第百十五話 一択しかない選択

 ヴァルナルが急に話を変えたので、ミーナは一瞬、何と言われたのか、わからなかった。


「え?」


 戸惑っていると、ヴァルナルは腕を組んで、少し怒ったような口調で言う。


「この数日、まともに寝ていないだろう? これは領主としての命令だ。ここでしばらく体を休めるか、自分の部屋に戻って休むか、どちらがいい?」

「そ…そんな…大丈夫です」

「悪いが、二択だ。どちらかを選びなさい。選ばなかったら、ここで寝てもらう」


 らしくない強引なヴァルナルの態度に、ミーナは唖然となった。

 しかし、ふとヴァルナルの耳が真っ赤になっていることに気付く。


 他方、ヴァルナルは厳しい表情を作るのに必死で、自分の耳が赤く熱くなっていることなど、まったくわかっていなかった。

 あの誘拐騒ぎ以降、ヴァルナルは何度となくミーナに休むようにと声をかけているのだが、ミーナは事件の原因が自分であるとでも考えているのか、まるで赦しを求めるがごとく、子供達の看病をほとんど寝ずにしていた。

 また、オリヴェルが紅熱病に倒れた時のように、無理が祟って倒れでもしたら…と思うと、ヴァルナルは気が気でない。

 ということで甚だ不本意ではあるが、目上の者には従順なミーナに、命令という形での休養を迫るしかなかった。

 あえて二択にしたのは、ただ休めと言っても、これまでの事例からかんがみて、ミーナが微笑んで無視することはわかっていたからだ。しかも二択の形式でありながら、実質的には一択しかなかった。(ミーナが領主の執務室で仮眠するなど、選ぶはずがない)


 ミーナはヴァルナルが睨むように自分を見てくるのが、必死に懇願されているような気がしてきた。

 考えてみれば、そのつもりはなかったが、自分はずっとこの寛大な領主の言葉を無視してきた。こんなに心配させていたのかと思うと、なんだか申し訳ない気分になってしまう……。


「申し訳ありません。ご心配をおかけして」


 ミーナが頭を下げると、ヴァルナルはふっと固めていた顔を緩めた。


「……謝るのではなく、少しは言う事を聞いてもらいたい」

「はい。では、しばらく自室にて休ませて頂きます」

「わかった。じゃあ、行こう」


 ヴァルナルは立ち上がると、ミーナに手を差し出した。ミーナがキョトンとしていると、ヴァルナルは咳払いして言った。


「このまま途中で倒れてしまいかねない顔色だ、ミーナ。一応、部屋まで送らせてもらう」


 それは本当にミーナが倒れそうで心配だというのもあり、またミーナが何かしらの理由をつけて、オリヴェルらの待つ部屋に戻るかもしれないので、防止の意味もあった。(まぁ、実際にはそれも言い訳だということはヴァルナルもわかっている。)

 ミーナは微笑むと、ヴァルナルの手を取った。

 執務室を出て部屋に向かうまでの間、二人はあくまでも一般的な礼儀の範疇で、腕を組んで歩いた。


「お優しい領主様に、こんなに心労をおかけして本当に申し訳ないことです」


 ミーナは恥ずかしさを紛らすように、少しおどけたように言った。

 しかしヴァルナルは大真面目な顔で答える。


「君のことを考えるのは嫌ではないが、できれば別のことで考えたいものだな」

「別のこと? どんなことをですか?」


 ミーナは首をかしげた。


「それは……」


 ヴァルナルは何と言おうか考えながら、視線をミーナに向ける。

 こちらを窺っているミーナと目が合うと、薄紫の瞳にライラックの花が自然と思い浮かび、その満開の花の下で佇むミーナの姿を想像した。


 細かな刺繍の施された白地のドレスに、真珠の髪飾り。

 花嫁衣装を着た美しいミーナ……。


 ヴァルナルはあわてて視線を逸らした。

 こんな妄想をするなんて、本当に自分はどうかしている…。


 困ったように黙りこくって、また耳を赤くするヴァルナルを見て、ミーナもなぜか顔が赤らんだ。二人はそのまま何ともいえぬ沈黙の中を歩いてゆき、ミーナの部屋の前で立ち止まる。


「あ…それでは…」


 ミーナはヴァルナルの腕から手を離したが、その手をヴァルナルがいきなり掴んだ。


「……あ」


 掴んでしまってから、ヴァルナルは自分でも驚いてしまったが、戸惑いを浮かべるミーナの表情に少なくとも嫌悪がないとわかると、ギュッと力をこめた。その手を口元に持っていってから、そっと離す。


「ちゃんと、寝るように」

「はい…」


 ミーナは挨拶もそこそこに部屋に入ると、そのままベッドに倒れ枕に顔をうずめた。  


「……馴れ馴れしくしては駄目よ。ちゃんと…自分の立場を弁えないと……」


 つぶやいた独り言を必死に心に刻み込む。

 そうせねばならないほどに、自分が動揺しているのを、ミーナは認めたくなかった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る