断章 -千の目- Ⅳ

「お前が子供ガキを殺すのに躊躇するようだと報告したら、わざわざ獣の皮を被せてやるようにとご配慮して下さったのだ」

「……獣…?」


 オヅマは死んだ少年の横に落ちた茶色の毛皮を見た。それから少年を見ると、大声を出せぬように猿轡さるぐつわをかませられ、膝を折り曲げた状態で足をくくられていた。両足首の包帯は、おそらく逃げられぬよう腱を切ったのだろう。


「今回は一度で仕留めたじゃないか。次もその調子でってこい」


 リヴァ=デルゼが楽しげに言うのが、オヅマには理解しがたい。

 プルプルと首を振ると、リヴァ=デルゼは即座にオヅマの横腹を蹴りつけた。


 ザザッと、石畳の上を転がりつつ吹っ飛ばされ、オヅマは水たまりにベシャリと顔を打ち付けた。

 ギリ、と奥歯を噛みしめて、脇腹を押さえながら叫ぶ。


「嫌だ! こんなこと……したくない!!」


 リヴァ=デルゼはコツ、コツと硬い靴底の音を響かせて、オヅマの所まで来る。

 また蹴られることも覚悟しながら、オヅマはリヴァ=デルゼのセピア色の瞳と対峙した。

 ニィィ、と彼女は三日月のような微笑を浮かべた。

 オヅマの髪を引っ掴んで、グイと顔を寄せる。


「いい相貌かおだ。ゾクゾクする…」


 オヅマはもはやリヴァ=デルゼという人間に不快感しかなかったが、それでも必死に訴えた。


「先生……できません。閣下に報告してもらっても構いません」

「オヅマ」


 リヴァ=デルゼは半笑いを浮かべ、奇妙なほど大きく首を傾げて、オヅマに問いかけた。


「何が違うというのだ? この奴隷の子供ガキと、お前が今まで殺してきたケダモノ達と。両方とも命があった。生きて死んでいくことにおいて、同等だろう? なぜ、兎は殺せて、ガキを殺せない? なにを躊躇している? あの兎や猿だって、お前に殺されることを望んでいたと思うのか?」


 その言葉はオヅマの中で反芻され、拭いがたい真実として積もっていく。

 ガク、ガクと震えながら、オヅマは視線の先にある少年の死体を見た。


 さっきまで死の恐怖に怯えながら、隠れていたのだろう。必死で、生きようとしていたのだろう。

 その命を奪った気味悪さが、はっきりと手の中に残って、赤黒く染み付いていく。

 リヴァ=デルゼの言う通り、オヅマはこれまでに数多くの動物を殺してきている。その声なき者達の、理不尽な死をもオヅマの責任であるなら、もうこの両手は真紅に染まっているのだろう。


 リヴァ=デルゼはつまらなさそうに、オヅマをほうった。

 濡れた地面に尻もちをついて、オヅマは呆けたように虚空を見つめた。

 リヴァ=デルゼはオヅマの前で腕を組み、しばし無言だった。


 硝子のれ目から雨が降り落ちる。


 葉を濡らす雨の音。

 木々の間を飛ぶ鴉の羽音。

 微かに聞こえた小さな咳。


 冷たい静寂の後に、ボソリとリヴァ=デルゼは言った。


「………


 その言葉の意味を、オヅマはすぐに理解できなかった。

 見上げたオヅマと目が合ったリヴァ=デルゼは、しばらく無表情だったが、やがてニヤリと嗤ってもう一度言った。


……な」


 オヅマはぼんやりとリヴァ=デルゼを見つめながら、その言葉の意味を理解するよりも早くに、彼女の服を掴んで訴えていた。


「やめて…くれ。マリーは……マリーは関係ない」

「そうかな? そう思うか? いかな閣下とはいえ、何の役にも立たぬ兄妹の面倒を無償で見て下さるほど優しくはない。閣下が許しても、周囲の人間が許すかどうか…。というのは、いつ、どんな時に起こるのかわからぬものだ」

「何を言ってるんだ!? やめろよ!!」


 リヴァ=デルゼは必死なオヅマの姿を見て、セピアの瞳をうっとりと細めた。恍惚とした愉悦に酔いながら、歌うように話す。


「知っているか? オヅマ。閣下が目をかけて育てているのはお前だけではない。奴らも今日のお前と同じように、課題を与えられている。奴らの課題のがいつも奴隷とは限らぬ」


 オヅマの薄紫の瞳は絶望に覆われた。

 顔色の変わったオヅマを見て、リヴァ=デルゼは満足そうに微笑む。そして、無情に命令した。


「立て」

「………」


 言われるままにオヅマは立ち上がる。


「剣を持て」


 少年の死体の側に落ちていた剣を拾う。


「残りは四体だ。漏らさずしろ」

「…………はい」


 ―――――時間はかからなかった。


 五人目の少女の首を裂いて殺した後、オヅマは吐いた。

 胃が空になって酸っぱい胃液だけになっても、吐き気は収まらなかった。青ざめた顔で浅い呼吸を繰り返す。

 強さを増した雨が、オヅマの全身を濡らしていく。


 ふと視線を感じて横を見ると、少女の緑の目がオヅマを見ていた。


 マリーと同じ緑の瞳だ……。

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