第百七話 下男オッケ(2)

「見ていたのか?」


 呆然とつぶやいたネストリを見て、オッケはケラケラ笑った。


「おぉ…見てたよぉ。見た! 見た! キョロキョロしてたよな? おでと一緒だ。おでが酒盗む時と一緒!」


 ネストリはブルブルと唇を震わせると、オッケに近寄ってグイと襟を掴んだ。


「………オッケ、誰にも言うな」

「えぇ?」

「今のことを誰にも言うな。わかったな…!」


 素面しらふであるなら、オッケは頷いたかもしれない。だが、日頃から自分に対して高圧的で、馬鹿にした態度もあらわなネストリに対して、オッケも不満が溜まっていた。ムン、と口を曲げて、


「やーだね」


と、襟を掴んだネストリの手を払う。


 ネストリはギリと奥歯を噛み締めて、オッケを睨みつけた。

 オッケごときが自分に対して傲慢に振る舞うこと、それ自体がネストリの自尊心を傷つけた。大声であらん限りの罵倒の言葉をぶつけてやりたかったが、今回は耐えるしかなかった。なにしろ、相手はネストリが一番見られたくなかったものを見ているのだ。

 オッケは馬鹿だが嘘はつかない。「誰か見たか?」と訊かれれば、必ずネストリの名前を出すに違いない。なんとしても、今、言いくるめておく必要がある。


「わかった。いいものをやろう」


 ネストリは金貨の使い道を見つけた。

 ポケットから取り出した二枚の十ゼラ金貨の入った袋を押し付ける。


「なんだい、これ?」

「見てみろ」


 オッケは袋をまさぐって金貨を一枚取り出すと、月に向かって掲げて目を丸くした。


「うわぁ…綺麗な石だなぁ。真ん丸のお月さんみたいだ」


 ネストリは苛々と歯噛みしたくなるのをこらえて、笑ってみせる。


「これは石じゃない。きんだ。お金だ。とても高価なものなんだ」

カネェ? 金なんて貰えるのかい? いいのかい?」

「あぁ。構わない。だから、さっき言ったこと…私がオヅマの小屋から出て来たことを…誰にも言わないでいてくれるか?」

「あぁいいよ」


 オッケは軽く請け負って、金貨を月にかざしながら上機嫌で鼻歌など歌い出す。そのままフラフラと歩いて行くオッケに、ネストリは付け加えた。


「その金のこともだぞ! 私からだと言っては駄目だ!」

「あーい」


 オッケは振り向きもせず、ヒラヒラと手を振って歩いて行く。


 ネストリは見送りながら、急にとてつもなく不安になった。

 あの男は本当に黙っておくのだろうか。酔いが醒めて、朝になればすっかり忘れているかもしれない。そうしてあの金を持っていることが発覚したら、確実にヴァルナルは奇妙に思って尋ねるだろう。


「この金貨はどこで手に入れた?」


と。

 そうなった時、オッケが酔いと一緒にネストリのことを忘れていてくれればいいが、下手に覚えていたら絶対に話すに違いない。



 ―――― 駄目だ!



 ネストリはあわててオッケを追いかけた。


「待て、オッケ! やはりその金は返せ」

「ハアッ? 嫌だ」

「嫌じゃない。返せ、返すんだ。お前なんかが持っていても、仕方ないだろう!」

「なんだと!? コイツめ、やっぱりおでを馬鹿にしやがって」

「うるさい! いいから返せ!」

「嫌だ! これはおでんだ! おでんだぞ!!」

「大声を出すな、この馬鹿…ッ!」


 ネストリはオッケの口を塞いだが、もとより酔っていたせいで足元が覚束なかったオッケがよろけた。


「うわぁ!」

「うあっ」


 二人もろとも倒れて、ゴッ! と鈍い音がした。


 ネストリは顔を顰めながら起き上がると、オッケの持っていた袋を取り上げる。


「お前には意味もないものだ」


 鼻で嗤いながらネストリは立ち上がりかけて、ピタリと止まった。


 崩れた花壇の石に頭を打ちつけたオッケは、目を見開いたまま、虚ろにネストリを見ている。いや、見ていない。オッケはもう何も見ていなかった。


「…ッ…ヒィ…」


 ネストリは驚きのあまり、尻もちをつく。手から袋が落ちて、中から金貨が一つコロコロと地面を転がった。


 しばらくその態勢で見つめていたが、オッケが起き上がる気配はない。


「おい」


 ネストリは小さく呼びかけたが、返事はない。

 四つん這いになって、そろそろとオッケに近づく。そうっと心臓に耳をあてたが、鼓動は聞こえてこなかった。

 ネストリは反射的に飛び退すさった。動きを止めたオッケの心臓と対照的に、ネストリの心臓は跳ね上がらんばかりの勢いで拍動する。


「あ…あ…」


 ネストリはおののいた。

 震えながら、固まった首を無理に動かして辺りを見回す。


 誰もいない。誰もいない。誰も……見ていない。


 確認が済むと、ネストリは立ち上がった。

 肩で息をしながら、死んだオッケをしばらく見つめる。


 ヒュイィィ! と急に響いた獣の声にビクリと身を震わせると、我に返った。


「そ…そ……そう…だ」


 ネストリはガクガクと膝を震わせながらも、落ちた金貨を拾って袋に入れた。それをオッケのポケットにねじ込む。それから灌木の間に引っ掛かっていたワイン瓶を、オッケの足元に転がした。


「お前だ。お前がやったんだ、ぜんぶ」


 すべてをオッケに被せて、ネストリは足早にその場から立ち去った。




「ふ……ん」


 深夜のその出来事を、冬枯れの木立に隠れて見ていた人物は、興味深げな吐息をついて、ゆっくり来た道を帰っていった。

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