第百九話 嘘は最小限に

 前夜。


 ネストリはオッケを置いて領主館内にある私室に戻った後、靴も脱がずにベッドに潜り込んだ。


 ガタガタと震えが止まらない。

 また、これで考えねばならないことが増えた。


 オッケの死体は朝には見つかる。死因についてはすぐにわかるだろう。転んで頭を打った。それだけだ。実際にその通りなのだから。自分は一緒に転んだだけだ。殺してはいない。殺してはいない。……

 それでも死体を探って金貨が見つかれば不審に思われる。あんなものを下男が持っているはずがないのだから。


「ふ…ふ……ふふ…」


 ネストリは震えながら笑った。


 あれは天啓だった。


 ネストリはあの時、思いついた自分を褒めたかった。うまくいけば…うまくやれば、ヴァルナルに火事の犯人をオッケと思わせることができる。


 つまり、筋書きとしてはこうだ。

 オッケは謎の人物から金を受け取って、領主館で火事を起こせと頼まれた。その通りに実行し、金を貰って浮かれたオッケは大酒をくらい、運悪く足を滑らせて頭を打って死んだ。


 見事だ。

 我ながら見事なくらい、単純で隙のない理由ではないか。

 こうしたことは複雑にしてはいけない。簡単であるほうが、襤褸ボロは出にくいものだ。これはかつての同僚であるアルビンの言葉だった。


 アルビンはまたこうも言っていた。


「すべてを嘘で固める必要はない。嘘は最小限でいい。さもないと、後々厄介になる。大事なのは、認めても良いことと、絶対に認めてはならないことを、きっちり自分の中で分別すること。認めるべきことは認める」


 その上でもっとも肝となることは…


「聞かれたことだけに答えることだ。言葉が足りないことは、嘘にならない」


 自分をこんな窮地に落としてくれたことは恨むが、彼の助言は非常に有益だ。


 ネストリは布団にくるまりながら、一晩中考えた。

 明日の朝になって、ヴァルナルに呼ばれた自分がどういう行動をすればいいのか。どういう態度であれば、疑われずに済むのかを。


 早朝にドアを激しく叩く音にビクリと起き上がったネストリは、しばらく放心していた。とても眠れるとは思えなかったのに、案外と自分は寝ていたらしい。


「ネストリさん! ネストリさん! 起きて下さい、大変です!!」


 ドアを叩きながら叫んでいるのはロジオーノだろう。

 ネストリはテーブルにあった水差しの水をコップに入れて一口含んでから、フラフラ歩いてドアを開けた。


「……大丈夫ですか?」


 ロジオーノはようやくドアを開けて現れたネストリの顔色の悪さに、思わず尋ねた。

 ネストリは暗い顔で、眉を寄せる。


「なんだ?」

「あ、あの…オッケが…死んでて」


 ネストリは寝ぼけたようにも見える、鈍い反応だった。しばらく間を空けて、問い返す。


「オッケが…死んでる?」

「はい。庭で…あのオヅマの小屋のあった場所です」

「庭?」

「はい。今、領主様達が何か調査してるみたいです」


 ネストリはロジオーノに気付かれぬよう、ゴクリと生唾を飲み下す。それからあわてた様子で叫んだ。


「何だと!? 領主様が? もう起きておられるのか?」

「はい。イーヴァリが騎士達に話したみたいで、そこから伝えられたみたいです」

「すぐに行く!」


 ネストリは一度戻って、鏡の前に立つと、乱れた髪を丁寧にいた。

 深呼吸して、じっと鏡の中の自分を見つめる。

 ひどい顔だった。目の下にクマもできているし、ここのところ食べることすら削って仕事をしているせいか、頬もゲッソリこけている。

 昨夜汚れた衣服をあわてて着替えると、ネストリは部屋を飛び出した。


 ロジオーノに案内されて、昨日のあの場所に向かうと、気付いたヴァルナルとカールの冷たい視線が自分を射てくる。


 ネストリは一気に緊張した。震えを止めるのが精一杯だ。

 久しぶりに走って息切れしながら、ヴァルナルの元まで辿り着くと、その向こうに見えるオッケの死体に青くなった。


「お…なんという…こと」


 愕然とするネストリを、ヴァルナルはじっと観察する。今のところ、驚いている姿に不審な素振りはない。


「随分と、遅かったですね。執事殿」


 カールは明らかに疑わしい様子で言ってくる。ネストリは「すみません」と謝ってから、一応言い訳した。


「例の帝都からの学者や職人らの逗留の為の予算組みなどが山積しておりまして…加えて、館の仮予算編成の時期でもございますので、少々寝不足気味でございました故、申し訳ございません」

「あぁ、そうだな。色々と無理させておる。すまぬな、ネストリ」


 ヴァルナルもそれはわかっていた。

 確かにここ数日…いや、帝都から黒角馬の研究者が来ると知らされてからは、その準備のための館の改築や、兵舎に隣接する研究施設の増築のことで雑務に追われている。  


「それでオッケのことだ。そなた、この事態をどう思う?」

「……それ…は…」


 ヴァルナルの問いかけに、ネストリは詰まった。

 聞かれたことだけを答えればいい…というアルビンからの助言も、こうした曖昧な質問ではどう答えれば正解なのかわからない。下手なことを喋れば、自ら墓穴を掘ることになりかねない。

 ヴァルナルの手には金貨の入った袋があるが、あの袋の中身が金貨であることを言えば、即座に終了だ。


 ネストリは落ち着きなく目を動かしていたが、オッケの足元に転がったワイン瓶を見つけて、「ああっ!」と大声を上げた。


「どうした?」

「あぁ……領主様、申し訳ございません」


 ネストリは急に深く腰を折り曲げた。


「…なぜ、謝る?」

「私は、領主様に伝えるべきことを伝えておりませんでした。執事として許されざることです」

「なにをだ?」


 ヴァルナルが尋ねると、ネストリは深々と頭を下げたまま、かすかに肩を震わせながら言った。

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