第九十二話 『誰にも知られてはいけない』
マッケネン達は周辺をくまなく調べ、怪しそうな人物への尋問も行ったが、オリヴェルとマリーの行方はわからなかった。
オヅマは平常心でいられないだろう…ということで、会議への参加は認められなかった。演習における作戦会議などには、将来的な勉強も含めてこれまで全て参加してきたが、こと身内の関わる事件であるということで、今回は外された。
領主館に来て一年。
初めて、オヅマはヴァルナルを恨んだ。ヴァルナルだけでなく、普段から世話になっている騎士達も全員、嫌いになった。
しかも腹立たしいことに、オヅマが今いるのは館内にある客室の一つだった。
ヴァルナルが戻ったのは領主館で起きた火事が原因で、しかもその火事が起きたのはオヅマの小屋だったのだ。
「お前、ちゃんと火の始末したんだろうな?」
サロモンの問いかけに、オヅマはムっとなって言い返した。
「当たり前だろ!」
「しっかり実況検分したわけじゃないからわからんが…ベッドの辺りが一番燃えてるんだ。まさかと思うが、お前、煙草とか吸ってたりしねぇだろうな?」
「はぁ? フザけんなよ! どうやって吸うかも知らねぇわ!」
いきりたっているオヅマの様子に、筆記をしていたマッケネンはフゥとため息をついて、質問を変えた。
「それで、お前が追いかけたスリの男は雀の面を被ってたんだな?」
「おう」
「服装は頭に白い布を巻いて…異国の服だったと…」
「あぁ。なんて言うんだ、あれ。アドル、お前あン時、
オヅマは窓際の椅子に腰掛け、地図を広げて見つめているアドリアンに声をかけた。
アドリアンはチラとマッケネン達を見て、静かに答える。
「
「ドリュ=アーズか……」
マッケネンは眉を寄せて考え込む。
帝国には各地からの商人がやって来て、異国の衣装を着ていても、奇異に思われることはない。その中でもドリュ=アーズを着た商人というのは、レーゲンブルトのような辺境においても、さほどに珍しい存在ではなく、普段から出入りしている。
しかも祭りの日であれば、似たような服装の旅芸人なども、いつもより多く来ていただろうし、風体からの特定は難しい。まさかずっと雀の面をしているわけでもなかろうし。
「あの野郎が関係してんのか!?」
オヅマはマッケネンに掴みかからんばかりに詰め寄ったが、マッケネンはのけぞりながら立ち上がる。
「それも含めて考えるということだ。いいか、オヅマ。くれぐれも勝手な行動をするなよ」
「じっとしてりゃ、マリーが助かるって言うのかよ!」
マッケネンは厳しい顔でオヅマを見て、落ち着かせるように肩を叩いた。
「いいか、オヅマ。その
「危険…って」
オヅマはかすれた声でつぶやき、二、三歩よろけた。それまで考えまいとしていた現実を突きつけられる。
「命の危険がある、ということだ。いいか、ヴァルナル様の指示があるまでは動くな」
マッケネンとサロモンが出て行った後、オヅマは苛立ちのまま拳を壁に叩きつけた。噛み締めた唇は切れて血が流れ出す。
「下手に怪我したら、いざという時に助けに行けないよ」
アドリアンの冷静な声に、オヅマは振り向きもせず固まっていた。
しばらくして、低く問いかける。
「……お前、何か知ってるだろ?」
「なにが?」
「あの紙、何だよ」
アドリアンは地図を机の上に置いて、革袋からオヅマに言われた紙を取り出す。
「これのこと?」
オヅマはつかつかと近寄ると、アドリアンの手から紙を掠め取った。しかし真っ白なその紙に目を剥く。
「オイ! フザけんなよ!! 馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿になんてしていない。あの時の紙はそれだ」
「嘘つけ! 何か書いてたろ!? なんか…図形と、『誰にも知られてはいけない』って」
「…一瞬なのに、よく見てるね」
アドリアンは苦い笑みを浮かべて、オヅマから紙を取り上げると、地図の上に置いた。
「おい……」
オヅマはとうとう我慢できなくなった。
アドリアンの襟首を掴んで、今しも殴りかからんばかりに怒鳴りつける。
「お前なんなんだよ!? どういうつもりだ!!」
アドリアンの表情はそれでも揺らがない。
問いかけに答えず、反対に尋ねた。
「シレントゥって、わかる?」
「は? シレントゥ?」
シレントゥは領府の外を流れるドゥラッパ川の河岸にある倉庫街のような場所だ。帝都や他の地域から運ばれてくる荷物がそこに荷揚げされる。規模は帝都のものと比べ物にならないが、ヴァルナルが来てから整備され、領府と最短で繋がる広い道も作られた。
「今日中にそこに行かないといけない」
アドリアンは静かに言った。
「マリーとオリヴェルを助けるために」
「………」
オヅマはアドリアンをまじまじと見つめながら、あの時見た紙のことを思い出した。
「地図か…あれ…」
紙に書いてあった四角や波線。
オヅマはアドリアンの襟を離すと、地図の上に置かれた真っ白の紙をもう一度取って、まじまじと見つめた。
「なんで…? あの時は確かに…」
「そういうインクがあるんだよ。時間が経つと消えるんだ…」
「チッ! いちいち鬱陶しいな」
「でも、まったく見えなくなるわけじゃない。だからここに置いておく」
アドリアンは紙をオヅマの手から取って、再び地図の上に置いた。
「じゃ、行こうぜ。シレントゥにマリーもいるんだな!?」
オヅマはマントを羽織りながら、飛び出さんばかりにドアへと走っていく。
ノブを掴んで開けようとした時、背後に近づいたアドリアンの気配を感じると同時に、チクリとうなじに小さな痛みが走った。
「なん……だ…」
クルリと振り返ったが、すぐに視界が歪んだ。
ガクリと膝が力を失って倒れる。
見上げるとアドリアンの右手の中指に見たことのない黒い指輪があった。
「『誰にも知られてはいけない』んだ、オヅマ」
つぶやいたアドリアンの声に、見えなかったが表情の想像がついた。
「………うる…せ……この…しな…びた……」
いつものように悪口を言いかけて、オヅマは気を失った。
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