第九十四話 金貨三枚分の男

 ダニエル・プリグルスは粗末な椅子に座って、縄をかけられた二人の子供を血走った目でどんより見つめていた。


 赤銅色の髪の少年は、白い顔で少し苦しげな息をしつつも、必死でダニエルを睨みつけている。栗色のクセっ毛の少女も、そんな少年を心配そうに見ながら、時々、涙を浮かべた緑の瞳でダニエルを睨みつける。


 ダニエルは置いてあった年代物らしいワインを瓶ごと飲んでいたが、とうとう空になると、苛立たし気に地面に叩きつけた。

 バリン、とけたたましい音が洞窟のような部屋に響き、女の子供がキャッと悲鳴を上げる。

 その恐怖する様子を見て、ダニエルはハハハと笑った。


「怖いか? 僕が怖いか? 怖いだろう…? もっともっと怖い思いをさせてやろうか? えぇ?」


 ダニエルは涎を垂らしながら、フラフラと子供達に近寄っていく。その目は少年と少女を映しながらも、頭の中では会ったこともない少年を勝手に彼らに重ねていた。


 いよいよアドリアン・グレヴィリウス小公爵がやってくる。

 自分の前に。

 そうして自分は彼を殺す…!


 考えれば考えるほどに、ダニエルは平常心を失っていった。


 この地下に来て半日。目についたワインを飲まずにはいられなかった。

 ほとんど酔っ払っていたのに、いつものように楽しい気分にもなれず、眠気もやってこない。

 フワフワとした酔いが足をフラつかせても、ダニエルの神経は逆立っていた。異常な緊張感と酩酊が同時にやってきて、自分でも訳が分からない。


「ハハハハ」


 笑いながら子供達の方へと向かっていく途中で、ギィと扉が開く。

 ほぼ同時に、エラルドジェイの声が響いた。


「さぁ、ようやくアドリアン・グレヴィリウスを連れて来てやったぞ」


 ダニエルがさっと目をやると、そこには公爵そっくりの鳶色の瞳に黒髪の少年が立っていた。

 不意にあの時の―――会合で公爵に睨まれた時のことを思い出して、ダニエルは硬直した。


「マリー! オリヴェル!」


 アドリアンはダニエルの向こうで恐怖に小さくなっている二人のもとへと走っていく。


「アドル!」

「わあぁぁん!!」


 泣き叫ぶマリーを抱きしめながら、アドルは手の中に隠し持っていた小さな剃刀で素早く二人の縄を切った。

 オリヴェルはハッとアドリアンを見たが、アドリアンは口元に指をあてて黙るように指示する。


 三人の背後では、ようやく我に返ったダニエルがあわてて腰の剣を抜こうとして、エラルドジェイに止められた。


「なにをする!? 貴様ッ」


 びくとも動かせないような力でダニエルの腕を掴みながら、エラルドジェイは余裕の笑みを浮かべて左手の掌を差し出す。


カネ

「っ……後で渡すッ!」

「冗談じゃない。依頼は完遂した。即座にもらうのが、ウチの流儀でね。この期に及んでガタガタ抜かす気かい?」


 紺の瞳が細く不気味に笑うほどに、エラルドジェイの力が増していく。ミシミシと骨が軋むのがわかって、ダニエルは降参した。


「わかった、わかった! わかったから! すぐに渡す!! 渡すから…離してくれ!」


 エラルドジェイはダニエルの腕を離すと、その鼻先にさっきまでアドリアンを脅していた剣を向けた。


「とっととしろよ」


 ダニエルは恐怖に顔を引き攣らせながら、椅子の傍に置いておいた鞄から赤い布張りの箱を取り出した。


「こ、これ…」

「開けて見せろ」


 エラルドジェイが冷たく指示するとダニエルはすぐに蓋を開ける。

 十ゼラ金貨がきれいに二十枚並んで、眩い光を放っている。

 エラルドジェイはニヤリと笑って、蓋を閉じるとダニエルから箱を取り上げた。


「どうも。じゃ、俺はこれで」

「まっ、待てッ! 約束では、後金は百七十ゼラのはずだ! 三十ゼラは返せッ」


 エラルドジェイは心底呆れ返ったため息をついた。

 クルリと振り返って、ダニエルの冷や汗の浮いた赤ら顔を軽蔑もあらわに見つめる。


「こういう時に、もできねぇようだから、アンタは捨てられるんだよ。誰からもな」

「な……なに…?」


 エラルドジェイは箱から十ゼラ金貨三枚を取り出すと、ダニエルに向かって放り投げる。地面に音をたてて落ちた金貨を、ダニエルは情けなく四つん這いになって拾い集めた。


「………クズが」


 小さな声でつぶやくと、エラルドジェイは持っていた剣をアドリアンの足元に放り投げた。

 困惑して自分を見つめるアドリアンに手をヒラヒラと振って、エラルドジェイはその部屋から出て行った。


「運が良けりゃ、生き残るさ。どちらかがな」


 誰に言うでもなく、エラルドジェイは独りちた。

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