断章 -千の目- Ⅲ

 は続いていた。


 オヅマは抗いながらも、目を開くことができない。


 見たくないのに…。


 どうして安らかな眠りがには訪れないのだろう。





 温室で倒れ、意識を失ったオヅマが目を覚ますと、そこには穏やかな微笑を浮かべた男がいた。はっきりと顔がわからない。


「大丈夫か? オヅマ」


 優しげに声をかけてきて、額に乗せた手拭いを盥に入れて絞り、オヅマの額の汗を拭う。


 いつの間にか運ばれていたらしい。天蓋のある豪奢なベッドに横たわる自分に、オヅマは眉を寄せた。


「……ここは?」

「私の部屋だ」

「閣下の…?」


 オヅマはざっと部屋を見回して、そこが自分の部屋でないとわかるとすぐに起き上がった。だが、男はオヅマの肩をそっと押して寝かしつける。


「気にせずともよい。疲れているのだろう。ゆっくり休むとよい」

「閣下……先生が…リヴァ=デルゼが…子供を殺せと」


 オヅマは言いながら、涙を浮かべて死んでいた女の子を思い出し、声が震えた。

 あの子は、自分が殺した。リヴァ=デルゼがオヅマの腕を掴んで、無理に殺させたが、あの子の死の慄えをオヅマは感じた。手に、彼女の重みが残っている。


 男はそっとオヅマの頭を撫でた。


「あぁ……つらい思いをしたのだな、オヅマ。可哀相に…」

「閣下、すみません。すみません……閣下」

「なぜ謝る?」

「期待に添えなくて…きっとお役に立つと…言ったのに」


 男はにっこり笑うと、ゆるゆると首を振った。


、オヅマ。


 深みのある声はじんわりと胸に染み込んでいく。オヅマは泣きそうになったが、次に男の放った一言に凍りついた。


「マリーは、残念がっていたよ。お前に会えないことを」

「………え?」

「今回の課題が済めば、久々に妹に会いに行くのもよかろうと思っていたのだ。それで伝えてあったのだが、今回は仕方がないな」


 心臓を氷の手で鷲掴みされたかのようだった。

 オヅマは言葉を失い、そのまま出て行く男を見送った。



 ―――――信用するな。



 遠くで冷たく言い放っているがいる。



 ―――――これが、アイツのやり方だ。


 

 オヅマの目から涙がこぼれ落ちた。

 

 マリー。

 懐かしいマリー。

 一体、いつになったら、お前に会えるんだろう……。




 泣きながら眠り、再び目を開くと、再びあの温室にオヅマは立っている。

 

 背後でリヴァ=デルゼが前と同じように言う。


「五体だ。お前が大層嫌がるから、獣にしてやった。今度はしくじるな」


 オヅマはホッとした。

 やはり人を…子供を殺すなんてことしたくない。


 地面に膝をついて、意識を集中させていく。

 教えられた通りに、焦らず、ゆっくりと、確実に。


 ポタポタと罅割れた天井から雨粒が落ちてくる。

 今日は朝から雨で、重苦しい雲が空をずっと覆っていた。ザアァと絶え間なく降る雨の音が、この温室を世界から隔絶する。

 その中心でオヅマは静かに、気配をなくしていく。 


 閉じかけた半眼が開くなり、その場にオヅマはいなかった。

 網にかかった最初の獲物は、朽ちて半分屋根の落ちた東屋ガゼボのそばにある棕櫚の木の下でモゾモゾと動いていた。

 地面を這いずり回るその茶色い獣に向かって、オヅマは躊躇なく剣を突き刺した。


「…こはっ!」


 声がした。明らかに獣ではない声が。


 剣を抜くと同時に、獣の皮がめくれる。

 まくれあがった茶色の毛皮の下から、人の腕が見えた。


 オヅマがすぐさま毛皮を掴んで剥がすと、自分と変わらぬ年頃の少年が背中から血を流して倒れていた。


「…………」


 オヅマはカランと剣を落とした。

 目の前の少年の死体を茫然と見つめる。


「…あ……」


 自分が殺人という行為を行ったのだと自覚して、オヅマは叫びたかったが、何かが喉を塞いで声が出ない。


「閣下に感謝しろ」


 立ち尽くして動けないオヅマに声をかけてきたのは、リヴァ=デルゼだった。

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