第七十五話 おしゃべり騎士達の噂話(1)

 神殿への参詣からひと月が過ぎ ―――


 遠陽とうびの月に入ってから、騎士団においては雪上せつじょう野営やえいが行われる。二週間近く、近くの山中に籠もって、そこで実戦的な訓練が行われるのだ。

 オヅマとアドリアンは見習いではあったものの、大の大人の、しかも屈強な騎士をもってしても『地獄』と言わしめる、この過酷な訓練への参加は認められなかった。下手をすれば凍死の可能性もあるからだ。

 当然ながらオヅマは不本意だった。カールにも参加を認めるよう頼んだが、鬼副官はにべなく「駄目だ」の一言で片付けた。

 騎士団が野営に向かう前日、ぶぅぶぅ文句を言っていたオヅマに、アドリアンは何気なく尋ねた。


「文句ばかり言ってるが……オヅマ、君、大丈夫なのか?」

「なにが?」

「野営の時は、寒さで死なないように、対番ついばんは一緒の寝袋で寝るんだよ」

「……嘘だろ」


 オヅマは唖然となった。

 ついさっきまでは明日一緒にコッソリついていこうか……とすら考えていたのに。

 思わぬ難問にオヅマは唸った。どうにかしてそれは回避したい。いずれ自分が訓練に参加する、その時は。

 だが真剣な顔でにこだわるオヅマに、マッケネンはあきれた。


「なにをつまらんことを。実際、行ってみればわかるさ。それこそゴアンであろうが、トーケル御爺おんじだろうが、温かけりゃいいんだ。足の爪先だって、交互に股の間に入れて温めなけりゃ、凍傷になりかねないんだからな」

「寝袋に入ってりゃ、一人でも十分温かいよ、俺は」


 オヅマはそれでも強がったが、サロモンがヘッと鼻で笑う。


「言ってろバーカ。たまにいるんだよな、お前みたいな奴。そういう奴に限って、行軍の後に飯も食わずに対番を無理やりに幕廬テントに引っ張っていきやがるんだ。なぁ、ヘンリク?」


 いきなり呼ばれたヘンリクは、食べかけていたパンを喉に詰まらせそうになりながら、サロモンを睨みつけた。


「俺ッ…は……『どうにかして温かくならないのか』って、聞いただけだ! 足の指が凍りついて凍傷になりそうだったんだからな。そうしたらアルベルトが、テントに帰ればどうにか出来るって言うから……」

「行く前には散々、誰が男となんぞ一緒に寝るかー!って、大口叩いてたくせになぁ。一日目であっさり陥落だよ」


 からかう同輩達に、ヘンリクは居心地悪そうに小さくなりつつも、ムッと睨みつけた。


「仕方ないだろ。アルベルトなんだぞ、俺の対番。あんたみたいにゴアン相手でも腕っぷしじゃ負けない人はいいけど、俺なんざとても敵うわけない。警戒だってするさ」

「馬鹿じゃねぇのか、お前。あのクソ寒い中で汗でもかいた日にゃ、次の朝には二人揃って凍ってら。だいたい寒さで縮み上がって、だって……」


 そこまで言いかけたサロモンを、マッケネンが強めに小突く。すぐにサロモンは目の前で耳を赤くして俯いているアドリアンに気付いて口を噤んだ。

 しかしオヅマはまったく気にしない。パンをブチリと千切って飲み終わったスープの皿を拭きながら、斜め前に座って静かに食べているアルベルトに尋ねた。


「それじゃ、その時はヘンリクさんと寝たの? アルベルトさん」

「そーいう誤解されるような言い方すんなよ、オヅマ」


 ヘンリクは渋い顔で抗議するが、アルベルトは無言で頷いた後、


「あの時はとにかく腹が空いていたから、ヘンリクを温めながらパンを食べていたな……」


と、相変わらずの無表情でつぶやく。

 オヅマはその様子を思い浮かべて、あきれたように言った。


「どんなけ寒がりなんだよ、ヘンリクさん」

「うるせぇ! 俺は南の生まれなんだよ。こんな寒さ有り得ねぇんだよ!」

「寒いってわかってたのに、なんでレーゲンブルトなんて希望したんだ? 元々、ファルミナの騎士団だったろう、お前」


 ファルミナは公爵領の南の飛び地だ。レーゲンブルトよりも大規模の騎士団が駐在している。ヘンリクは元はその騎士団に代々勤める騎士一家の出だった。

 マッケネンが問うと、ヘンリクは口をとがらせてボソリと言う。


「そりゃ…ヴァルナル様がいらっしゃるから」

「最終的にはそれなんだよなぁ」


 サロモンはさもありなんと頷いてから、ヘヘッと笑った。


「いっそ、ご領主様が全員まとめて面倒見てやりゃ問題ないんだろうけどな」

「それは駄目だろ!」


 いきなり立ち上がり、大声で怒鳴ったのはオヅマだった。

 サロモンらだけでなく、食堂にいた騎士達の視線が集中する。

 オヅマは我に返ると、ごまかすようにカチャカチャと音をたてて皿を重ね合わせ、洗い場の水樽に放り込んでその場から立ち去った。


「……なんだ、あれ?」


 サロモンがあっけにとられていると、アドリアンも釈然としない顔で話す。


「神殿の参拝の後から、ちょっと妙なんです」

「妙って?」

「なんだか…ヴァル……クランツ男爵に対して、他人行儀というか。稽古中とかはそうでもないんですけど、前は男爵の手柄話なんかもよくしていたんですけど、最近はあまり気乗りしてこないから、話すこともなくなって……」


 サロモンとマッケネンは目を見合わせた。


「……領主様ってソッチの趣味あったっけ?」

「どうしてそういう話になるんだ、お前は。だいたい、好きな女の息子なんだぞ、オヅマは」

「好きな女?」


 アドリアンは聞こえてきた言葉に敏感に反応した。


「好きな女って……男爵が、好意を寄せる相手がいるってことですか?」


 その質問については、アドリアンだけでなく、その周囲にいた騎士達全員が聞き耳をたてた。全員の脳裏に一人の女性の姿が浮かんでいたが、誰がその名を言うのかと、皆が顔を見合わせている。


 口を開いたのは、アルベルトだった。

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