか…ということだろう。
だが稀能において遺伝はまったく関係ない。
ヴァルナルなどは父祖の代から商人であったし、反対にベントソン三兄弟など曽祖父は二つの稀能を扱った強者であったらしいが、今のところ子孫にその稀能を持つに至った者は出ていない。
すぐにも否定すればいいのに、ヴァルナルは反対に問うてしまった。
「心当たりがあるのか?」
「…………」
ミーナは再び押し黙った。
愁いを帯びた薄紫色の瞳が遠くを見つめている。
ヴァルナルは眉を寄せた。苦い気持ちが胸に広がる。
この一年の間、ミーナは自らの身の上についてある程度語ってくれたが、決して口に出さなかったことが一つだけある。
それはオヅマの実の父親のことだ。
正直、興味がないと言えば嘘になる。ヴァルナルの中では一年前に亡くなった元夫よりも、オヅマの実父の方がより心を波立たせる存在ではあった。
ミーナが容易に口にしないこと、それ自体が、彼女の心に占めるその男の度合いの大きさ、深さを感じさせたからだ。
だが今はそんなつまらない
「稀能は遺伝ではない。血縁はあまり意味を持たない」
ヴァルナルが答えると、ミーナはホッと息をつく。それからようやくヴァルナルの顔を見た。
「すみません。私にもオヅマがいつの間にそうしたものを身に付けたのかはわかりません。村にいる頃に、頻繁に薬師のお婆さんの手伝いをしてはいましたが…」
「そうか…」
これ以上、ミーナからオヅマの稀能について聞くのは無理そうだった。
ヴァルナルはひとまず疑問を封じた。このことはオヅマの
「よし。ではこの話はこれまでだ。次はミーナ、君の休養について話そうか」
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