第百十話 皮肉の連鎖

「オッケが地下の貯蔵庫セラーから、時折、酒を盗み出しておるのを…実は存じておりました!」

「………」


 予想外の答えに、ヴァルナルもカールも、その場にいて聞いていた人々はポカンとなった。


「月に二、三本程度のことでしたので、長年勤めてきた実績のある下男ですし、ワインも手前にある安い物しか盗ってはいないようだったので、大目に見ていたのです。一応、本人には再三注意をしてはいたのですが……」


 ネストリは言葉を区切ると、これ見よがしに大きな溜息をつきながら首を振った。

 ヴァルナルはネストリをじっと見つめてから、手に持っていた袋を差し出した。ネストリは困惑しながらヴァルナルを見上げた。


「…これは…なんでしょうか?」

「中を見てみろ」


 ヴァルナルに無理やり袋を押し付けられ、ネストリは嫌々ながら受け取った。

 緊張した面持ちで中身を見れば、当然ながらそこには十ゼラ金貨が二枚入っている。


 ネストリはブルブル震えた。

 気付かれているのか? 自分がこれをオッケのポケットにねじ込んでいったことを? いいや、そんな筈はない。あそこには誰もいなかった。誰にも気付かれてはいない。誰も知らないはずだ……。


「こ、こ…これは……?」

「オッケが持っていたのだ」

「オッケが? そ、それは…まさか……」


 ネストリの頭の中が高速でぐるぐる回る。

 この場合の返事は? どう言えば正解だろうか? 火事を誰かに指示された、その対価だと言うべきか? 喉まで出かけてアルビンの言葉が甦る。



 ―――― 絶対に認めてはならないことを、きっちり自分の中で分別すること。



 そうだ。火事のことは絶対に認めてはならない。ここで火事のことを一言でも自分から言い出せば、その時点で終わりなのだ。


「すっ…すぐに金庫を調べて参ります!」


 ネストリが言うと、ヴァルナルは眉をひそめた。


「金庫?」

「こ、この金貨はオッケが金庫からくすねたのではないのですか?」

「……オッケが…金庫の金をくすねるような機会があったと思うのか?」


 ヴァルナルが尋ねると、ネストリは項垂れた。


「申し訳ございません。ない、と言い切りたいのですが…絶対とは申せません。この数日は私も館の中を飛び回っていることもあって、時に執務室の鍵をかけずに行くこともございました。金庫の鍵はいつもしめていたと思うのですが、それもあるいは…もしかすると……」


 ヴァルナルはしばらく顎に手をあてて思案した。


 チラとネストリを見れば、ここ数日の過重労働で相当に疲れているようだ。目の下のクマは嘘でないだろう。その上でこの騒ぎだ。当人もかなり参っているのだろう。狼狽する様子にも不自然なところは見えない。


 ヴァルナルは領主館で火事が起きた時から、ネストリを疑ってはいた。おそらく火事だけであったなら、ヴァルナルはネストリを容疑者として尋問していただろう。

 だが、その後に立て続けに起こった誘拐や小公爵の失踪などを考えた場合、果たして彼にそこまで加担する度胸があるのかが疑問だった。


 ネストリは少々性格に難はあるが、仕事熱心で真面目な小心者だ。たとえ小公爵と敵対する勢力の代表とされるハヴェル公子の従僕であったとしても、ただそれだけの縁で、そこまでだいそれたことをする男に思えなかった。

 それにルーカスからの報告によると、彼がハヴェル公子の従僕であったのは確かだが、さほどに重用されていた訳でもなく、どうやら今はほとんど交流はないらしい。


 その上での、今回のオッケだ。


 領主館の使用人を疑うことはしたくなかったが、オッケという男の性質を考えると、イーヴァリの言うことも頷けるのだ。

 オッケは信頼した人間に対して盲目的に従うところがある。当人に何の悪気もなくとも、その人の為であると思ったならば短絡的な行動を起こしかねない。


 それに彼自身が残していった証言もある。


『火事の時には誰もいなかった』。


 正直者のオッケがそう言うのであれば、それはおそらく真実なのだろう。誰か、でなく自分がいただけなのだから。


 あるいはネストリが唆して、オッケに小屋に火をつけるように指示したのかとも考えたのだが………現在のところのネストリの言葉にも態度にも、そうした様子は微塵も窺えなかった。


「一応、金庫は調べておくように。ネストリ、君にもかなり無理をさせてすまなく思うが、睡眠はとることだ。記憶が曖昧になるほどに疲れているようでは、いい仕事もできまい」

「は……」


 ネストリが頭を下げると、カールが手を出してくる。


「その袋を返してもらおうか」

「は、はい。勿論」


 ネストリはカールに金貨の入った袋を返してから、ホゥと息をついた。


 どうやら…虎穴を脱したようだ。

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