第百八話 信じる男

 翌朝、オッケの死体を見つけたのは、パウル爺の孫で庭師見習いのイーヴァリだった。

 イーヴァリはまずパウル爺に知らせた。あわてて駆けつけたパウル爺は、幼くして亡くなった唯一の息子を看取った時以来、号泣した。


「馬鹿が…だから酒は控えろと言ったに……」


 パウル爺はオッケの足元に転がったワイン瓶と、オッケ自身から漂う酒の匂いに、おそらく酒に酔ったオッケが転んで、打ち所が悪く死んでしまったのだろうと思い込んだ。

 だから、騒ぎを聞きつけてやって来たヴァルナルにも、そのように言った。


「申し訳ございません、領主様。最後の最後まで、醜態を見せて死によりました……」


 泣きながら深々と頭を下げるパウル爺に、ヴァルナルは何も言わず、肩を叩いて慰撫した。

 傷心のパウル爺がヘルカ婆に連れられてその場を離れると、オッケの死体を囲んでいた騎士達が動き出す。


「ど、どうしたんですか?」


 イーヴァリが驚いて尋ねると、パシリコが眉間に皺を寄せて答える。


「一応、不審死ではあるからな。単純な事故なのか調べる必要がある」

「え…? 酔って足を滑らしたんじゃ…」

「それを調べてるんだ」


 二人が話している間も、ヴァルナルは騎士達が周辺を調べる様子を黙って見ていた。実は人を待っているのだが、起床した使用人達が何事かとざわめいている中、一番にやってきそうなその人間はまだ来ない。


「あっ…」


 オッケの死体の持ち物を確認していた騎士のサッチャが声を上げる。すぐにヴァルナルの元にやってきて、手に持った色褪せた緑の袋を差し出した。

 ヴァルナルは受け取って、中のものを取り出した。十ゼラ金貨が二枚。


「なっ、なんでオッケが…」


 そばにいたイーヴァリが思わず声を上げる。

 十ゼラ金貨などは、庶民には縁のない金だった。ずっと領主館で過ごしてきたオッケにとっては、おそらく一度も見たことのない部類の金であったはずだ。


 ヴァルナルはその金貨をしばらく見つめた。

 アドリアンが話していたことを思い出す。



 ―――― 首の男ダニエルから金貨を受け取っていた……



 あとで、この金貨をアドリアンに見せて確認する必要があるだろう…。


「領主様、もしやオッケのやつが火をつけたのでは…?」


 パシリコが言うと、イーヴァリは「まさか…」と言いかけて、すぐに口を噤んだ。ヴァルナルは注意深くイーヴァリを見ながら、パシリコにあえて尋ねた。


「どういうことだ? パシリコ」

「つまりオッケがこの金を貰って、火つけを請け負ったのではないか…ということです」

「ふ…む。イーヴァリ、お前はどう思う? オッケがそんなことをすると思うか?」


 イーヴァリはしばらく考え込んだ後で、おずおずと言った。


「その…オッケは……すごく純粋なんです。だから、自分にことをしてくれた人間の言うことは、無条件に信じちゃって。もし、誰かにその…金貨を貰ったら、そいつの言うことは、疑いなくきいてしまったのかも…しれない…かな…って」


 イーヴァリの語尾はだんだんと弱くなっていった。

 周辺の状況調査を行っていたカールが異変を感じてこちらにやって来ると、パシリコから話を聞き、険しい顔で自分を見てくる。


「放火だぞ? そんな大変なことを頼まれて、疑いもなく実行するか?」


 カールが聞き返すと、イーヴァリは残念そうに溜息をついた。


「俺とかなら、勿論断ったと思うけど……オッケは…わかんないです」

「あの…」


 その時、遺留物の捜索にあたっていた騎士のゾダルが手を上げる。


「火事の第一発見者はオッケです。ひどくあわてた様子で俺に知らせてきて」

「そういえばそうだったな」


 カールが頷く。ゾダルは続けて言った。


「俺、おかしいと思ったんです。オヅマはしっかりした奴だから、暖炉の火を消し忘れるとかないだろうし、あんな庭にぽつんとある小屋に、どこからか火が飛んでくるわけもないし。だから俺、オッケに訊いたんです。火事を見つけた時に、誰か見なかったかって」

「なんと言っていたんだ?」


 ヴァルナルが尋ねると、ゾダルははっきりと言った。


「誰もいなかった…って」

「お前が火をつけたのか? と尋ねた方が良かったのかもな。そうすれば案外、すんなり認めたかもしれん」


 カールが皮肉げに言ったが、それはある意味、正鵠を射ていた。


 ゾダルの問いにオッケはよくよく考えて答えたのだ。「誰もいなかった」と。

 なぜならば、彼がネストリを見たのはで、ではなかったから。


 オッケは純粋で、正確な男だった。

 彼の中では、ネストリがオヅマの小屋から出て来たことと、火事の因果関係は生じていなかった。

 だが、それはもはや誰にもわからぬことだった。


 イーヴァリはうつむいて嘆息した。

 利用されていたことも知らずに、オッケはお金をくれたの為に、放火なんて罪を犯してしまったのかもしれない。だからこそ、今、こうして罰を受けて死んでしまったのかもしれない…。


 祖父の悲しそうな姿を思い浮かべて、イーヴァリは泣きそうだった。


「馬鹿なやつだが…アイツは儂の息子みたいなもんじゃ……」


 ヘルカ婆との間の息子を亡くして以来、パウル爺にとってオッケは息子同然だった。愚かで、人の機微に無頓着な人間ではあったが、オッケはパウル爺を心底から慕っていたし、パウル爺もまた愛情をかけた。

 年経て、また再び息子を亡くしたパウル爺の悲しみを考えると、イーヴァリはひどく心が沈んだ。


 暗い顔をしてうつむくイーヴァリの横で、ヴァルナルは領主館から現れたネストリを見て、冷たくつぶやいた。


「……やっと来たか」

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