第九十三話 シレントゥ三番埠頭
シレントゥの三番
ぬかりなく周辺の人の気配を探る。
既にその日の荷降ろしは終わっており、舟はすべて桟橋に繋がれ、辺りはほぼ無人だった。不自然に動く影も見当たらない。
アドリアンは紙の内容をきちんと覚えているようだ。迷うことなく指定した倉庫に向かっていた。三番埠頭の一番端にある、冬場はほとんど使われることのない倉庫。
アドリアンがその巨大な二枚扉の前に立つと、エラルドジェイは雀の面を被って、倉庫の屋根の上から降りた。
アドリアンの背後に立つと同時に、剣をその背に当てる。
「ようこそ、小公爵。約束をお守りいただいて何より」
十歳だと聞いていたが、アドリアンはよほどに自制の教育をされているらしい。じっとしたまま、冷静に尋ねてくる。
「マリーとオリヴェルは?」
「無論、今からご案内致しますよ」
「一つだけ訊きたい。今日のことは、僕をここに来させるためか?」
「えぇ。あなたに是非にも会いたいと
「………」
それ以上質問することなく黙り込んだアドリアンに、エラルドジェイは微笑んだ。
普通であれば、「一体誰が? なんのためにこんなことを?」と騒ぎ立てそうなものだが、アドリアンは律儀にも一つだけの質問を守ってくれるらしい。
同じ貴族のお坊ちゃんでもダニエルとは大違いだ。大貴族の若様ともなれば、その品性も知性も格段に違ってくるものなのだろうか。それともこの小公爵様が、普通の子供ではないのだろうか。
エラルドジェイはアドリアンの首に刃を向けたまま、腕を伸ばして扉をコココッ、コツッと打つ。合図となる独特のリズムのノックだ。
大きな扉の一部をくり抜いた小さな通用口が開いた。
「中へどうぞ」
◆
背後から促され、アドリアンは歩を進めた。
中に入って三歩で背後の扉が閉められ、一瞬、暗闇になる。しかしすぐに明かりが辺りを照らした。
大きなフードを被った男が、ランタンの明かりを遮っていたシェードを取ったのだ。
「ありがとさん。これ、約束のやつな」
アドリアンの背後の男が金を渡しているようだ。チャリン、チャリンと二回音がした。フードの男の顔は見えなかったが、軽く会釈するとアドリアンの入ってきた通用口から出て行った。一瞬だけ空気が動いて、再び淀む。
「そのランタン、持ってもらえますかね、小公爵様」
アドリアンは黙って言われた通りにランタンを持ち上げる。すかさず背後の男が剣の切先でツンと肩をつついた。
「妙な真似はなさらぬように。あの二人を助けたいのであれば」
「………わかっている」
「では、そのまま真っ直ぐこの通路をお歩き下さい」
アドリアンは歩きながら、倉庫内部の様子をざっと確認した。
今、アドリアンが歩いている真ん中の通路の両端に木材で出来た
それぞれに階段があって、アドリアンのいる一階部分から二階の棚部分に歩いて行けるようになっている。今は繁忙期でないせいか、棚には大小の箱が置き捨てられているようだった。大きいものは大人一人が入れるくらい。中身が入っているのかどうかはわからない。
つきあたりまで来ると、扉があった。
「開けて下さい」
言われた通りにして開けると、ゆるやかなカーヴの石階段が地下へと続いている。
「降りて下さい。少々滑るかもしれませんから、足元はくれぐれも気をつけるように」
男は剣先をアドリアンの耳元につけながら、意外にも優しい声で言う。まったく、脅迫しながら親切とは、おかしな男だ。
石の階段を下りきると、そこは蟻の巣のようにいくつかの部屋に分かれたワイン貯蔵庫になっていた。階段から一番遠くにある唯一、扉のある部屋から明かりが漏れている。
「あの扉のある部屋に行って下さい」
アドリアンは唾を呑み込んだ。
おそらくあそこにマリーとオリヴェルがいる。
二人の無事を確認できた時、アドリアンにとっては最も危険が迫ることになるのだろう。
アドリアンが扉を開くと同時に、背後の男がグイと背を押し、中に向かって呼びかけた。
「さぁ、ようやくアドリアン・グレヴィリウスを連れて来てやったぞ」
◆
オヅマが目を覚ますと、部屋の中はうっすらと暗かった。
窓の外には夕焼け空が広がっている。
「あの野郎……」
起き上がって、うなじに手をやる。痛みはないが、おそらく針か何かを刺されたのだろう。気絶させる薬が塗り込まれた針。
アドリアンの中指にあった黒い指輪を思い出す。
あれだ。あれに針が仕込まれていたのだ。
「……なんであんなもん持ってんだ、あの馬鹿」
オヅマは苛立たしげにつぶやいて立ち上がる。
フラフラと窓辺にある机のところまで来て、アドリアンの残していった紙と地図を見つめた。
紙の方はやはり真っ白だ。
オヅマは必死に思い出そうとした。
確か紙の横長の一辺に沿って波線が引かれ、直角の端には扇形の弧が書かれてあった。扇形の中心には『3』の文字。それから長方形が六つか七つ、並んでいて、その中の一つに何か印がされていた気がする。
空白の部分には、少し滲んだ文字で『誰にも知られてはいけない』。
その他にも小さな文字が書かれていたと思うが、その部分はアドリアンに取られてしまって読む暇がなかった。
「………そういうことか」
しばらく考えて、オヅマは納得した。
おそらくマリーらを誘拐した犯人は、アドリアンに一人で来るように要求してきたのだ。
『誰にも知られてはいけない』。誰かに知られた時には……。
そこまで考えて、オヅマはギリっと歯ぎしりした。
マリーとオリヴェルがまさに命の危機にあることを、今更ながらに思い知る。
なんだってアドリアンにそんなことを要求してくるのかがわからないが、オヅマはとにかくじっとしている気はなかった。
「………領主様に言う訳にはいかないな」
オヅマは騎士達に話すことはすぐに選択肢から排除した。
向こうが『誰にも知られてはなならない』と要求して、人質をとっている以上、騎士団を動かせば必ず勘付かれてしまう。
だが、オヅマ一人であれば…子供であれば、あちらも油断しているはずだ。
オヅマは腰のベルトに短剣を差した。本当は剣が欲しいところだが、走るときに邪魔になるし、兵舎にまで取りに行っていたら誰かに見つかるだろう。
そっとドアを開け、辺りを見回したが、誰もいなかった。
息を殺して気配を感じ取る。
ピリピリとうなじが逆立つ感覚。
凄まじい集中力が、オヅマを無駄のない行動に導いていく。
騎士達や領主館の召使い達の動きを視認するよりも早くに察知して、身を隠しつつ、外に出た。
夕焼け空はあっという間に暮れて、星が光り始めている。
オヅマは走り出した。
必ず助ける。マリーも、オリヴェルも、アドルも。
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