第百四話 悲鳴

 夜明け前に響いた鋭い悲鳴に、アドリアンはハッと目を覚ました。


 目の前では、さっきまでベッドに横たわっていたオヅマが起き上がって、苦しそうに


「オヅマ! やめろ!」


 アドリアンは必死で自らの首を絞めるオヅマの指を掴んだ。しかし、まるで貼り付いているかのように、取れない。

 寝椅子カウチで寝ていたヴァルナルもあわてて駆け寄り、オヅマの手首を掴んだ。


「よせ! オヅマ!」

「やめてくれ! 頼むから!!」


 アドリアンは情けなかった。

 こんなにオヅマが苦しんでいるのに、自分はブルブル震えて助けることもできない。


 ヴァルナルはギリと歯噛みすると、手首を掴む力を徐々に加えていく。これ以上やれば骨が折れるかもしれない…と危惧したところで、オヅマの手は力を失くした。


 ゴホッゴホッと噎せ返るオヅマの背を、アドリアンは撫でさすった。涙が出てきそうで唇をかみしめる。


 ヴァルナルはオヅマの手首が折れていないかを確かめて、大丈夫だとわかると、ホッと息をつく。


「お前は…無茶ばかりする」


 あきれたように言いながらも、ヴァルナルは心底安堵した。

 ひとまず目を覚ましたのであれば、大丈夫だ。あとはしっかり静養して、しっかり食事をとれば治るだろう。


 身に過ぎた稀能の発現は時に身体に損傷を与えるが、基本的にはしっかり寝てしっかり食べていれば日にち薬で治る。ヴァルナルでさえ、今持っている稀能をきちんと修得するまでには、幾度となく嘔吐や頭痛、鼻血や眩暈などを繰り返していたので、この症状に対する療法については概ねわかっていた。ただ、血を吐くほどの劇症は初めて見たが……。


「まだ早いと言っただろう…」


 ヴァルナルは諭しながら、オヅマの頭を撫でようとして、パン! と手を払われた。


「……オヅマ?」


 問いかけると、オヅマは伸びた前髪の間から剣呑に見てくる。だが、視線が合わないのは、おそらくまだオヅマの目に光が戻っていないせいだろう。 


「まだ視力が戻っていないようだな」

「………誰だ?」


 オヅマの声はひどく低かった。威嚇しつつも、目が見えないことで怯えているのか、カタカタと細かく肩が震えていた。

 アドリアンはオヅマの手を握った。


「大丈夫だ、オヅマ。みんな、無事だ」


 オヅマは眉を寄せた。


「……みんな? 無事?」

「あぁ。マリーもオリヴェルも…」

「……マリー……」


 オヅマはつぶやいて、見えないはずの両手をまじまじと見つめる。


「……嘘だ」


 アドリアンは小さな声に首を傾げた。


「オヅマ?」

「俺は…殺した!」


 いきなり叫んで、オヅマは頭を掻き毟る。髪の毛がブチブチと千切れた。


「やめろ、オヅマ!」


 ヴァルナルはすぐさまオヅマの手を掴む。動かないように握りしめる。

 オヅマはうぅぅと唸りながら、視線をさまよわせた。


「オヅマ……すまない。本当に…ごめん…。僕のせいだ…全部、僕のせいなんだ。本当に…本当に……ごめんなさい…」


 アドリアンは震える声で何度も謝った。涙があふれてくる。


「オヅマ…落ち着け。お前は間違っていない。あの時、お前はマリーを助けただけだ。いや、あの場にいる皆…オリヴェルもアドルも助けた。自分を追い詰めるな。お前の判断は間違っていない」


 ヴァルナルが必死で諭すが、オヅマはギロリとヴァルナルの声のする方を睨みつけて怒鳴った。


「ふざけるな! 間違っていないだと? が、間違っていないだと?! 狂っている…お前らは狂ってる!!」

「……オヅマ」

「俺は殺した! 人を殺した!! 無意味に、殺しまくったんだ!!」


 ヴァルナルは眉をひそめた。

 何か…おかしい。勘違いしている。悪夢でも見たのだろうか。


「オヅマ。気を静めろ。お前は思い違いをしている」

「離せ! 離せ!」


 オヅマはバタバタと足を動かして、布団キルトを払い除けると、ヴァルナルの腹を蹴りつけた。不意打ちにウッ、となりながらもヴァルナルはオヅマの手を離さなかった。


「離せよ!」


 オヅマは叫んだが、急に力を失った。もとより血を多く吐いて貧血であったのに、起き抜けに暴れたせいで、失神寸前だった。

 前のめりに倒れかけたオヅマを、ヴァルナルが抱きとめる。

 オヅマは白い顔でつぶやいた。


「……俺は……人を…殺した…」


 ヴァルナルはオヅマを抱きしめると、安心させるように背中をやさしく叩く。


「オヅマ…誰もお前を責めることはできない」


 オヅマは力なく首を振った。

 薄れかける意識の中で、緑の瞳の少女が問いかけてくる。



 ―――――ドウシテ、私ヲ殺シタノ?



 オヅマの目から涙がこぼれ落ちた。

 自分もあの子と一緒だ。最初から選択肢などない。それでも自分のしたことは赦されるのだろうか?


「オヅマ…。誰も、お前を責めはしない。誰にも、文句は言わせない。……


 安心させるようにヴァルナルは優しく言った。


 だが、その言葉はオヅマに絶望をび起こしただけだった。泣きそうになりながら、顔が苦く歪む。


「………見捨ててくれれば……よかったのに……」


 そうであれば、自分は化け物にならずに済んだのに。―――――


 そのままオヅマは再び深い眠りに落ちていった。

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